仕事だからといって死別には慣れない

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 人間はいつか必ず死ぬものです。
 仕事で関わる相手が高齢者・傷病者である都合、「知り合った相手が亡くなる」という経験自体は少なくありません。
 少なくないからといって、こればかりはいつまで経っても慣れるものではありません。感情の振れ幅に多寡はあるものの、多少の感傷は抱きます。もとから表情に乏しい人間なので顔や声色に表れないだけです。


 いかにわたしが人間嫌いであるとは言っても、何度も会う相手なら情というものが湧きます。
 かれこれ10年の付き合いになるお客さんが亡くなった時はやはり悲しいかったです。「次回は来月の○日に来ますね」「おう」と言葉を交わして退室したのが最後になってしまいました。
 何事にも不満を言ったり、行政にわがままを言ったり、怒鳴ったり……いわゆる「難しい人」ではありましたが、他のサービス担当者を度々「クビ」にする中で、わたしのことをおよそ10年重用してくださいました。わたしが前の職場を辞めて、新しい職場に移ったときも「××(前職場の後任)よりも○○(わたし)の方が話がわかる」と指名して頂き、事業所変更で担当継続になりました。

 よくしてくれた人というのはこの方に限りません。数えきれない件数をこなす中で、たくさんの人に関わってきましたので。
 ご自身こそ病気なのに、わたしの体調を気遣ってくださる方ですとか、訪問する度にお茶をすることを楽しみに待ってくださる方ですとか(業務上おもてなしを受けてはいけないのですが)。
 
 
 
 死別してきた相手はお客さんだけではありません。両祖父とは、情緒の未熟な小学生の時分に死に別れましたので、あまり記憶や感慨といったものはありませんが。
 前職場の取引先の方が病気で亡くなったり、以前のアルバイト先の同僚だった年下の青年が事故で亡くなったり、わたしなぞに優しくしてくれるような聖人が若くして世界から失われるというのは、とても悲しいです。みんなわたしを置いて先に死んでしまう。
 ひとから愛される人が死んで、わたしが生きていることに違和感を覚えることもありますが、これはあまり突き詰めると気を病みそうなので意識して「気にしない」ようにしています。
 


 死がふたりを別つまで、と申します。
 妻との死別もまた、いつか必ずくるものです。誕生日がたったの2日違いの妻とわたしですが、だからといって2日違いの没日にはならないでしょう。きっとどちらかが残される形になります。どちらが先に死ぬかはわかりませんが、死別はいつか訪れます。
 死後の世界があるものとして、わたしは妻と同じところには行けません。なにしろ終身不名誉ストーカーですから、順当にいけば地獄行きです。悲しいですね。

 

 話を戻して、仕事だからといって死別にはいつまでも慣れません。
 慣れてはいけないものではありますので、このままでもよいのだとは思います。10年来の知り合いが亡くなって相応に感傷的になるのも仕方ありません。家の近くを通ったときなどに故人を思い出して切なくなるのも仕方ありません。
 慣れはせずとも、人の死に過度に敏感にならない薄情なわたしだからこそ、職業適性があるとも言えます。「人の心がない」からこそできる仕事もあるということですね。

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