こんばんは。精神科通いのバ美肉ブロガー、次無ゼッカです。
インターネット上で活動をしていれば、嬉しい言葉を届けてくれるファンが出来る一方で、活動者を傷つけようとするアンチもまた現れるものです。
無名の活動者であるわたしこと次無ゼッカですが、そんな名も無き活動者にさえアンチの存在があります。
今回は、わたしが受けたアンチからの言葉について、どのように受け止めているかという話です。
療養記録というブログの趣旨からはやや外れますが、精神衛生の保持という面では、精神病の療養に関わるものともいえるでしょう。

次無ゼッカにもアンチはいる
冒頭の通り、無名なわたしにも、ありがたいことにアンチがいます。
向けられている感情はネガティブなものですが、それでもわたしに関心を持ってくださっているのですから、まあ、ありがたい話です。
Youtubeで頂いたアンチコメントもありますし、わけあってXのDMに送られてきたものもあります。
活動へのアンチとも言えますし、一部はわたし自身、わたしの生き方に対するアンチというべきものもあります。
わたしとしては、アンチコメントをそれなりに気にしてはいるものの、それで病むということはないので、ご心配にはおよびません。
うつ状態に至るまでのあれやこれやに比べれば、いくつかのアンチコメントなど、ものの数ではありません。
陰口や濡れ衣やトドメからのうつを経験して、悪口耐性が強化されました。
アンチコメントたち
さて、ここから各アンチコメントを見ていきたいと思います。
病むことはないと言いつつも、原文を確認しにいくと、少なからず傷つくものではあります。
その為、原文ママではなく、要約したものを取り扱いますことをご了承ください。
絵も趣味も古くさい
「絵も趣味も古くさい」
これは、ブログ更新が趣味だという発信をしたときについたコメントです。
絵柄といい、趣味といい、何年前を生きているのかという問いかけでした。
こちらに関しては、古くさいというのは相手方のモノサシによるものであり、わたし自身はそう気にするものではないと考えています。
わたしが商業的な成功を目指しているのなら、昨今の流行のイラストや発信媒体を取り入れていくべきなのでしょうが、現状はそのような考えはありません。
わたしの画力で表現できる、目一杯の好みのアバターを描いて、わたしの書きたいことを好きに書き残せる個人ブログという媒体で活動することについて、古い・新しいで咎められるものではないでしょう。
わたしが我が道を往くことに古いも新しいもないのです。わたしがその時に発信しているものが、わたしにとっては常に最新なのです。
妻帯者は活動するな
「妻帯者は活動するな」
わたしの活動に対して、「妻というものがありながら、さらに承認欲求を満たそうと活動するなんておかしい」というような文脈での非難です。
妻という理解者がありながら、さらに理解者を求めるのはおかしいから、活動すべきではない……という意味合いかと認識しています。
原文が乱れていた為、正確な主旨を把握できていないかもしれません。
ただ、この理屈がまかりとおるのなら、「親兄弟と円満なお前は活動するな」「友人に恵まれているお前は活動するな」「コラボ配信できるような同志がいるお前は活動するな」と、多くのVTuberに文句を言うことになってしまいます。
補足として、このコメントを頂いた時点では当ブログは休止中でしたので、相手方が指すわたしの”活動”とはYoutubeでの発信のことになります。
しかしながら、わたしのYoutubeを見たことがあるかと相手に問うた際には、「見てません」という答えが返ってきました。
つまるところ、わたしの活動の内容を見ることなく、何も確認せず、「承認欲求を満たそうとして活動している」という妄想と決めつけでの非難ということになります。
単にわたしが活動していることが気にくわないのだと見るのが妥当でしょう。
わたしが妻帯者であることを隠して、ガチ恋売りでもしているのなら、咎められるべきでしょうが、そういった事実はありません。
「お前が活動するのは気に食わないから、やめろ」と素直に言ってくれたほうが、まだ聞き入れる余地があるというものです。
お前に理解者は現れない
「お前に理解者は現れない」
こちらは、先の「妻帯者は活動するな」と同じ方からのコメントです。
「お前のことを理解する人間なんて現れないから、諦めろ」というような内容でした。
やはり原文では、いまいち文脈がわかりづらかったのですが、相手のなかでは、わたしが活動を通して理解者を得ようとしているという前提があるようです。
精神病や障害、性格の難があり、他人から理解されづらい身ではありますので、「理解者は現れない」ということ自体はまっとうな指摘ではあると思います。
これについては、否定のしようがありません。
まったくもって、おっしゃる通りです。
ズレがあるとすれば、別にわたしは、理解者を求めて活動をしているわけではないというところです。
障害特性ゆえに孤独への耐性もありますし、瑕疵の自覚はありますから、理解者が現れるとも思っていません。
反面、妻という地上で唯一、奇跡のベストマッチなパートナーもいますし、「お前に理解者は現れない」が完全な真実とも言い難いでしょう。
これは活動の非難というより、単なる人格否定の言葉として捉えるべきだと考えています。
わたしを否定して傷つけるための言葉と捉えますが、「理解者は現れない」についての自覚も反証もありますから、傷は浅いです(無傷ではない)。
何でも金で解決しようとするな
「何でも金で解決しようとするな」
以前に金銭面での支援を行っていた相手から言われた言葉です。
金銭面以外の形での支援もしていたので、「何でも」と言われるのはいささか心外です。
それまでの支援金をまとめて突き返して啖呵を切るのなら、かっこうがつくのでしょうが、そうではありません。
受け取るものは受け取って、それでいて、このセリフですので、言葉に説得力はありません。
たしかに、何事も金銭面での支援で片付けようとするのは褒められたことではありません。
お金に困っている相手を助けるにも、当人の意識改革や環境の整備等、根治に向けた行動が求められます。
しかし、頻繁に金銭苦を訴え、ほしいものリストにお金を常に掲示している(しかも希望数を99に設定している)ような相手への応急処置として、金銭的な支援が効果的であることは否定できないでしょう。
実際、当人も断るでもなく、何度も受け取っていました。
金銭苦を訴える相手に「大丈夫? わたしはあなたを心配しているよ」と言葉だけ伝えたところで、事態は何も解決しません。
往年のドラマのセリフにならい、「同情するなら金をやる」べきでしょう。
繰り返しになりますが、応急処置的には効果のあることです。
加えて、わたし自身は金銭面以外での支援も行っていたので、「何でも金で解決しようとするな」というのは、いささか的外れな非難に聞こえます。
何にでも感謝するな
「何にでも感謝するな」
これはわたしの生き方への否定の言葉ですね。
嫌な人、嫌なこと、嫌なものにも、なにかしらよい部分を見いだして感謝するというのが、わたしが心がけていることです。
対象が嫌な相手でなく、好ましい相手なら、なおさら些細なことにも感謝して、「ありがとう」の言葉を伝えます。
うつ状態になったときにも、そのトドメの言葉に対して「わたしにとって深く突き刺さる言葉でした。ありがとうございます」と相手に感謝を伝えたぐらいです。
好きな相手でも嫌いな相手でも、よいとこ探しをするのは、自分では悪い癖ではないと思っています。
よいところを探そうとすれば、その人について考えることにつながりますし、コミュニケーション能力に乏しいわたしには必要な武器です。
職場にて「人間嫌いを自称しているのに、他人のことをよく観察している」と評されたのも、この癖があってのことでしょう。
「何にでも感謝するな」とわたしに言ったその人は、わたしや他人の言葉を悪い意味にねじ曲げて捉える様子が何度か見られました。
そうやって、相手や言葉の悪いとこ探しを癖にしてしまうより、よいとこ探しをしてたくさん感謝をして生きるほうが前向きだと、わたしは思います。
わたしなりの前向きさを否定するに十分な論拠が提示されていない為、わたしがよいとこ探しをやめることはありません。
番外編:「メンヘラに人は救えない」という御守り
最後に「メンヘラに人は救えない」です。
これに関してはアンチコメントというのとは違いますが、わたしの在り方を否定する言葉です。
詳しくは以前の記事に書いたとおりですが、わたしにトドメを刺し、精神科の受診を決めるきっかけになった言葉でもあります。
わたしというメンヘラが誰かを救うことで、この言葉への反証になるわけですが、現状としてそれは難しいでしょう。
この言葉に関しては、うつへのトドメになっただけあって、効果抜群にわたしにダメージを残しています。
いろいろな励ましや時間経過により、立ち直りつつあるとはいえ、今なおわたしを苦しめる呪いの言葉です。
しかし、逆にいえば、この言葉の強烈な存在があるおかげで、他のアンチコメント程度では、さほど傷つきません。動揺もしません。
「メンヘラに人は救えない」という言葉に一度、心を壊された以上、それ未満の木っ端の言葉ではわたしをどうこうできません。
呪いになっているこの言葉があればこそ、この先もどんなアンチコメントにも負けないだろうと確信を持っています。
ある意味で、わたしの御守りになっています。
わたしの心を壊してくれたことに、感謝すべきですね。
おわりに
以上、わたしに向けられたアンチコメントに対する自分なりの考えでした。
クレームは宝の山と言われますが、今回見てきたアンチコメントは、イマイチ活動の参考になるものではないように思います。
ブログやYoutubeでの活動を見た上での評価ではなく、「お前が気に食わない」が主題になっているものが多いように感じました。
この先も活動を続けていけば、この手の言葉を頂く機会もまた出てくるかと思います。
しかし、わたしにとっての”御守り”がある以上、並大抵のアンチコメントではへこたれませんので、ご心配には及びません。
口に苦い良薬のように、どうせ嫌な言葉を受けるのなら、自分のためになるものであってほしいものです。
わたしにアンチコメントを送ってくださる方がいらっしゃるのなら、是非とも、実になるお言葉を頂戴したく存じます。
そのほうが、双方にとって有意義な交流になるでしょう。
今回はここまでです。お読みいただきありがとうございました。
みなさま、どうかよい夜をお過ごしください。


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