【感想】アニメ「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」

アニメ感想





 数年来、深夜アニメと疎遠になっていましたが、前々シーズンぐらいからは少しずつ視聴をするようになりました。それらの中のひとつとして、今期は「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」を観ています。

 元々、単行本第1巻が発売した頃から原作漫画の存在を認知しておりました。興味はあったのですが、中々手を出せずにいたところ、気づけば数年が経ちアニメ化していました。これ幸いと毎週楽しみに視聴しているわけです。

 導入について大雑把な要約をすれば、仮面ライダーに憧れたまま40歳を迎えた東島丹三郎が、ショッカー戦闘員に扮して強盗を行う輩に出会ったことをきっかけに、仮面ライダーになる話です。ヒーローに憧れる特オタなオトナというのは、現実にも創作にも珍しくないものですが、東島さんはやや毛色が違います。仕草をまねて憧れをいたいけに募らせるのではなく、本郷猛/仮面ライダーに近づくために体を鍛え、野生の熊と渡り合えるほどになりました。改造なしの修行のみでそれなら、世界観が違えば鬼として仮面ライダーになっていたかもしれません。

 演技ヨシ、作画ヨシ、劇伴ヨシ、番組再現ヨシ、毎回の引きヨシで文句の付け所がないアニメかと思います。
(原作未読の感想です。もしかしたら原作からの変更点などで不満のあるファンもいるかもしれません)

 言ってしまえば、はじまりは、幼少の頃の憧れを捨てられずにこじらせたよい歳をしたオトナの話ではあります。これが、わたしには他人ごとに思えず「刺さる」部分です。わたしは、ブログ内で度々「憧れのヒーロー」という言い回しを用いています。その言葉が指すのは仮面ライダーであったりウルトラマンであったりスーパー戦隊であったり、いろいろですが、よい歳をしたオトナが特撮ヒーローに憧れているということです。

 東島さん、よいですよね。
 アニメ1話で東島さんがコレクションを処分するシーンは、自身の思いに区切りをつけるということにどれだけ本気であったかよくわかります。自分が仮面ライダーになれた瞬間に感情が高ぶり涙を流すというのも、非常に共感できる部分です。思い出の食べ物が今でも好物になっているらしい描写も、オトナになった今の自分だからこそ感じる郷愁があります。

 令和の「仮面ライダー」シリーズ作品に登場する人物たちからも、東島さんは仮面ライダーとして好評を得られるのではないかと思います。ジョージ・狩崎はキャラソンのなかで昭和ライダーを指して「哀しみを帯びた強さ」と表現し、ケケラは仮面ライダーを「悲しき涙を仮面で隠す戦士」としています。過去から続く悲哀に由来する涙をお面で隠して(隠せていない)戦う姿は、仮面ライダーそのものと言えるでしょう。ついでに、ガッチャードライバーからも仮面ライダー認定をもらえるのではないかと思います。

 「一見冴えない奴(おじさん)が、戦うとめっちゃ強い」というのは、いわゆる「なろう系」的文脈であり、「お前そういうの好きじゃないって言ってなかったか?」と思われるかもしれません。それとこれとは話が別です。強くなりたい理由があって、修行して身に着けた強さであるのなら、説得力があるでしょう。リアリティライン? 知りません。管轄外です。

 東島さんがよいキャラクターをしています。応援したくなるキャラクターがいると、視聴継続の動機づけになります。今期も好みにあったアニメがあって、ありがたい限りです。

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