「ツイッター」呼びに深い理由はないけれど

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 わたしは、ブログ内でも口頭でも、未だに「ツイッター」呼びをしています。名称が「X(エックス)」に変わってから随分と経ったように思います。それでも「ツイッター(現X)」とも「X(旧ツイッター)」とも呼ばず、あくまで「ツイッター」です。

 別段深くはありませんが、理由はあります。わたしが面倒くさいこだわりを持っているという、いつもの話です。

◆「つぶやく」ことを重視している。
◆わたしが使うとまぎらわしい。
◆「対戦型SNS」として扱いたくない。

 これら3つの理由から、意識的に「ツイッター」呼びをしています。


 Twitter(ツイッター)が日本で知られるようになったのは2010年代前半のことだったかと記憶しています。スマホを持ち始めたのが2019年末のわたしですので、その頃にはツイッターに触れる機会……いえ機械がありませんでした。(PCやタブレットでも出来ることを知ったのは後のこと)
 流行に飛びつくミーハーさを嫌う中二病も相まって、「へえ、今はそんなのが流行っているんだね」ぐらいに構えていました。ただ、140字(でしたっけ?)という制約での表現や、その為に発明された「なう」という言い回しには感心していました。SNSを浮ついたものと思う一方で、字数制限の世界で生きる人々の知性を尊敬していた面も、ほんの少しだけあります。

 数年後に使い始めてみれば、思っていたよりは知的なものではありませんでした。玉石混交と言えばよいでしょうか。まあ、基本的に面白さを求めて使うものではないのだとわかりました。

 そういったわけなので、ツイッター自体に思い入れがあるわけではありません。だというのに、頑固に旧称を使いつづけています。思い入れは無くとも、こだわってしまうというのが、わたしの悪いところです。
 元々の鳥を模したアイコンからか、投稿することをtweet(さえずる)と呼んでいたと思います。どのタイミングで転じてか、その意味は「さえずる」でなく「つぶやく」になりました。わたしはこの「つぶやく」というのが、よいと思っています。
 字数制限の中でのつぶやき。誰に当てるでもないつぶやき。日常の何気ない瞬間のつぶやき。こういった「つぶやき」を目指したいと思っています。特に、わたしはこうして個人ブログを持っているのですから、長文ならばこちらに書けばよいのです。投稿をいくつも連ねて御託を並べることはありません。ポストではなく、ツイート(つぶやき)を好むから、今でも「ツイッター」と呼んでいるわけです。


 また、わたしの発信の中で「X(またはエックス)」という名称を用いるのがまぎらわしいというのもあります。
 単にわたしがエックスと呼んだとして、それが仮面ライダーかウルトラマンか謎のヒロインかSNSか、一瞬区別がつかないこともあるでしょう。(もちろん、大抵の場合は、前後の文脈から何を指しているかは分かるとは思いますけれど)
 
 
 イーロン・マスク氏の2024年2月29日のXでのポストによれば、”𝕏 is the PvP of social media”だそうです。「Xは対戦型SNSだ」というような訳になります。CEOがそう言うのですから、Xとはそういうものなのでしょう。
 なるほどと思う部分は大いにあります。わたしが幻想を抱いていた知性やユーモアのある利用者ばかりでなく、罵倒や怨嗟や愚痴にまみれた不快な文を見かけることもあります。人間関係を嫌って絞った数少ないフォロー先のアカウントですら、あまりよろしくない表現をリツイートしているのを見たりもしました。

 対面での会話と違って、限定的ではあれど覆水が盆に返ることもあり得ます。投稿内容を失言だと思ったのなら、相手に読まれる前に消してしまえば、なかったことにできる……と思っている方もいらっしゃるでしょう。発言に責任を持つという意識が低下するのは「対戦」にいたるハードルを下げているように思います。

 CEOに曰く「Xは対戦型SNS」ですが、わたしの意識では「ツイッター」ですので、能動的に「対戦」に用いるつもりはありません。
 もしも、わたしとケンカをしたい方がいらっしゃるようでしたら、空リプライでの申し込みではなく、どうぞ直接のリプライやDMで殴りかかってきてください。気分次第で「対戦」に応じます。諍いもまた、わたしの嫌いな「人間関係」ですので、そうそう乗り気にはならないでしょうが。


 ……などという冗談はさておき。
 以上が、わたしが「ツイッター」呼びをしている理由です。最初に断った通り、深い理由ではありません。しかし、悪癖と知りつつも、些細なことへのこだわりは大事にしていきたいです。それがアイデンティティというものでしょうから。

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