インターネットに戻ります。

その他





冒頭文

 おはようございます。今回は特に名乗りが思いつかない典藻のりもキロクです。

 インターネットに戻ってきました。
 デジタルデトックスといって去っていましたが、期間中もデジタル機器を用いて生活していたので、正確にはインターネットデトックスでしたね。
 いまいち毒素の抜けた感じはしませんが、よくよく考えれば典藻は本質的には毒性・悪性を主とした構成物なので、毒が抜けたら消滅してしまいます。危ないところだった。


 期間中、ご連絡をいただきました方々のお言葉が嬉しかったです。ありがとうございました。
 十全には復調しませんでしたが、ご心配をおかけしない程度には持ち直しましたので、戻って参りました。お騒がせしました。

経過

 人間とその言葉や振る舞いに対する不信感、それらに関しての見捨てられ不安が強まったきり、戻りません。
 おおよそ10年前の調子がこんな具合だったので、懐かしく感じます。

 10年をかけてセルフケアを試みて、なんとかなったと思っていましたが、自分に向けられたわけでもない害意に共鳴してしまったようですね。
 ついでに、好意を向けた相手に拒絶されたのたうつ他人の姿に、かつての自分を幻視して、常在していた罪悪感が大きく膨れ上がってしまいました。
 
 妻からは「今日は全然喋らない! 体調悪い? 熱中症!?」と心配されてしまいました。
 期間中に1日、妻の部屋で仮眠をとらせてもらい、体力的にはだいぶ疲れがとれたように思います。エアコンがあるのはよいですね。自室は扇風機が唯一の涼ですので、心の不調のみならず少なからず熱中症の「け」はあったのかもしれません。
 同じく妻から「可能な範囲で生きろ」というありがたい声かけも貰ったので、可能な範囲で生きようかとは思います。

 ふとした瞬間に「ぼくなんかに妻が時間を割いてくれているのが申し訳ない」という考えが過ります。
 これは不味い兆候だと自覚はしているものの、不随意の罪悪感の発生は止めようがありません。
 やばい。

 仕事中、社用車内は同乗者がいないのが救いで、急に不安やら罪悪感やらが沸き上がって呻いたり叫んだりしても平気な環境なのが幸いでした。



 人間嫌いなりに、他人を信じてみようだとか、罪悪感と共存するものであっても他人に好意をもつことを諦めずにいこうとか、そういった前向きな進歩が10年分後退してしまいました。
 まあ、気持ちが10年若返ったと思えば、ポジティブなことかもしれません。


再発防止策

 よく考えずとも、そもそも人間は薄皮1枚向いてみれば嘲り・裏切り・独善が零れ落ちるほどに満ち満ちた信じるに値しない生命です。
 しかしながら、社会というものの中で生きる為に、その「薄皮」を厚く厚く仮面のように成形し、本性を隠して自分も他人も騙して、だからこそ、そこそこ平和にまあまあ円満に皆様過ごしていますでしょう。

 これは現実世界での話。
 場所を移してインターネットでは、どうも話が違っていたようです。

 「薄皮」を自分で脱ぎ捨てて、剥き出しの害意を振りまくことが、どうもありふれているようです。
 わたしの天敵である女子中高生のような自分勝手でまっすぐで、清々しい他害。
 時季にあったジメジメとした文字通り陰湿な振る舞い。


 職場でもどろりとした人間関係をみることはありますが、その対立も仕事のやり方に関するもので、その先にいるお客様のことを考えているからこそ発生する諍いです。
 相手を傷つける為でなく、自分の仕事をしやすくする=自分の思うよりよいサービスをお客様に提供する為のものなので悪態も陰口も耐えられます。


 しかし、わたしを嘲っていた「彼女たち」を思い出させる害意にはどうも耐性が無かったようで、今回の受傷となりました。
 いえもちろん、わたし程度の「嫌な記憶」を心の傷=トラウマなどと大げさに呼ぶことは致しません。
 ただの嫌な思い出です。

 まさか30を過ぎて、よい歳をしたオジサンになってから女子中高生的な陰口を目にしてしまうことがあるとは思いませんでした。
 ……というのが改善すべき点です。再発予防に肝要な部分です。


 老若男女が利用するインターネットで人間同士の交流を眺めたり、あるいは自分も参加するのなら、苦手とする「若者」と関わることもあるだろうと予想していなかったのが、わたしの落ち度です。
 心構えさえあれば、何のことはありません。
 幸いにして10年分後退した今のわたしは他人を信じることができませんので、不信という心の壁があれば平気でしょう。




 あと、ツイッターにおいては「ミュート」という機能があると教えて下さった方がいました。普段使わない機能は存在すら認知していませんでしたので、教えて頂けるのは助かります。
 具体的にどういう機能なのかインターネットデットクスの為、期間中は調べられませんでしたが、内容を確認してみて有用そうなものであれば活用してみようかと思います。


期間中の出来事

少し贅沢なカレーを食べた

 天の道を往く人……のおばあちゃんに曰く「病は飯から。食べるという字は人が良くなると書く」とのこと。
 ですので、少々贅沢かとは思いましたが、常食の一部であるレトルトカレーとして、普段は買わないボンカレーゴールドを買って食べました。
 普段買うものは税込み108円。ボンカレーゴールドはお値段170円台でした。
 しかも、4食も買ってしまいました。さらには福神漬けやらっきょうも買いました。ふふふ、リッチ。

 レトルトカレー全般にいえることではありますが、パックごはんと合わせてレンジで数分であんなに美味しい物が食べられるというのは素晴らしいですね。
 具材が形を保っているタイプのレトルトカレーなのもよいです。

 箱ごと温められるというのも便利です。
 そしてなにより、パウチの「ここから切れます」がきちんと、しっかり、きれいに切れるのが感動的です。テクノロジーを感じます。


 また、カレーではありませんが、仕事中の昼食としてスーパーで普段選ばない価格帯のお弁当も食べてみました。これもまたよかったです。また機会があれば食べてみたいです。
 あと、心の具合があまりよろしくないこともあり活動性が平常時以上に低下している為、食で贅沢をした分も含めて、多分増量しました。測っていませんが、多分。

妻に性癖がバレた?

 熱中症を疑われたのか妻がいつも以上に優しかったです。
 「なんか今日は優しい」と言ったら「いつも優しいけど?」と返されました。そりゃそうじゃ。

 そういうやり取りの中で、なぜか普段はしない妻の体重の話やら服のサイズの話やらが差し込まれました。
 どういう心境の変化かと思っていましたが、こうしてインターネットに戻りましてブログの閲覧数を見たところ、性癖バレにつながりそうな記事の閲覧数が増えていたので、もしかしたら読まれてしまったのかもしれません。バレてしまったか……。

 レディーの体重の話やサイズアップの話は、わたしのフェティシズムに刺さるので、なんといいましょうか、こう、ドキドキしますね。
 大事な大事な可愛い妻に劣情を向けたくないので、困ってしまいますね。わたしはどうすればよいのか。

バイセンテニアルマン読んだ

 以前に絵師の先生に薦めて頂いた映画の原作にあたる短編小説「バイセンテニアルマン」を読みました。
 妙に仕事が忙しかったことと、そもそもわたしは本を読むのが苦手なのでずいぶん時間がかかってしまい、短編集のほかの話を読むことはできませんでした。
 また、映画「アンドリュー」はDVDを買ってあるものの、未視聴です。楽しみです。
 
 普段読まないジャンルの話だったので面白かったです。
 最後の場面がとてもよかったです。身体のみならず、他者を愛する心もあるなら、彼は間違いなく人間だったのだと思います。

らんま1/2読んだ

 推しの天使が宣伝していた漫画を読みました。
 中古本のセットで購入したもので38冊という大ボリューム。

 上記の「バイセンテニアルマン」を読むためにかけた時間が思いのほか長かったので、こちらは38冊中の1冊しか読めませんでした。
 少々以上に気持ち悪い動機から12巻だけ読んでいます。

 話の途中からなのでキャラクターの相関や設定はわからない……と思ったのですが、流石名作です。途中から読んでもおおむね把握できる上、きちんと話も面白い。かつてブラックジャックを読んでいた時の感覚に近いものを覚えました。

 男性キャラクターがそれぞれ懸想する相手に対してマジメなのがとても好印象でした。
 あと、シャンプーがかわいい。

そのほか

 仕事に生活を侵食されてしまったので、取り立てて変わったことがたくさんあったわけではありませんでした。
 が、平常時の趣味に関することや、興味はあれど手を出していなかったアレなコンテンツに触れてみたりと、個別記事にできそうな体験もありましたので、こちらはまた後程。

おわりに

 さて、他人を信じられないのが再発して、また生きづらさが増してしまいました。
 とはいえ、わたしは所詮自己愛のケダモノ。
 つまりは、わたしの愛するわたし自身が見定めたことは信用してもよいのではないかと考えます。
 ですので、他人を信じるのではなく、他人を見定めた自分の目を信じるという詭弁で誤魔化して、どうにか生きていければと思います。
  
 
 悲しかったり怖かったり幸福追求罪を強く感じたりというのは、わたし自身の中にある原因にSNSの悪意が偶々クリティカルヒットしてしまった不慮の事故でした。
 誰が悪いかというのなら、原因になる要素を持っていたわたしが悪いということで。なにせ自分でも嫌になるほど自覚している悪性ですし。

 自分が悪いので仕方ないと思いつつ、残念なこともあります。
 
 今回のあれやこれやで、神絵師と崇める方の絵柄に諸々の嫌な記憶が紐づけられてしまいました。
 先生の絵に対して、不安感や罪悪感が思い出されるというマイナスの動機づけがされてしまったのが、とても残念です。
 多分しばらくの間、好みの絵柄を見るだけでネガティブ感情が沸き上がることになります。悲しきパブロフの犬となりました。呪いでしょうか。

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