冒頭文
おはようございます。24時間戦えますかと問われれば、24分すらも集中力が続かないと答える典藻キロクです。
長年の間、「愛は地球を救う」と断じてきた24時間テレビが、今年は「愛は地球を救うのか?」と疑問形に変じているそうですね。
これを聞きましたとき、言葉の響きが「U.N.オーエンは彼女なのか」や「人は拾ったカードだけで決闘できるか」といった疑問文を思い出させてくれて、勝手に懐かしい気分になっておりました。
それはそれとして。
愛が地球を救うのかという疑問に対して、データを用いず感情論で答えを出そうというのが今回の記事です。
ええ、はい。桜の花が散って以降、例年通り長めの5月病を発しておりまして、テンション低めなので、ツマラナイことでも考えようかという話です。
まあ救えるのではないでしょうか
結論から言えば、「まあ救えるのではないでしょうか」と考えます。
まず「愛は地球を救うのか?」という問いが漠然としています。
漠然と問われているので、漠然とした根拠で答えを導き出してよいでしょう。
問いの中にある「愛」とは何でしょうか。
ためらわないこと、くやまないことでしょうか。
それともこの問いを提示している番組の性質上、募金のことを指しているのでしょうか。
まあ、明言されていないので、典藻なりの解釈で「愛」とは何かを定めましょう。
愛とは、欲であると考えます。
「愛したい」も「愛されたい」も欲ですからね。
なので、問題文に代入し、「『欲』は地球を救うのか?」と読み換えましょう。
続いて「救う」とは何かを考えましょう。
こちらもやはり明確に何を指すかが示されていないので、受取手がある程度自由に解釈してよいでしょう。
ここで重要なのは「地球を」という部分です。
大雑把に捉えまして、地球環境を蝕んでいるのは人類社会ですね。
となれば、「救う」というのは人類社会が滅びるというのが手っ取り早いでしょう。
先ほどと同じくこれを代入して「『欲』は『人類社会を滅ぼすのか』?」と読み解きましょう。
ここまでくれば、もはや結論が出たと言ってよいでしょう。
ヒトの欲は、他人であれ自身であれヒトを滅ぼします。欲望は原動力になりますが、故にこそ加減を誤れば爆発する劇物です。ガソリンを想像するとわかりやすいですね。
ということなので、「愛は地球を救うのか?」という問いには「まあ救えるのではないでしょうか」と答えましょう。
おわりに
以上、「愛は地球を救うのか?」という問いに対しての答えでした。
24時間テレビと言えば、典藻にとってはかつては夏の風物詩でした。
見なくなったのはいつの頃からか。まあ多分、夏休みというものが無くなった頃、社会人になった頃でしょうか。
見ていた頃も、「ハンディキャップがある人もこんなに頑張ってるんだぞ!」という押し付けがわたしにとってはとても辛かったです。
わたしはこれまで一度も頑張れたことなんてありませんからね。
幸いにして、少なくとも身体にハンディキャップと呼ばれるものが無い状態で産まれてきましたのに……。人類や社会に貢献できていないことを指摘されているようで非常に苦しかったです。
まあ被害妄想ですけどね!!!!
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