フェチ語りシリーズ3「ソレが好きな理由の自己分析」

フェチ語り





冒頭文と注意

 最初に断っておきますと、タイトルにつけました「フェチ語りシリーズ」の記事は今回含め、だいぶ気持ち悪いものになっていますので、閲覧注意ということでお願いします。
 特に女性ですとより不快に感じるものかと思いますので、間違ってここにたどり着いてしまったようでしたら、ブラウザバックをお願いします。
 また、お読み頂けました方も、わたしの好みについては見て見ぬふり、見なかったことにして他言無用でお願いします。性癖をあまり開け広げにするのは、はしたないかと思いますので、どうかご容赦を。

 



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 改めまして。
 おはようございます。シリーズ記事を書くにあたり記憶を遡行することで心的ダメージを負っている典藻のりもキロクです。

 いまのわたしはネガティビスト。
 そんなネガティブを塗り替える為にリビドーにまかせて記事を書いていこうと思います。フロイト先生、わたしに力を!

 ここまでの記事で性癖を自覚するに至った流れやそれに関する作品について触れてきましたが、今回はそもそもどうしてソレに対して性的魅力を感じているのかを自己分析していこうと思います。

 また、毎回の前置きで恐縮ですが、わたしのフェティッシュは肥満女性。
 つまりはぽっちゃりした女の子好き好きニンゲンということを前提に読んでいって頂ければと思います。

ぽっちゃりした女の子が好きな理由

母の影響

 まず最初に思い当たるのが母の影響でないかという説です。
 姉も妹も異性の幼馴染もいないわたしにとっては、一緒に過ごす時間が長い、一番身近な女性というのは母になります。ああもちろん、人格形成のもとになる子供の頃の話です。今は一番身近というのは妻になります。

 わたしの母は標準よりは肉付きのよい体型をしておりましたので、その身体のやわらかさを「女性らしさ」「安心できるもの」という風に刷り込まれているのでないかという考えです。

 性愛に通じるものかはわかりませんが、男性は女性に対して母性を求めるとも聞きますし、母性=肉付きのよさと脳が認識しているのなら、わたしが女性の好みとして「ぽっちゃり」を挙げるのに辻褄はあいます。
 わたしが相手の体型云々の前に聡明さ、やさしさといった頼りがいのある安心させてくれる人格を求めていることも、この説を補強しています。

「胸の大きな女の子」の影響

 シリーズ第1回の記事で触れましたが、わたしは中学の頃は自分の性的な好みは「胸の大きなお姉さん」だと思っていました。
 あるいは当時は本当にそうだったのかもしれません。

 当時のわたしは同学年のぽっちゃりした女の子にドキドキしていたわけですが、これはよく脂肪を蓄えた豊かな胸に反応してのものだったかもしれません。
 つまり、ぽっちゃり好きとしてではなく、巨乳好きとしてのドキドキだった可能性です。
 自認している性的好みが正しかったという仮説ですね。

 それが何故現在は明確にぽっちゃり好きになっているのか、なんならば胸が控え目でなおかつぽっちゃりしている女の子が特に好きという状態になっているのか。
 これはパブロフの犬的な事なのではないかと思います。

 胸の大きな女の子にドキドキする。
→胸の大きな子は相応にぽっちゃりしている。
→ドキドキする相手はぽっちゃりした女の子。
 こういった条件付けがなされ、ぽっちゃりした女の子は性的に魅力のある相手であると脳が設定したという説です。
 これもありそうです。

判別しやすい他人としての影響

 唐突ではありますが、わたしはヒトの顔や名前を覚えるのが非常に不得意です。
 昔からクラスメイトの名前が覚えられなかったり、せっかく覚えても長期休暇明けには顔と名前が結びつかなかったりで、名前を呼ばないといけない場面がくることを恐れていました。

 今でも変わらず不得意なままでして、ドラマなどで「役者は同じ別人設定のキャラクター」が登場して何らかのトリックやギミックに用いられても、劇中人物からの指摘や隣で見ている妻の補足がなければ同じ顔ということに気が付きません。
 ドラマのキャラクターは主に服装で判別しています。なので、レギュラーキャラがそれぞれのカラーの衣装を着ている「戦隊モノ」を好んで見ているのだと自己分析しています。

 この顔と名前を覚えられないことの原因として、単純に苦手であるということの他に、ヒトと話すときに相手の顔を見ないからということがあると考えています。
 相手の目や顔をみて離せないのは、話すこと自体が苦手な陰気な性格ゆえです。小さい頃は「シャイな子」でチャームポイントにもなっていたようですが、この歳になってみれば「不審者」の誹りも免れません。

 この「相手の顔を見て話せない」というのは女性が相手だと更に顕著です。
 そして、顔を見れないので視線を下げると胸元を見てしまう。胸元を見ているとあらぬ疑いをかけられてしまうので、更に視線を下げる。あるいはまるきり視線を逸らす。
 視線を下げる場合のその先にあるのはお腹です。

 視界に入る服装という情報で相手が誰かを判別できるようにも思いますが、現実の人間はルパン三世やのび太のようにいつも同じ服を着ているわけではありません。
 ですが、服装など関係なしに見分けがつく相手がいます。
 そうです。ぽっちゃりさんです。

 胴回りが明らかに大きいと、それだけで相手が誰かという候補がかなり絞られます。
 「この子は太っている。ということは○○さんか××さん。そしてこの喋り方と話題の選び方は××さんの方か」と相手の情報を一致させるまでの過程がスムーズに進行します。
 これは非常に助かります。

 「標準体型」という言い方があるように、つまり痩せや肥満は「標準ではない」ということで、その人数は「標準」に比べて少ないので上記の思考過程の円滑さにつながるわけです。

 こういったことから、相手が誰か判別しやすい=誰かわからない相手と話すときに感じる恐怖が薄い=比較的に好感度が高い状態が維持される という感覚が身に染みついていることで、ぽっちゃりした女の子が好きという現状に至っているのではないかと考えます。

先天的なもの

 小難しい理由はなく、持って生まれた性癖という可能性です。
 生まれながらのぽっちゃり好き。運命づけられたぽっちゃり好き。遺伝子に刻まれたぽっちゃり好き。
 ものの見事に、特に痩せ型に食指が動かないことを考えると、これもあるかもしれません。
 また、第2回で触れたように幼稚園の頃に見た「カーレンジャー」の肥満化シーンが記憶にあるあたり、性の目覚めよりも早い段階からそういう趣味だったのかもとも思います。

複合説・自己強化説

 物事の原因というのはそうシンプルなものと限りませんので、ここまでに挙げてきている可能性の複数が混合していることもあると思います。
 また、そうして生まれた「好き」の度合いが最初は小さくとも、繰り返しぽっちゃりの性的魅力に触れることで「自分はぽっちゃり好き」という認識を強めていったように思います。


 まあ、要するに、始まりはどうあれ今好きなものを好きでよいだろうということです。元も子もない。

おわりに

 というわけで、ぽっちゃり好きのルーツを探る自己分析でした。
 これといった答えは出ませんでしたが、そこは個人ブログらしく「調べてみたけどわかりませんでした」というオチもよろしいかと。

 多感な時期にぽっちゃり女性に関してエッチな体験のひとつでもしていれば、それが性癖の原風景になっていると言い切れるのでしょうが、生憎わたしは未だに現役で「魔法使い」なので、そういったこともなく。

 とはいえ、どの仮説もあり得そうなことなので、最後に挙げた複合説が答えとして適当なのではないかと、自己推理を締めたいと思います。
 今回はイラスト考察でもないのに少しKeylockの振る舞いをした典藻キロクでした。

 併行して進めている下書きも少しずつ形になってきていますので、また次回もお読みいただけると嬉しく思います。


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コメント

  1. まつ より:

    こんにちは(*^^*)
    今回の記事も楽しく読ませていただきました☺️

    人の顔と名前を覚えられないの、めちゃくちゃ分かります!笑
    私も同じです(´;ω;`)
    小、中、高のクラスメイトの名前を思い出そうとしても仲良しの数人しか思い出せません…

    あと、洋画を見ていると特にそうなのですがこの俳優誰だっけ?
    となることが多々あります。
    顔が似すぎですよね😖
    分からないまま物語りが進んで、終わる頃にあの人だったのか!や、
    え!あの人いつの間にかいなくなってる!
    みたいな感じです笑

    なるほど、体型で誰なのか判断するのは興味深いし面白いです☺️
    お腹を見て喋っているのは可愛いですね︎👍

    ここ何回かの記事でぽっちゃりさんを好きになった理由をどんどん知れて、勝手に喜んでいます笑

    相手を知りすぎると傷つくこともたまにありますが、こうやって仲良しな人ができる事は純粋に嬉しいのです☺️

    次の記事も楽しみにしております。

    • 典藻キロク より:

      こんにちは。いつもありがとうございます。

      顔と名前、覚えられませんよねぇ。
      洋画についても、まさにそういう状況になることが多いです。
      あちらの役者さんは特に見分けられないので、困りものです。

      ヒトの判別がつく能力を持って生まれていたら、今と違う世界で生きられたんだろうなと思うこともありますが、
      それが無いために、先生にもお褒め頂いた「観察眼」が身に付いた面もあると思いますので、これもまたある種の天賦の才能であると思うことにしています。

      続きも鋭意作業中ですので、またよろしくお願いいたします。

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