【考察】本当は怖い?「ひとりごつ」の歌詞

アニメ感想





 おはようございます。一度もアニメ「ちいかわ」をリアルタイム視聴したことのない典藻のりもキロクです。
 朝は活力が湧かないので仕方ない。深夜であっても多分起きてられないのでやっぱり見れない。
 配信があって、助かるラスカルルールルル。ラミパスラミパスルールルル。


 今回は作中でハチワレが歌っていた「ひとりごつ」の歌詞について考えたいと思います。
 典藻はそれほど熱心なファンではありませんので、考察というよりは邪推妄想の類であろうかとは思いますが、よろしければお付き合いください。

悲しみの歌では?

 まず、典藻は「ひとりごつ」を「怪物に変性してしまった自らを嘆く歌」だと思っています。
 「ちいかわ」は姿や精神が怪物に変化することのある世界観であるようなので、これをふまえて歌詞の一部を読むとある種の比喩表現なのではと思える部分があります。

変な足跡


変な足跡だと思ったら 昨日晩につけた足跡

 この歌詞は一見すると、湿り気で形の崩れた足跡を「変」と呼んでいるように思えます。
 しかしながら、典藻はこうも考えます。

 視点人物は、怪物に変化したばかりで「新しい自分」の足跡を見慣れていない為に「変」だと感じている。
 朝に目が覚め、昨晩に自身がつけた足跡を見て「変な足跡」だと感じるも、すぐに「ああこれは自分が『昨日晩につけた足跡』」だと思い出す場面。
 不可逆の変化を受け入れていく段階のひとつのように思えませんでしょうか。

 また、「足跡」を「これまで歩んできた人生」という意味で捉えた場合、「変な足跡」というのはこれまでの人生を振り返って見ての「生き方」についての言及であるとも考えられます。
 大人になってから幼少の時分を思い出すと「なぜあんなことをしたのか」「なんて遠回りをしたのか」と己が迷走ぶりに自嘲することもあるでしょう。無いですか? わたしはありますので、ここはひとつ、あるということで。

やけに土が水を含んで

 さて、「足跡」については上記のとおり、物理的な「(怪物の)足跡」或いは比喩的な「自身の生きてきた道」を指すものという前提で話を続けましょう。

やけに土が水を含んで 生乾き

 ここでいう「水」とは視点人物自身や彼/彼女に心を向ける者の「涙」でないかと考えます。
 怪物になってしまったことへの悲嘆・憐憫、或いはこれまでの人生に対する悔恨・郷愁。そういった感情からの落涙。

 そして「生乾き」であるということは、「乾かないほどの量の涙」「乾く間のないほどに絶え間なく流れる涙」「ついさっき零したばかりの涙」のいずれかでしょう。
 土が「やけに・・・水を含んで」いるという点から、おそらく多量の水分=涙が流されたのでしょう。

焼けたパン

 先に流される涙は自身のものか他者のものかいずれも考えられると述べましたが、「パン」の解釈次第でもしかしたら他者=友の線は無くなるかもしれません。

焼けたパンにバターヌリヌリ

 この歌詞で気にしたいのは「パン」と「バター」についてです。
 皆様ご存じのとおり、パンはキリスト教の教派によって、イエス・キリストの体として見立てるあつかうものであります。

 典藻は教徒でないので表面的かつ多分に意訳の混じった表現にはなりますが、「イエスは”友”の為にその命を捧げた者」。
 つまりバターをヌリヌリされているらしいこの「パン」とは「友の肉」の比喩表現なのでは。
 ……考察って聖書とかキリスト教とか持ち出すと途端にそれらしくなりますよね。何故でしょう。

 さて、「パン」と「バター」のうち、残るは「バター」ですね。
 ここからはさらなるこじつけになりますが、どうかどうかご容赦を。

 J・R・R・トールキンの「指輪物語」(典藻が読んだのは日本語訳版ですが)において、魔法の指輪で長命となってしまったビルボ君の様子をバターを薄く塗りのばす様子に例えている場面があった気がします。生憎と本を実家に置いてしまっているもので正確な文言は確認できませんが、あったはず。読んだの15年以上前だけど確かな記憶のはず。

 ということで、バターを塗ってのばすというのは、長命故に余生が無味で退屈で惰性に任せたものになることの比喩…………なのかもしれない。
(ここでバリバリ最強No.1が流れ始めてぬ~べ~のオープニング)

なぜ独りで言ちているのか

 典藻の薄い解釈ではありますが、友達大好きみんな仲良しハチワレが歌うのが「独り言つ」というのは些か違和感を覚えるものであります。
 
 なぜ独りなのか。
 喩えば、怪物に変じて得た長命故にひとりだけで生き残って死を待っている。
 喩えば、すでに友を手にかけ、寄り添う相手を失っている。
 喩えば、誰も傷つけない為に誰もいないところでひとりで過ごしている。

 たとえば彼/彼女が傷ついて挫けそうになったとして、そばにいる者はひとりも無く。
 扉の開いたこの先に信じる未来は既に亡く。
 ただ独り言ちて、ただ独り泣く。

おわりに

 ということで、「足跡」「水」「パン」について言葉通りの意味ではないという可能性を提示しました。
 また、「ひとりごつ」というタイトルや、わざわざ作中で引用されている「BELIEVE」から、どうにも不穏な伏線なのではないかと感じております。

 なぞと言ってはみましたものの、所詮こんなものは深読み邪推下衆の勘繰り誇大妄想。
 ハチワレには斯様な妄言なぞ気にせずに、これからも元気に、エンディングの度に歌ってほしいものです。
 そして、激奏するハルヒのような顔で「なま…がわァき…」してもらいたいものです。



 ところで途中で触れたパンとイエスの件ですが、典藻がこれを知った切欠がアダルトゲーム「ガッデーム&ジュテーム」であるというTIPSを添えておきます。
 永劫に使えない無駄知識。

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