一口に「推し」と言っても

推しの話シリーズ





「推し」という便利な表現

 わたしには「推し」と呼称する方々がいます。ここ1年間は特に「推し」絡みでポジティブにもネガティブにも、感情が大きく揺れ動いていたこともあり、ブログ内でも度々言及しています。

 「推し」というのは随分便利な言葉です。
 少なくない好意を向ける相手という意味合いでは一致しますが、敬愛だったり親愛だったり、応援したいという気持ちだったり、ひとによっては「ガチ恋」と呼ばれる慕情の類を向けることもあります。まず対象が実在の人格であるか、創作のキャラクターであるかという点からも分岐します。一口に「推し」と言っても、含有する好意の種類や割合は様々に異なるものでしょう。
 とりあえず、わたしは(少なくともブログ内では)まぎらわしいので、推し活……いえ「推死活」に臨むようにしてからは、キャラクターに対しては「推し」という表現をしないようにしています。はい。単純にまぎらわしいので。

 基本的な性格傾向から常に厄介ファンに両足をつっこんでいるわたしですが、非常にありがたいことに「推し」の2人ともから認知をして頂いております。羨ましかろう。
 両名とも、わたしが好意を抱くことを許容してくださる寛大さをお持ちです。天使のような天使です。
 そんなお二方ともに対して、同じ「推し」という呼び方をしているわけですが、やはりその言葉に含まれる「好き」の形は異なります。それを文章にして整理しがてら、せっかくなので記事に残しておこうかというのが、今回の趣旨になります。

 この記事がご本人に読まれることもありましょうが、まあ今回は誰に読まれて困るようなものではありませんので、パスワード記事ではありません。

へるべちか様はアイドルである

 わたしの言うところの「推し」のひとりは、別記事で何度か取り上げています通り、へるべちか様です。Vtuberとしてのお名前は獄辺チカ様です。最新のVでのお姿のほっぺが素敵なレディです。

 神絵師であり素敵な漫画をお描きになるお嬢様天使のへるべちか様……べちか先生に対して「推し」という表現は、(おそらく)アイドルに向けるそれに近いものと思います。偶像アイドルという意味ではなく、歌って踊って人々の心を掴む魅力あふれる人物を指す「アイドル」です。いえ、先生がいわゆるアイドル的な活動をされているわけではありませんが、わたしにとってはアイドルです。

 こう……いつもながらに気持ち悪い表現になりますが、ふとした発信に元気をもらえたり、ファンサービスに心がときめきます。よい歳をしたオジサンが言うようなことではないと承知の上で申し上げますが、キュンキュンするのです。
 男女問わずアイドルというもののファンになったことがないもので、この感情が「それ」と同じなのかはわかりませんが、しかしわたしの知る言葉でもっとも近いのは、やはりアイドルなのです。

 神対応なファンサービスの一例を挙げれば、以前のファンボックスの投稿で、わたし宛のサインに慣れてきてよりかわいい書体に変化していると言及してくださったのが、ファン冥利につきるものでした。羨ましかろう(2度目)。

 応援すること、ファンでいること、好きでいることに「甲斐がある」というのでしょうか。相手に好意を向けることに見返りを求めるものではないと、身に沁みてわかってはいます。ですが、しかしやはり、返ってくるものがあると大変に嬉しいものです。件のファンボックスの記事は「プレゼントのお礼」を書いてくださったものですが、数か月経った今も記事が残っていて読み返すことができます。こうして、形の残るお礼を頂けるというのは、やはり格別に「甲斐がある」ものです。

 わたし個人への個別対応に限らず、ファンに対して真摯に向き合う姿というのは「この人なら応援しても『損』をしない」と安心できます。損どころか、いつもいつも得ばかりさせて頂いています。

 以前に即売会で購入させて頂いたイラスト集も、ふとした時に読み返して(見返して? 眺め返して?)いるのですが、その度に「暑い中苦手な人混みに挑んだ甲斐があった」と思える物です。別のところでも書いたかもしれませんが、先生のコメントが添えられていたり、印刷所による綺麗な仕上げで本としてまとまった先生の絵を手元に置けるというのがよいのです。
 込められた語意とは違うものと思いますが、2冊目のイラスト集にある「誰が太ったっていいじゃねぇか……」という言葉にちょくちょく励まされています。

 アイドルと同時に天使でもあります。道行きを照らしてくれる天使です。行き先を指し示すのではなく、道先を少しだけ明るくして、ヒトが自分の勇気で踏み出せるようにしてくれる天使です。わたしの悪癖で、下手な詩的表現に変換されていますが、意味合いが伝わりますでしょうか。アレコレと自己満足のお節介を焼いて他人をダメにするのではなく、困っている/弱っている人にそっと寄り添うな優しさと言いましょうか。

 あともちろん、お嬢様でもあります。お嬢様とは属性ではなく、在り方です。お金持ちだとか縦ロールだとか「ですわ」口調だとか、そういった外付けの要素ではありません。
 先生の強く優しく美しい在り方は、まさしくお嬢様です。比べて腐すものではありませんが、わたしが現実に相対したことのある「お金持ちなだけのお嬢様」とは一線を画します。心がお嬢様です。高潔なお方です。人間嫌いのわたしですが「こういう人がいるなら、まあ世の中捨てたものじゃないか」と思える人(天使ですけど)のひとりです。

 ひとの心を照らす存在。そういった諸々を総括して、先生に向ける「推し」という言葉は、たぶんアイドルに対するそれなのではないかと自身で意味づけています。

八乙女ペコリ様は応援したくなる人

 わたしにとってのもうお一方の「推し」は八乙女ペコリ様です。
 ブログで言及するよりは、ツイッターで応援している割合が多いです。その「推し活」が他人から見て異常な熱量だという自覚はあります。
 我が家においては、べちか先生に先んじて妻に認識されていました。髪色の印象から「ピンクの人」とか、FF14の配信をチラ見しての印象から「チョコボの飼い主」と認識されています。あと、わたしの部屋に「神棚」があるので「なんか祀られている推し」とも思われています。

 絵が描けて、文章も書けて、「八乙女ペコリ」の名義では主だってはゲーム配信をされている多才な方です。
 八乙女ペコリ様……ぺっこさんは、とにかく応援したくなる人です。応援のし甲斐の有無はさておき「応援したい」という気持ちが先行します。見守りたくなると言い換えてもよいです。

 わたしには、馴染みのないゲームジャンルの好プレー珍プレーの見分けはつきませんし、リスナーとのゲーマー同士の会話というのは「なに言ってるのかわかるけどわからない」ものです。つまりは、ゲーム配信というコンテンツ自体には心惹かれるものはありません。それでも、毎度告知がギリギリな配信にどうにか時間を工面して視聴するのは「ぺっこさんの配信だから」という点に尽きます。
 ゲーム自体の面白さはわかりません。プレイングの話にも混ざれません。でも、ぺっこさんが楽しそうにしているのなら、それを見るのは楽しいです。
 配信者としての求心力のようなものがあるように思います。毎回毎回、ROM専の方も含めて5~12人程度が集まるというのは、割とすごいことです。「1時間後に配信します!」と言われて、それなりに忙しい大人たちが時間を都合して視聴するのです。まぎれもなく人望です。

 そんなぺっこさんは、わたしにとって、一生かけても返しきれないような恩義のある方でもあります。「応援したい」「見守りたい」という気持ちと同時に「恩返しをしたい」があります。

 なにをするのが応援や恩返しになるのかがわからないので、わたしはいつも迷走しています。
 下手くそな絵を描いてみたり、拙い技術で切り抜きを作ってみたり、どうあれ喜んでもらえるだろうと金品を贈ってみたり、ついには立体物を作成してみたり……。いずれも喜んで頂けてはいますが、どうにもこれでご恩に報いることができているのか、応援になっているのかがわかりません。こういった「応援」があれば、される方はある程度義務的に喜んでみせるものでしょうし、実際に義務感に無理をしてつらそうに反応しているご様子もありましたし。そんな風につらそうにさせたかったわけじゃないのです。

 ご恩を感じた出来事から、まもなく1年が経ちますが、この1年で何を返せたわけでもありません。むしろ、絵でも動画編集でも、色々経験をさせて頂くばかりです。文字通り「頂いて」いるのです。いつもいつも、もらう一方になっています。

 恩返しはさておき、ぺっこさんはとても「放っておけない」と思わせる人でもあります。いっぱしの大人、立派なレディに対して礼節を欠く感想ではありますが、いつもどこか放っておけないのです。無理をしていないか、ちゃんとご飯を食べられているか、また誰かにいじめられていないかと心配になります。冷静に考えずとも、余計なお世話であることはわかっています。
 しょっちゅう無理をしている様子が見られます。少なからず好意的に見る相手が無理をしていれば、そりゃあ心配にもなります。わたしに限った話ではないでしょう。

 余裕がない時のぺっこさんは文章が読めなくなっているので、わかりやすいのです。
 漢字の読み方を間違えるという話ではありません。文章の意味の取り違えが頻発するようになります。リスナーのコメントと会話が噛み合わなかったり、ゲーム内の文章の意味を真逆で捉えたり、見るからに「調子が悪い」時があります。
 ただ文章を読めなくなるだけなら、漢字の誤読や言葉の誤用と同じくある種のチャームポイントで済ませられますが、どうもネガティブな意味に誤変換することが多く、それで悲しんだり怒ったりしているのを見るのは、いたたまれません。相手の言葉を曲解してネガティブ感情を発するというのは、わたしとしては強く親近感を覚えるものですが、だからこそ心配になります。放っておけません。

 正直なことを言えば、価値観に相容れない部分もありますし、言行にモヤモヤすることも少なからずあります。それでも「好き」が上回ります。恩返しにも重責を感じることもなく、楽しさと共にあります。関わる分だけ悲しかったり辛かったりする時もありますし、以前には事故でトラウマトリガーが刺激されることもありましたが、それらの発生の根底には好意と信頼の存在があります。
 ぺっこさんには、言葉で表現できない人物的な魅力があるのだと思います。いえ、言葉で表せる素敵なところもたくさんあります。(飾らないという意味で)清楚なところとか、お人好しが過ぎるところとか、真面目で責任感の強いところとか。配信者としては、声の良さも魅力に数えて良いでしょう。

 わたしが一生の恩義を感じるような優しい言葉をくれた方です。名乗り口上から天使エンジェルが消えても、わたしにとっては今でも「救いの天使」です。
 ともすれば迷走しているように見えることのあるぺっこさんですが、たとえ迷走でも、それは「走っている」のです。立ち止まらず、色々なことを考えて試しているのですから、ファンとしては応援したい気持ちになります。とにもかくにも、応援したい、見守りたいと思わせる魅力あふれる自慢の「推し」です。

優良ファンにはなれずとも

 「推し」という便利な覆いを剥いだ感情を並べましたところで、傍から見れば、わたしが「こじらせている」という評を頂くものと思います。それはそうです。人間嫌いなのに、誰かを好きでいるという状態は自己矛盾が生じているのです。論理的に破綻しています。「こじらせている」状態が発生して当然でしょう。そういった状態ですので、なにかしらが軋むのを感じることも、ままあります。

 「こじらせている」上に、わたしには他人との適切な距離感というものもわかりません。空気も読めません。行儀よく、正しい振る舞いで応援する優良なファンにはなれません。厄介ファンに分類されるものである自覚はあります。感謝や尊敬、好意を適切な形で表すことが、できません。己を顧みれば、いちファンとしての振る舞いとして不適なものが思い当たります。こうした記事を書くのも「お気持ち」などと揶揄されるものなのでしょう?
 
 別記事でも書きましたが、優良ファンにはなれないのなら、厄介ファンの手本になることがわたしの役割かと思っています。ギリギリ許される範囲での厄介ファンでいたいです。「あいつぐらいがギリギリのライン」と他ファンに知らしめられるような「模範的な厄介ファン」でありたいです。あるいは、すでにヤバい奴が居着いているところには、半端な「誰でもいいから」で寄ってくるような荒らし? のような人も来づらいでしょう。

 こと人間関係というものにおいては、わたしはいつも正しい側に立てませんが、だからこそ、蛇の道は蛇、邪の道はわたしです。正しくないからこそ出来るやり方で、どうにかお役に立ちたいと思うのです。一般的なファン心理として「推し」には幸せでいてもらいたいじゃないですか。

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