スーパー戦隊シリーズ終了の報に思うこと

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 2025年10月30日、わたしにとって衝撃的なニュースが、SNSで話題となっていました。1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」から連綿と続いてきたスーパー戦隊シリーズが、現行の「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」を最後に放送終了するらしいとの話です。

 ただし、これを書いている10月31日時点では、制作している東映からの公式発表はなく、あくまで、話題の元となった記事が言うところの「関係者への取材」が話の出どころになっています。顔も名前も所属もわからない、実在するかどうかすら不明な謎の関係者を信用できるかどうかは考えなければいけません。

 それはそれとして、この話題を聞いてわたしが感じたことというのは、シリーズの終わりに際しての心の動きとして嘘偽りのないものです。
 なので、記事タイトルとおりに「思うこと」を書いておこうというのが、今回の趣旨です。

終わりがあるのはわるくないこと

 シリーズ終了の報の真偽はさておき、「戦隊が終わる」ということについて、驚きはしましたが、わるいことだとは思いません。何事にもいつか終わりはくるもので、むしろ、それを見届けられないのはファンとして寂しい気持ちがあります。

 「作品は好きだけど、いつまで続くのかわからない」。「終わる前に自分の寿命が尽きるかもしれない」。
 そういう作品は、皆様もいくつか心当たるところがあるでしょう。たとえばですが、ジャンプ漫画で2作、わたしの頭に浮かんでいます。どちらも随分長く連載している作品です。あれらを熱心に追いかけていたファンが、その結末を見ることなく亡くなるということもあるでしょう。それは当人たちにとっての心残りになるかもしれません。
 
 50番目の戦隊というキリのよいところでシリーズを終えられるのなら、有終の美を飾ることができたといえるのではないでしょうか。

 終わりも見えずに長く永く続いていって、時代の流れやコンプライアンスやらに歪められ、幼少の思い出となったシリーズが醜く変わってしまう前に、よき終末を迎えられたとポジティブに捉えることができます。

玩具を追いかけるプレッシャーからの解放

 シリーズ作品としてのよき終末とは別に、これ以上、玩具を買い集めるのに大変な思いをしなくてよいのだと安堵している自分がいます。
 もちろん、玩具を買うのは義務や責任ではありません。完全にわたし個人の趣味です。しかし、その趣味がつらくなるほど、例年の玩具集めは楽しさとストレスの表裏一体でした。

 ストレスの度合いは戦隊よりライダーの方がはるかに大きいのですが、多寡はさておき、ストレッサーであること自体は間違いありません。
 今年の玩具であるセンタイリングを例に挙げれば、番組内で存在が明言されている50戦隊の指輪を集めるだけでも、それなりの労力を要します。買い集める為にかなりの金額がかかることもそうですが、お菓子売り場・ガシャポン・アパレル付属品など、多様な販売形態(ランダム商法含む)をそれぞれの売り場・発売日に漏れずにチェックしないといけないというのは、社会人にとってかなりの時間的ストレスとなります。
 発売日から数日遅れても買うことができるというのなら、何も気にしません。現実には、出遅れればすぐに売り切れるのが常になっている特撮ヒーロー玩具です。これが毎年のようにあるのですから、結構しんどかったです。仕事が忙しくて買い集められないとわかっている年には、最初からあきらめることもありました。

 ライダーの方が残るとはいえ、趣味なのにしんどい思いをするという矛盾に悩む時間が減るのは、少なからず解放感や安心感があります。

シリーズにはそれなりの思い出

 終わることを好意的に受け止めているとはいえ、寂しさはあります。
 わたしの幼少の頃、戦隊はまだニチアサという枠ではなく夕方に放送されていました。話がいまいちわからないながらも、毎週楽しみに見ていましたし、子ども相手に子供向け番組を茶化してマウントをとる父親に本気で怒っていたのを覚えています。大人になった今でも、あれはロマンのわからないツマラナイ大人だったと思います。

 作品に影響され、近所のスーパーに入っていた和菓子屋の前を通ると、高頻度で芋ようかんを母にねだっていました。
 子どもの頃は、ついぞ戦隊ロボの玩具は買ってもらうことができず、友達の家で触らせてもらった無敵将軍がとても好きでした。

 戦隊を離れていた頃も、当たり前に日曜の朝に放送されているものと認識していました。
 嫌々参加していた部活で、日曜の朝に練習に出かけなければならずに早起きしたときには、マジレンジャーに少しの勇気をわけてもらう日もありました。

 妻と交際を始めたころ、彼女の影響でキョウリュウジャーを毎週視聴するようになって、戦隊に戻ってきました。
 以降の作品は毎年観ていましたし、映画館に足を運んだり、ついにロボを家に迎えたりもしました。

 そんな風に、「あの戦隊の頃はあんなことがあったという思い出」は少なくありません。そのシリーズが終わろうというのですから、寂しいのは当然です。

情報公開のタイミングややり方が下品

 冒頭からの繰り返しになりますが、これを書いている10月31日時点で、東映公式から「スーパー戦隊シリーズを終了します」というお知らせはありません。あくまで、謎の関係者からの情報が根拠となっている報道です。

 これが大変に下品で気持ち悪いものに感じます。
 長く続いたシリーズの終わりですから、公式は、それなりの発表の仕方というのを準備していたのではないでしょうか。多くの人間が携わってきた歴史の積み重ねのフィナーレを、信憑性も測れないような形で公式に先んじて発表するというのは、表現者としてあまりに他者へのリスペクトに欠けています。半世紀続くシリーズの終わりという、歴史的なトピックです。閲覧数稼ぎが面白半分か知りませんが、そんな風にケチをつけてよいものではないはずです。

本当に終わるのだとしても

 謎の関係者からの漏洩によりもたらされた情報が真実であり、シリーズが終わるのだとしても、ファンがこれまでに積み重ねてきた思い出が消えるわけではありません。
 ゴレンジャーからリアルタイムで見続けてきた筋金入りのファンも、ゴジュウジャーから入った若い風も、それぞれの形で抱いた「戦隊が好き」という気持ちは誰に否定されるものでないです。

 毎年の戦隊が1年でその戦いにいったんの区切りをつけるように、スーパー戦隊シリーズという大きな括りの戦いが、いったん終わるというだけの話です。

 ヒーローの活躍に心躍らせ、憧れ焦がれ、熱くなった日のことを忘れずに、そこから教わった大事なことを胸に、日々を生きていくのなら、「戦隊」は終わらず続いていくのではないでしょうか。
 これから大人になっていく子どもたちばかりでなく、とっくによい歳の大人だって、あの日憧れたヒーローに少しでも近づきたいのです。そこに恥ずかしいこともわるいこともありません。だって、痛さは強さですから。

 シリーズが終わるというのなら、めいっぱいの「ありがとう」を贈るのが、ファンとしてのひとつの在り方だと、わたしは思います。

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