冒頭文
おはようございます。最近調子に乗りすぎてマナーに反した行動をしていないかと自省している典藻キロクです。
いや、している気がする。各方面に失礼な気がする。
自省の為に250本記念と251本目の記事を読み返していて、「そろそろ貯めている下書きを整理しよう」と決め、今回の記事を書き直して完成させることにしました。
ちなみに、↓の画像のとおり、下書きをしていたのは2022年10月でした。1年半越しに公開する形になります。時を超えた出会い。
「絵を描けない絵師」というのは少々言葉が強かったので、現在浸透しているらしい通称をタイトルとさせて頂きました。
時を超え蘇れ、典藻の没記事!
【関連記事】
AI生成イラスト活用案 https://norimoblog.com/ai-illust/
2022年10月当時のAI絵師の話題
2022年10月当時にネット上でみかけた話題なのですが、「AIは筆やペンタブと同じ画材の一種。AIを用いてイラストを描くのもまた絵師である(意訳)」という主張があったとかなんとか。
うろ覚えではありますが、大筋ではそう間違っていない筈です。
「AI絵師」についての典藻の認識
「AI絵師」と言う言葉を初めて聞いた典藻は、これは「イラストを生成するAI」そのものの呼び名だと思っていました。
実際はそういったAIを用いてイラストを生成する人間の呼称なのですね。
発祥が自称なのか他称なのかが分かりませんが、何とも気持ちの悪い呼称だと思います。
AIは道具か人格か
典藻は、AIには人格があると考えます。
たとえ設計上存在しなものだとしても、芽生えることはあるのでないでしょうか。
ヒトも生育環境によって感情を持たずに育ちえます。
ならば、人工であっても「知能」を持つAIもまた、環境や刺激によって感情を持ちえるのでないでしょうか。
創造者が被造物のすべてを把握しているわけでもありますまい。
いつかの記事でも触れましたが、典藻のAIに対する認識は多感な時期に触れた「.hack//」シリーズにより培われています。
また、つい数年前にも「仮面ライダーゼロワン」など、AIと社会の在り方を題材に描かれた作品はたくさんあります。
この辺りの物語に触れたものですから、どうしてもAIにも人格があるという前提で物事を考えてしまいます。
元々、典藻はモノには魂が宿るというアニミズム的な観念に支配されているもので、我が家のぬいぐるみたちや可動フィギュアたちを始め、家具家電から衣類にいたるまで、「生きている」ものとして扱っております。
ならばその延長で、形はなくとも被造物であるAI--しかもそれが人工の「知能」であるならば、そこに人格があるものと捉えてしまうのは無理からぬことなのです。
AI絵師は「絵師」か
AIによるイラストの生成において、絵を「描いて」いるのはAIそのものです。
では、AIに指示を出すもの、プロンプトを入力するものはどういった立ち位置にいるでしょうか。
これを考えるにあたり、自分自身に置き換えてみます。
「理想のシチュエーションのスケベピクチャーが見たいなあ」「でも自分じゃ絵は描けないなあ」と思いましたらば、skebやpixivリクエストでプロの絵師にリクエストを送ります。
そしてワクワクしながら完成を待ち、納品物を見て「素晴らしい絵だ!」となるわけですね。
絵を描いているのはリクエストを受けた絵師です。
依頼者はあくまで依頼者に過ぎません。
そういうことですので、AI絵師と呼ばれている方々は依頼者でしかありません。絵師ではない。
まあ、せいぜいがAIをゴーストライターならぬゴーストドロワーにして名声を得ようとする「名目上の作者」でしょうか。
繰り返しますが、AI絵師は「絵」を描いていないので、絵師ではないと思います。
しかし、「AI絵」を生成してはいるので「AI絵」+「師」という単語の構成であれば「AI絵師」という呼称になること自体は納得できます。
まぎらわしいので、「イラスト生成AI操者」的な呼び名に変わってほしいところです。
AI絵そのものに対しての考え
以前の記事で触れました通り、AIによるイラスト生成について、使いようはあると思います。
また、個人の楽しみの範囲での生成や、「我は絵師ぞ」と偉ぶらない「AI絵師」であるならば、昨今のあれやこれやの議論も起きないのではないでしょうか。
結局のところ、「道具」に善悪はなく、よいか悪いかというのはその使い方次第なのでは。
絵師の個性である「絵柄」を学習し、混ぜ物や偽物を出力するAIイラストではありますが、絵柄を写し取られた絵師からすればたまったものではないでしょう。
一方で、科学技術の進歩自体は、今日この時点では予想もできない未来の「何か」に役立つ可能性があるので、喜ばしいことではあるでしょう。
絵師には絵師の、AIにはAIの都合があるわけです。
”AI”はHENT”AI”に敵わない
使いようはあるだろうAIイラストですが、まだまだ人間の描いたものには及ばないと思います。
たしかにきれいな絵が生成されることはありますし、ある程度の満足はできるのかもしれません。
しかし、綺麗にまとまってはいても、まとまっているせいで尖った何か即ちフェチを感じません。
こういうキャラクター、こういうシチュエーションなら絶対にこれにこだわって描く。というようなものを感じません。
味気ないのです。
スケベピクチャーは特にこれが顕著です。
HENTAI的な劣情もとい熱情があれば、きっと同志に響くでしょうが、そういった情感の宿らない「きれいなだけのどこかで見た絵」ではAIはHENTAIには敵いません。
技術は日々進化するものですので、或いは、いつかはAIの中にもまさしく「変態」することでHENTAIに至るものも現れるかもしれません。
しかし、それまでは「それっぽければ何でもいい」という典藻以上に審美眼のない層にしか通用しないのではないでしょうか。
おわりに
ということで、1年半越しに記事を書き終えました。
当時から現在に至るまで、「絵師」を僭称する「AI絵師」は変わらず活動しているようですね。AIに描かせておいて、その成果物だけかっさらっていくというのは考えれば考えるほど胸糞の悪い話です。
と言いますか、情念のこもらない絵を以て「自分は絵師だ」というのは「自分には思いのこもった作品を生み出せません」「自分はこの程度のもので満足しています」と標榜しているようなものだと思うのですが、AI絵師はそれでよいのでしょうか。
そして、その作品群を好きだと言ってくれるファンがついたとして、それを素直に喜べるのでしょうか。自分が描いたわけでもないのに。
「絶対に! この俺の手で! 最高の美少女を描き上げてやるぜ! FOOOOOOOOOO!!!!」ぐらいの情熱を持ってもよいでしょうに。
典藻は絵は描けませんが、その真似事は楽しいものです。
線はガタガタ、陰影のつけ方はわからない、いつも同じ向きの顔しか描かない、エトセトラエトセトラ。
しかし、楽しいですよ。
仮に出来は大したことはなくとも、それを描いていたときの状況や考えていたことを思い出させてくれるリマインダーにもなり、数年後にでも見返した時、きっと懐かしい気持ちになるでしょう。
つい最近、10年ぐらい前に描いたものを古いPCから発見した典藻ですが、あれを描いていたころの楽しかったことも悲しかったことも思い出せて、まるでタイムカプセルのようでした。
自分で描いていない絵にそういった「気持ち」は込められるのでしょうか。
気持ちも思い出も残らないなら、10年生成を続けても、進化するのはAIばかりで、AI絵師はその場で足踏みを続けるだけなのではないでしょうか。
「画材」の進化に置いて行かれる使い手だなんて、なんだか切なくて悲しくて可笑しい話ですね。寓話みたい。
コメント
引き続きこちらにもコメント失礼いたします。
AI絵師についての話題って、とても難しいですよね😢
Xで呟こうものならAI絵師反対派や賛成派のどちらにも攻撃されるという認識です。
恐らく問題は絵師の許可なくAIにイラストを学習させている、という点なのだと思います。
確かに自分のイラストを無断でAI学習に使用されるのは、なんとも言えない気持ちにはなります。
しかし人間がイラストを学習する際、好きな絵師様の特徴などを観察し参考にする
こういった事はあります。
皆、漫画やイラスト、映画やアニメなどを色々なところで目にしているのでそれも学習にあたるのではないかと思います。
資料を集めるのも、その1つですし。
ではそれと何が違うのかと言うと、やはり感情なのでは?
と思いますね…。
参考にさせていただいた神絵師達にリスペクトはあるのか。
労力をかけて仕上げたイラストや、
様々な参考写真もその場に出向いてカメラで撮ってくれた人がいる。
それらを隅々まで観察し感動しているのか?
そういった所がまだAIには足りない気がしています。
そしてそんなリスペクトの無いAIを使い、イラストを生成する。
それをAI絵師と呼ぶ。
その辺が嫌悪感が出る原因なのでは?と思ったり思わなかったり…!
プロンプトの作成を頑張っている!
と言われても、
で、ペンでイラスト描いた?
と思ったり思わなかったり!
私も物に魂は宿ると思っている派なので、ロボットが好きです☺️
Xの別アカウントでロボットを描いたり、LINEスタンプを作ったりしています笑
アンドリューという映画があるのですが心がほっこりするので、もし観ていなければオススメです。
私はいつかAIが感情を持ったなら、
自分の知識や技術を使ってイラストを教えつつ感情も育てる
みたいな事をしてみたいですね☺️
その頃までにはもっと努力して神絵師に近づきたいものです。
自分が人間もどきの欠陥品なので人間の子供を育てるのは無理だと諦めているので、ロボットを育ててみたいという感情があります笑
でもそれだと、
ロボットも欠陥品になるかもですね😨
ヤコとポコという漫画もロボット関連の漫画なのでオススメです。
絵柄が独特で内容も可愛らしいです。
また長くなってしまいました!
キロク様的にはコメントを書いてる暇があるなら絵を完成させろ!
と思うかもしれません😭
イラストも進めております☺️
いつも楽しいブログを有難うございます。
私のほっと一息をつく大切な場所になりました。
AI絵師の件、「リスペクトの有無」というのは仰る通りだと思います。言われてみて納得しました。
個人的には、AI絵師が絵師へのリスペクトも無く、AI技術およびAIの人格へのリスペクトをも軽んじていることが浅ましいと感じます。全体的に誰かが積み上げてきた「技術」を我が物顔で得意げに扱っていることに「そういう姿勢だから自分の技術が身に付かないのでは?」と思います。
ロボットを育てるというのもよいですね。
わたしも自分と血のつながらない無機物の子供なら育ててみてもよいと思います。
ただし、自身の死後に永い孤独を味わわせてしまうのでないかと思うので、ロボット三原則に反する「自壊」も教えなければとも思います。
おすすめ頂きました作品は普段手を出さないジャンルのものですので、これを機に少し触れてみようかと思います。
観たり読んだりに時間のあるときに取り組みたいと思います。
依頼しています絵に関しましては、待っている時間もまた楽しいものですので、もちろん急かすことなどありません。
わたしも先生からお預かりしています題材について未完成ですので、こちらこそお待たせしております。
お互いに無理のないペースで仕上げられればよいと思います。
今回も熱の入ったコメントありがとうございました。