「何もしてないのに壊れた」
これは機械の故障や不具合が発生した時に唱えられるという呪文です。インターネット上でこの呪文の存在は知っていましたが、自分が関わっていて壊れたものについて、かくも無責任な言葉を発することがあるのだろうかと疑問に思っていました。私生活ならまだしも、仕事においては特にそうです。
ええ、しかし。
記事のタイトル通り、実在しました。遭遇しました。感動的ですね。だが無意味だ。
職場にて、パソコンの不具合だと呼ばれたので「いま、何の作業中でしたか?」と聞いたところ「何もしてないのに壊れました」と。
まず会話が成立していません。ディスコミュニケーションの権化であるわたしでも分かる程度には会話が成立していません。
改めて「現状から元に戻すにしても、原因がわかったほうが対応を考えやすいので、直前になにをしていたか順を追って教えていただけませんか?」と聞いてようやく事の次第を聞き取れました。そしてやはり「何もしてない」わけではありませんでした。
不具合の経緯は記事の主旨から外れますので割愛しますが、当該職員の操作が影響したものと推測できるものでした。
さて、実在を疑っていた無責任の呪文に遭遇して感じたことは「ああ、この人は起きている問題を解決するよりも、自分に責任がないことの主張を優先したいのだな」ということでした。
状況の聞き取りの始めに会話が成立しなかったのは、解決方法を探りたいわたしと、自分は悪くないと訴えたい職員との齟齬が原因でしょう。何もしてないのに勝手にパソコンが壊れたのであって、自分は悪くないのだと。対応方法を考えたいわたしに情報を共有して協力する気はないのだと。不具合が発生したと呼びつけたのは自分ですのに。
仮に、パソコンに不具合を発生させたことで何かしらの処罰が下される職場であったとして(もちろんそんな職場ではありませんが)、素直に解決に協力するのと、言い逃れをするのとどちらが「罪」が軽くなるかという損得勘定すらもできていないというのが、また腹立たしいです。
解決に向かわないという点も、呼びつけておいて非協力の姿勢を見せる点も、自己保身としてすら中途半端な点も、どこをとっても神経を逆なでするセリフです。
もちろん、発言する人間との関係性によっては受け取り方も違うでしょう。
たとえば仕事関係の人間でも普段からよくしてくれる人であったり、わたしなんぞに付き合って生きていてくれている妻であったりが「何もしてないのに壊れた」「ライダーシステムに不備はない」「だが私は謝らない」と言ったとて、特段気にすることはありません。……いえ、多少は不快に思うかもしれませんが、相手への好感度が下がるほどではありません。些事です。些事クロスロード。
わたしの場合は、事務所での仕事の一部にパソコンを使う都合でこのような事になりましたが、これがパソコンの不具合に対応することを主とする仕事であるのなら、そのストレスはさらに大きくなるものでしょう。考えて見て下さい。「パソコンが壊れたので直してください/助言を下さい」という依頼をしておいて、状況の聞き取りに協力する気がないと表明されるのは、とてもとてもとてもとても不快な事です。自分の手元に起きた問題について、解決を他人に放り投げる無責任さ。なんでしたか。一時流行った漫画のセリフで「生殺与奪を他人にどうのこうの」というのがありましたよね。あれに類するものです。
あるいは、職業人として日常的に「何もしてないのに壊れた」と関わっていると、もしかしたら一周回って慣れてしまって何も感じなくなるのでしょうか。
いずれにしても、職場において気軽に口にするような言葉ではないと思うのです。
本当に「何もしてない」と考えているのはわかります。しかし、それならもっと違う言い方や態度があるでしょう。ただただ、わたわたと「自分は悪くない!」と騒ぐのは大人のすることではないでしょう。
失敗することは誰にでもあるのですから、失敗後にどのようにリカバリーをするかというのが社会人としての評価対象になるのでないかと考えます。客先で粗相をしても同じく慌てふためいて、うるさくやかましく如何に自分が悪くないかを訴えるのか、という話です。
……というお説教をできるような立場でもありませんので、対応中の会話から言外のニュアンスというものを汲み取ってくれていればよいのですが。
「何もしてないのに壊れた」
これは少なからず相手に不快な思いをさせる呪文です。今回、身をもって知りました。
実在する「何もしてないのに壊れた」

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