皆様は紫 和泉子というキャラクターをご存じでしょうか?
まあ、おそらくご存じないでしょう。残念ながら、それほど有名なキャラクターではありません。
紫 和泉子は、わたしが人生の教科書と呼ぶギャルゲ・エロゲの中でも特に影響を受けた作品「D.C.」シリーズに登場するキャラクターです。
インターネット画像検索をして頂けますとわかりますが、彼女の一番の特徴は、他のヒロインと並んでも目を引くその容貌にあります。容貌……といいますか、はい。外見上はピンク色のクマの着ぐるみです。
アニメ版にも彼女らしき人物が登場していますが、一度も発声がなく、いわゆるモブの扱いです。しかし、あまりにも目立つ。
その正体は異星人であり、シャケおにぎりイーターであり、同人版でポーカーしている時にやたら声量が大きく、それら諸々の突飛な設定も関係なくなるような、ただただ可愛い女の子です。
……と、このような導入をしてはいますが、紫和泉子のキャラクター性についてが今回の本題ではないのです。
人生の教科書の1ページである彼女のシナリオから得た学びの話をしたいのです。
当該シナリオを読んだのは、もうかれこれ十数年も昔のことなので、一言一句思い出すということはできません。教科書を暗誦するほど真面目な学徒ではありませんので。
しかし、逆に、それほど時間が経っても影響が残っているという点で、大きな学びだったとお分かりいただければと思います。
ここで記事タイトルの「私のどこが好きなの?」という問いかけに触れたいと思います。
これは、明確にどこで聞いたかわからないのに、誰しもが何故か耳にしたことのある「恋人からの定番の問いかけ」です。
実に陳腐な言い回し……いえ、失敬。ありふれた、つまらない、不毛な……。どれも不適切ですね。ええ、はい。人類にとって普遍的な、とでも言っておきましょう。そういった問いかけです。
わたし自身、甘い甘い恋人時代に妻から問われたことがあります。
人が人を好きになるにあたり、なにかしらの自覚的な要素が存在していると思います。外見が好みである、内面が都合がよい、金銭的に魅力がある……等々、自身にとっての欲望を満たしてくれる相手であるということです。
であるのなら、それらを正直に答えることが、上記の問いに対する正解なのでしょうか。「顔が好き!」「やさしいから好き!」「お金持ちだから好き!」と。
いえいえ、それは如何なものでしょうか。
ただの戯言としてであれば、如何様に答えてもよかろうと思いますが、真剣に訊かれているのなら、これらの答えは不適格です。厳密には、これらの答えが出てしまうのなら、その相手のことを本当に「好き」ではないのだと、わたしは考えます。
人生の教科書に学びをわたしなりによく咀嚼して身につけた考えになりますが、こと恋愛感情という意味合いでの「好き」であるのなら、「どこが好き」には答えが無いのです。
顔が好き、やさしいから好き、お金持ちだから好き……このように答えるというのは、裏を返せば、怪我で顔の美しさが損なわれれば好きでなくなり、病気で人格に変調をきたせば好きでなくなり、不運で財産を失えば好きでなくなるという程度の「好き」でしかないことを自ら喧伝しているようなものです。
健やかなる時も病める時も、雨にも負けず風にも負けず、東奔西走云々かんぬん、死がふたりを別つまで。それだけの気持ちが無いのなら、それは恋愛感情における「好き」として成立していないのではないでしょうか。
傷病がなくとも、時間の経過によって人間は外見も内面も変化していくものです。そういった前提があるのですから、今この瞬間の「どこが好き」であるかという問いかけも、それに対する答えも、無為なコミュニケーションなはずです。
だって、あなたの存在すべてが「好き」だからこその恋愛感情なのですから。
誰かから見れば欠点に見えるようなことも、あなた自身がコンプレックスに思うものも、これから変わっていく色々なことも、変えることのできないこれまでのことも、あなたの全てが好きだから、今こうしているのです。
それが、誰かを「好き」になるということであり、「愛する」ということではないでしょうか。
あくまで恋愛的な意味で、ということについては改めて断っておきますが。
そんな持論の話でした。
この学びを与えてくれたD.C.はよい作品です。
当該シナリオは全年齢版の「D.C.P.S.」または18禁版の「D.C.P.C.」で読むことができます。機会があれば、ぜひお手にとってみてください。シリーズ作品も良作揃いでよいですよ。ステルスマーケティング。
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