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<1>書きたい/描きたいものとストレス
少し前にインターネットの中で見かけた話題なのですが、小説をコミカライズした商業作品でマンガを担当していた作家の方が、その際の体験を描いたものを同人誌として頒布し、批難を受けたようですね。
聞くところによれば、原作小説の内容がつまらないだか何だかと、悪し様に罵るものだったとか。なんでしたか。中世ラブロマンスがどうとかこうとか。
この話題については、あまり深追いしすぎると平静な気持ちでいられなさそうだったので、さわり程度を調べて終えていたのです。が、この度、これに関連して思うところができたので、記事の導入として触れさせて頂きました。
書き手であっても描き手であっても、なにか表現したいものがあるからこそ、それを志すものと思います。
他方で、職業作家のなかには、作品を作り上げることに楽しさなどは感じないものの、仕事として自身に適性があるから書いて/描いている方がいるとも聞きます。
今回は前者の、なにか表現したい自分の世界観のようなものがある方を想定して話していきます。
度々引き合いに出してしまい申し訳ありませんが、冒頭で触れた作家の方の振る舞いは、社会人としては褒められたものではありません。「お世話になった取引先」に対して不義理なものですし、ご自身に次の仕事がこなくなるかもしれないことを思えば、ほうぼうに不快感をばらまくだけの浅慮極まる自爆に見えます。
ただ、ひとりの人格としては理解できる部分もあります。
お世話になった原作小説をこき下ろすことに、何の理解ができようかと思われるでしょうが、これはあくまで「理解」であり「共感」ではないのです。ある種の理屈は通るものと納得したという話です。
職業作家としてマンガを描くにあたり、必ずしも自分の描きたいものばかりを描けるわけではないでしょう。なにかを表現したくて作家を志したのに、生活の為には描きたくないものを描かなければならないという、ままならない現実もあるでしょう。
わが身に置き換えてみて、仮にわたしが「ライトノベル作家」というかつての戯言を叶えたとして、わたしの書きたかったものが世間に受け入れられて、書きたいものだけ書くことが「仕事」として成立することはないものと思います。そこにストレスが無いわけはないですし、それに耐えられるかどうかはわかりません。
なにも作家だけの話ではありません。社会にでて働くのなら、下げたくない頭を下げ、呑み込めない理屈を呑み込み、自尊心というものを削り捨てて生きなければなりません。
描きたくないマンガ、書きたくない小説、下げたくない頭……道楽でなく労働として臨むのならば、これらのわだかまりにぶつからずにはいられないでしょう。
そういった点から、理想と現実の乖離に気持ちが腐ってしまうということに理解はします。
社会人として、その腐敗を表出させて他者を傷つけてしまうことについては、共感は難しいです。
冒頭の件については、社会で働くうえで誰もが抱える不満の解消法として悪手ではありましたが、その気持ちは人間として異常なものではないはずです。
<2>リクエストサイトにおいて
これらを踏まえて、記事タイトルにあるリクエストサイトの話に移りたいと思います。
今回わたしが何を思ったのかといえば、「リクエストの押し付けが作家への侮辱になり得るのではないか」ということです。侮辱というと、やや強い言葉にも思えますが、相手方にかかるストレスを考えればある程度の妥当性はあるのでないかと。
先の通り、「創作行為に面白みは感じないけど、創作の才能はあるから仕事にしている」という類の方でもなければ、表現したいなにかがあって創作活動をしているものと思います。
好きなように書いて/描いて、発表したりしなかったりと楽しむ分には、そこに発生するストレスは自身の技量と向き合っての内発的なものと思います。
しかし、有償無償問わずリクエストを受けての創作となれば、書きたい/描きたいものではない創作というのは外発的なストレス要因となり得るのではないでしょうか。
「自分はこれだけ素晴らしいものを生み出せるのに」
「自分はこんなものを書きたい/描きたいわけではないのに」
……と、そういったストレスに心を蝕まれることもありましょう。
それが有償リクエストであるのなら、「自分で請けた仕事だろう」「金を払っているのだから文句を言わずに書け/描け」と冷たく突き放す考えもあるかもしれません。しかし、それは生活の為に働かなければならない身分の人間に「仕事が嫌なら辞めればいいだろう」と言い放つのと同じです。
「お金の為」あるいは「創作技量の向上の為」などの理由があったとして、嫌なものを嫌と思う気持ちとは両立します。これを誰が咎められるでしょうか。
わたしだって労働は嫌ですが、生活の為に日々呻いたり唸ったり叫んだりしながらどうにかしているのです。これに「自分で決めたことだろう」「嫌なら辞めろ」と言われてしまえば、穏やかではいられません。「嫌な仕事なら辞めろ」は無責任で悪質で一方通行な言葉です。そんなことが言えるのは労働せずとも生活できる「よいご身分」の方でしょう。そういった方では、時間と体力と自尊心を金銭に変換して地を這う労働者の気持ちはわからないかと思いますので、この手の話題では相互不理解で仕方なし、です。
「このキャラクターを書いて/描いてほしい」だとか「こんなシチュエーションを書いて/描いてほしい」だとか、リクエストサイトに溢れる数多の願望は、作家にとってその心身を蝕む毒になり得るのではないかと。
かくいうわたしも、この考えに至るまでに、そういった我欲を先生方に向けてしまいました。
そこに金銭のやり取りが発生している以上は、請ける側は「プロ」です。
プロの仕事ですから、文句を顔に出さずに仕上げてくださるでしょう。ですが、だからこそ、その内心を察することはできません。冒頭の作家の方のように「なにが面白いのかわからない。2度と描きたくない!」と思わせてしまっても、こちらには知りようもありません。
<3>敬意を表して我欲を向ける
非常に極端な考えにはなりますが、我欲を込めたリクエストそのものが作家への侮辱になり得る以上は、その欲や願望といったものを除くことが敬意を表する為の正道でしょう。
しかし、それをリクエストと呼んでよいのかというと、何とも答えに窮します。一般的には「これを書いて/描いてほしい!」というのをリクエストと呼ぶものと思います。わたしの人生には無縁な高級飲食店であれば、マスター? シェフ? 大将? におまかせで何か作ってもらうということもあるらしいので、「この作家の作風ならどんなものでもお金を払う」というのが通用するぐらいの信頼度があれば、リクエストならざるリクエストもよろしいでしょう。
わたしは、お金をかける以上は多分に我欲を満たしたいです。当然のように「こういうのを書いて/描いてほしい」があります。
ですが、それは作家の人格への侮辱、作家性の冒涜、あるいは昨今の風潮をまねて「リクエストハラスメント」とでも呼ぶべきものとなるのかもしれません。
そうであるのなら、我々(と、あえて大きな主語を用いますが)はどうすればよいのでしょうか。
我欲を向けることの無礼を自覚しつつ、先方の心的ストレスを軽減すべく(実際に軽減されるかはともかく)、作家と作品への敬意・誠意・謝意を見せるほかないです。その敬意~ の表し方は、個々人に適した方法をとればよろしいでしょう。
これに関して、わたしがとれる方法はひとつしかありません。リクエスト金額の上乗せです。
わたしの軽い頭を下げたとて、わたしの薄い言葉を並べたとて、そこに敬意も謝意も誠意も見出すことはできないでしょう。軽薄な人格というのは、ひとからそう見られるものであると自覚しております。
その点、人格へ外付けで価値を付加できる「金銭」というのは、こういった場面で有効なものと感じます。「ありがとう」で腹は膨れず、「好き」で税金は納められないのですから、実生活においては軽薄な言葉よりも金銭が価値あるものというのは確かでしょう。
リクエストサイトにて、クリエイターが提示する金額に上乗せして依頼をするというのは以前から心がけていました。仕事をお願いするのなら、金払いは気前がよいのがお互い気持ちよいですからね。今後はそこに上記のような意味合いも持たせることにします。
あるいは欲を込めないリクエストにするかですね。
<4>プロ意識
最後に。
自ら有償リクエストを募っておいて、作家としてのプロ意識に欠ける方が相手ならば、敬意を払うだけ空しい気持ちになりますので、注意が必要です。
シリーズ記事の前回や前々回の分をお読み頂いている方ならばご存じかとは思いますが、リクエストを承認もキャンセルもせずに放置したり、平気で〆切を超過するクリエイターも少なからずいます。なんなら、これまでリクエストを送ったうち、体感4割ぐらいがそういった対応でした。
主にリクエストをキャンセルすらせずに放置する方々ですね。ご事情があるかと思ってみれば、当該期間中にSNSを平常時と同様に運営されていらっしゃるので、単に無視をされているということかと判断します。
提示された金額に上乗せをしようとも、依頼文に推敲を重ねて無礼のないよう努めようとも、それらを踏みにじる相手というのが存在しています。
一方で、極めて丁寧な仕事をしてくださるまさしく「プロ」の先生方もいらっしゃいます。
もし「プロ」に出会えたのなら、その縁を大切にしましょう。信頼できる取引先というのは、得難いものです。
そして、その先生方のストレスとならないよう、なるべく書きたいもの/描きたいものに即したリクエストにしましょう。
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