冒頭文
おはようございます。ここ最近はブログ関連でよいことが続いていて嬉し恥ずかし、典藻キロクです。
「ご本人巡回済」の記事が2つもできてしまった。そして、該当記事を読み返すと、こう自分の正気を疑いますね。正気ですけれど。
勢いのまま書いたので恥ずかしいことを書いていたり、紳士的振る舞いを忘れていたりしますね。
まあ、それはそれとして。
ここのところのブログの好調により、叶った夢と言いますか目標がひとつありまして。
ひょっとして「夢を叶える」という成功体験は生まれて初めてなのではないかということに気が付いたもので、典藻の夢とは何だったか、記憶を遡ってみたのでそれを記事にしようかと。
自分の中にソースがある情報だけで書くコタツ記事は楽でよいですね。
我が家にコタツないからホットカーペット記事ですが。
幼稚園の頃
幼稚園の時分、典藻が憧れていたのは「忍者」でした。
大きくなったら忍者になりたかった。どうやったら成れるかなんて考えないのが子供の発想が自由なところです。
これというのは当時かぶりつきで観ていたスーパー戦隊シリーズ第18作「忍者戦隊カクレンジャー」の影響でしょう。
物心のついた当時に放送されていたのは第19作「超力戦隊オーレンジャー」でして、こちらが本来リアタイになる作品なのですが、どうもレンタルビデオ(当時はVHSでしたね。懐かしい)で観ていたカクレンジャーの方が子供心にハマるものだったようです。
大人になって見返しても面白かったので根っこは変わっていないようです。三つ子の魂百まで。
当時のともだちの母親に「カクレンジャーの真似」をして見せて「いい線いってる」と評価をもらったのが妙に記憶に残っています。
それよりも、典藻にもともだちがいた時代があったのですね。驚愕。
小学校低学年の頃
小学校低学年の頃、母に「大きくなったら何になりたい?」と聞かれたときに答えた覚えがあるのが「レンタルビデオ屋さん」と「宅配便のひと」です。
たしか理由は「夏の暑い日でもエアコンのついたお店(または車)の中で仕事ができるから」だったと思います。
なぜ当時の典藻は温度調節にそれほど重きを置いていたのか。
中学校の頃
小学校高学年~中学の頃、将来の夢というようなものをプリントなどに書く際には「図書館司書」を挙げていました。
授業の職業体験で市の図書館を選んだりもしていました。
動機は覚えていません。それよりも、本に囲まれる職場を望むあたり、当時の典藻はまだ活字の長文を読めるだけの集中力があったのですね。意外ですね。
高校の頃
現在の人格に段々近づいてくる高校時代。
この頃の夢は「ライトノベル作家」でした。より具体的に言えば、書いたライトノベルが人気を博しアニメ化に至り、声優の能登麻美子氏に主演してほしいというミーハー極まりないものでした。
然様な不純な動機が原動力になるものか……と少し前までは思っていましたが、ここのところはミーハー精神やらリビドーやらに従って行動して良い結果につながっているので、想いが極まっていればもしかしたらもしかしするということもあり得たかもしれませんね。
とはいえ、やさしい同級生がいなければろくにクラスに馴染むこともできなかった根暗な少年に人を魅了するものが書けたとも思えません。
「小説を書くなら色んなものを見て、色んな人と関わって、色んなことを知ったほうがよい。夢は夢として持って、知見を広げる為の就職をするのもよいのでないか」というような正論を向けて下さった担任の先生には感謝するほかありませんね。
今でも引きずるもの
幼稚園~高校までの夢は憶えてはいても今となっては興味の向くものではありません。
いえ、忍者にはちょっと成りたいけど。
忍者はさておき、今でも引きずる「夢」があります。
潜在的にはたぶん高校の頃から持ち続けていて、はっきり自覚したのは数年前、前職を退職しようとしていた頃だったように思います。
少し長い話になります。
典藻はジャンルとして所謂ギャルゲ・エロゲと呼ばれるゲームを好み、「聖典」「人生の教科書」として、そこから得た学びを今も肝に銘じております。
(とはいってもこれらのゲームに触れていたのは高校2年生~大学2年生頃の4年間程度だったので、人生全体で見れば比較的短い期間でした)
これらのゲームを好きなのは、「可愛い女の子を見れるから」というのももちろんありますが、「がんばる主人公を見れるから」「主人公を支える友人たちが見れるから」というのも割合の多くを占めています。
当時、この手のゲームを遊んでいた時に感じていたことに「僕にはこんなに友人はいない」「僕にはヒロインの心を救ったり、人生の支えになることはできない」というような感情があります。
つまり、「この主人公の少年は『僕』じゃない」。
となれば、主人公の視点を通じて物語を見てはいても、ヒロインが懸想しているのは自分じゃないし、友人たちと笑い合っているのも自分じゃない。
そんな線引きをしているうちに、義之くんに憧れ、理樹くんに憧れ、稟くんに憧れ、憧れ募らせ燻ぶらせ、いつかは「僕」も「そういう風」になりたいと思うようになりました。
ヒロインに囲まれるラブルジョワになりたいということではありません。
友人がいる。恋人がいる。彼ら彼女らの助けになり支えになり、時には助けられ支えられる。人々の心のしこりを取り払い、救いに成る。そんな人になりたかった。
時は進み新社会人になった頃。
件のジャンルのゲームは個人的な問題によりまともに触れることができなくなっていました。
この頃は妻(当時は恋人)の影響で、幼少の時分以来に仮面ライダーやスーパー戦隊に触れるようになっていました。
そうして思い出すかつての自分のヒーローの姿。社会人になりたてで、誰あるいは何を目標にすればよいのか惑う中、道しるべのひとつとして彼らは輝いていました。
五代やダイゴに恥ずかしくない「大人」になろうと。
老若男女に愛され、誰かの心を救うことのできる「主人公」。
或いは誰かの笑顔を守り、誰かの光になり誰しもの光に照らされる「主人公」。
ひとは誰もが自分の人生という物語における主人公。
ええ、それはまあ間違いでないのでしょう。しかし物語のジャンルは人それぞれに異なるもの。
かつての僕、今日のわたしは誰かを救う「主人公」になりたいという「夢」に取り憑かれているのです。
夢は叶ったのか
さて、何を夢見たところで、叶わなければそれは妄言です。
典藻の夢は叶ったのか。
職業面で考えてみましょう。
典藻の現在の職は「どちらかというと裏方」で「何かを貸し出す仕事」で「個人宅などへの配達を行う仕事」で「要望や状況に適したものリファレンスする仕事」です。
つまり、忍者でありレンタルビデオ屋さんであり宅配の人であり図書館司書でもある……というには中途半端ですが、少しずつ要素の組み合わさったキメラジョブです。エヴォリューションレザルトバースト。
趣味面でいえば、このように文章を書いていますので、「ライトノベル作家」にかすっているような、そうでもないような。
しかし、典藻の書いた記事を楽しんでくださったり喜んでくださったりする人がいることを知れたので、誰かを笑顔にする「主人公」には少しだけ近づいた気がします。
おわりに
面白みのない自分語りにお付き合い頂き、ありがとうございました。
まるで今回特別のような書き方になっていますが、冷静に振り返ると今日まですべての記事が自分語りだったように思います。
多分これからもずっと自分語りです。
個人ブログですからね。わたし個人のことを書いていきますとも。
旧き友は言った。「夢って言うのは時々すっげぇ切なくなるけど、時々すっげぇ熱くなる……らしいぜ」。
わたしには漠然とした夢がある。いつか誰かの夢を守れるようになりたいものです。
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