「人生の教科書」と呼んでいるギャルゲ・エロゲ、「憧れのヒーロー」と呼んでいる仮面ライダーをはじめとした特撮ヒーロー……これらを参考に、わたしは手の届かない理想像に手を伸ばしています。かといって、これらだけが情操の発達に影響したすべてかといえば、もちろんそういったことはありません。
望むと望まざると関わらず関わるほかない他人であったり、上記以外の数多の作品であったり、学びを得たものはたくさんあります。
後者の中で、「人生の教科書」を受け入れる下地になったものとして「.hack//」シリーズの存在は大きいものです。ゲーム、アニメ、漫画、小説とメディアミックスを盛んに行っていたコンテンツでして、ひとつの事件の前日譚や後日談、同じ時間に起きた事を様々な人物の視点から描くことで物語に厚みを増していくのが好きでした。作品に対して設定やら資料やら関連物を調べて考察するという楽しみを覚えたのもこのシリーズがきっかけですね。
(考察云々に関していえば的外れな意見を並べるだけの悪癖でしかありませんけれども)
中学時代にシリーズを知り、ちょうどアルバイトを始めた高校時代にコンテンツの最盛期(だとわたしは思っています)が重なった為、メディアミックスの各作品に触れられたのも熱心に追うことのできた理由ですね。
そのシリーズの中でも初期に作品にあたるアニメ「.hack//SIGN」から得た学びが記事タイトルのセリフです。
「優しくないな」
「優しいよ。甘くはないけど」
第1話において主要キャラクターの間で交わされた会話で、この後も何度か同様の発言があり、当該キャラクターを象徴するセリフのひとつになっています。
優しさと甘さとが違うものだというのは、当時のわたしには無かった視点でした。考えてみれば、たしかに優しさと甘さは必ずしもイコールになるものではありません。表面上は優しさに見えるだけのものも、その実ただの甘やかしでしかないということもあるでしょう。
言葉としてわかったつもりでも、実践するのは中々難しいものです。
新社会人、正社員として働き始めたころのこと。上司に注意されたのは「〇〇くんは他人に甘い」ということでした。わたしなりには理屈の通る形で仕事を代わったり、「これやるの嫌だろうな」という仕事を頼まず自分で処理したりということをしていたから……だったと思います。
優しさと甘さとを切り分けているつもりで、ただ甘いだけというのは、優しさを理解していなかったからだと思います。今でも何が優しさかはわかりませんが。
その上司は職場を辞めていったのですが、後年にばったり再会した際にお互いの近況を話す機会がありました。
当時の近況として「××さんが少し仕事が大変そうですけど、個人で解決できる範囲の件数かと思うので任せています。わたしが引き受けたところで、体を壊すのはわたしですし」というような話をしたところ、驚いたような顔で「甘さがなくなったね」と言われました。語調からポジティブな評価だったと受け止めています。
優しさはわかりませんが、甘くはなくなったということですね。人を見る目が確かな元上司が言うのですから、間違いありません。
優しさと甘さを履き違えなくなったというのは、かつて得た学びをようやく血肉にできたようで嬉しかったです。
先述のセリフのほかにも、勉強のできないバカと勉強しかできないバカの話も目から鱗でした。含蓄のある作品です。
わたしですか? 勉強も勉強以外も出来ないバカだと思いますよ、残念ですけど。いつかはこの学びも我が身に吸収したいものですね。
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