こんばんは。精神科通いのバ美肉ブロガー、次無ゼッカです。
「自身の劣等感や罪悪感を拭う為に人助けをする」、「自分を救う為に他人を救う」。
そういう意味でのメサイアコンプレックスという心理状態は、わたしに当てはまります。
それに気づいて以降、状態を改善しようと対策をしているところです。
詳しくは「メサイアコンプレックスと向き合おう(1)」(https://norimoblog.com/recovery009/)の記事をご参照いただくとして、今回はその後の経過の話です。
今のところ、試みはうまくいっていると感じています。

地域のボランティアへの参加
他人の為に我が身を捧げてボロボロになる「幸せの王子」にならないようにと、以前に精神科のお医者様から言われました。
実際のところ、他人の為に(実際は自分が救われる為に、なのですが)と思ってがんばってみても、最後には何も残らないものです。
それどころか、何やかんやの積み重ねで病んで、精神科に通うことになるという経験をしているわけです。
しかし、そういった痛い目を見ていても、誰かの役に立ちたい、人助けをしたいという気持ちが無くなるわけではありません。
その為、自分を削りすぎず、決められた範囲で人助けをしようという考えから、地域のボランティアへ参加するようになりました。
主には、市街地でのごみ拾いのボランティアに参加しています。
やらない善よりやる偽善だと思って、マジメに取り組んでいます。
(少なくとも表面上は)人から感謝されることですし、気分がよいものです。
月に1回程度の頻度でのボランティア参加なので、“人助けをする”と“無理をしない”が両立できていて、バランスがとれていると感じます。
主催者もよい方で、これからも続けていけそうです。
人助けの欲求を適度に発散できていて、精神安定にも十分効果があります。
ボランティアに参加してみようという考えは、我ながらよいものだったと思います。
心を乱す発信を遠ざける
適度な人助けとしてのボランティアと併行して、別の対策も講じています。
そもそも「他人を救うことで自分も救われる」という衝動につながる、“払拭すべき罪悪感や劣等感”を発生させないというアイデアです。
わたしの抱えている罪悪感や劣等感を刺激するような発信を、耳目に触れないようにしています。
主にはSNSでのことですが、不幸アピール(と言わせて頂きます)や過度に愚痴っぽい、あるいは逆に自慢ばかりしているような発信を見ないように気をつけています。
これもずいぶん効果がありまして、だいぶ穏やかな気持ちで過ごせるようになりました。
他人の不幸アピールを目にして、「あなたが不幸なのに、わたしは不幸でなくて、ごめんなさい」という罪悪感を抱かなければ、それを払拭するために人助けに躍起になることもないのです。
非情にマイペースであり、よく言えば静穏、悪く言えば虚無の心持ちがデフォルトのわたしです。
他人の発信から強く影響を受けなければ、心を乱されることもありません。
不幸アピールや、不毛な言い争いのようなネガティブな発信を見ないように気をつけて、逆に、他人に元気を与えるような発信をしている人を追うことで、正気を保てています。
障害特性もあり、自分のペースを乱されることを嫌う性分ですから、たくさんの人々が交流して混沌を生み出すインターネットというものに、わたしは向いていないのだろうと考えています。
一方で、インターネット上には、他人を元気づける発信を行う方々の存在もあり、触れる情報の取捨選択次第では、精神安定に有用なものであるのだとも感じています。
対症療法としてはうまくいっている
“人助け”の欲を適度に発散するボランティア参加も、罪悪感を刺激されないようにするSNSでの自己防衛も、今のところ、対症療法としてうまくいっていると感じています。
自分のことは自分がよくわかっているとは、よく言ったもので、自分の行動の原因を把握しているおかげで、対策も的確に行えています。
(……と言う割に、メサイアコンプレックスの自覚を持つまでは、振り回されて自他に害をもたらしていましたが)
特に、他人の不幸アピールを見ないというのは、非常に有効です。
行動のもとになる罪悪感が発生しないようにしているおかげで、ボランティアに対しても「人助けをしないといけない」というような義務感を持たず、リラックスして参加できています。
わたしにとれば、”他人の不幸は罪の味”であるということです。
罪悪感・劣等感が刺激されない環境に身を置けば、本来のマイペースを取り戻して、精神を静穏に保てます。
仮に、ボランティア参加などで人助けをしなくとも、正気でいられるように思います。
元来からして人間嫌いのわたしにしてみれば、SNSであっても、他人と距離をとるいうのは精神衛生保持の為に意味のある選択だったと言えるでしょう。
「無価値な自分が不幸でないこと」に対する罪悪感がなくなったわけではありませんが、それがオモテに出てこないようにするという対策はうまくいっています。
ただし、仕事においては、「困っている人を助ける」為に、己の休日の予定よりも他人の困りごとを優先してしまっている状態が継続しています。
こちらも健全な状態であるとは言い難いので、ゆくゆくは改善できたらよいかと考えています。
ゴールはどこにあるのか?
現状、試みがうまくいっていると感じている一方で、課題もあります。
メサイアコンプレックスを克服したいと思いつつ、どのような状態になれば、それが為されたと言えるのかを掴みかねているのです。
罪悪感や劣等感がなくなればよいのか?
それらを刺激されても、払拭の為に行動しないようになればよいのか?
ゴールと呼ぶべきものが明確にはわかっていません。
“人助け”をしたいという気持ちが完全に消え失せて、困っている人間を見殺しにできるようになれば、それがゴールなのでしょうか?
なんだか、それも極端な話に感じます。
コミュニケーション能力が壊滅的なわたしが語るのも滑稽でしょうが、人間関係とは持ちつ持たれつ、助け助けられなのではないかと思います。
わたしの行う“人助け”の根底には、少なからず他人からの感謝を見返りとして求める気持ちや、自分を慰める気持ちがあるわけですが、これがまったく無くなるのがゴールなのでしょうか?
それが正しさなのかもしないと感じる一方、見返りを全く求めずに助力する人間というのが、世の中にどれほどいるのかというのは疑問に思うところです。
目指すべきゴールがわからない現状ですが、今は気持ちを穏やかに保つことを優先し、ゴールの設定はおいおい考えていこうかと思っています。
おわりに
以上、メサイアコンプレックス対策の経過報告でした。
己の状態を自覚できたことで、対策をとれていて、少なからず進歩はしています。
現状として、誰かの役に立たないといけないという強迫観念に苦しむこともなくなりましたし、(精神科に通っているほうの件は別として)穏やかに過ごせています。
ボランティアについては、参加せずとも正気を保つことができそうですが、それはそれとして、続けようと思っています。
また、SNSでの自己防衛が効果的であったということで、とても快適に過ごせているので、こちらも継続できそうです。
今のところはゴールの設定ができていませんが、スモールステップで少しずつ改善をしていければと思います。
また進捗があれば、第3弾という形で書き残そうと思いますので、機会があれば、読んで頂けますと嬉しいです。
今回はここまでです。お読みいただきありがとうございました。
みなさま、どうかよい夜をお過ごしください。


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