悲しかったことを文章にするというのは非常に有用なものですね。
今晩の更新分のつもりで、ここ2~3日に何がどう悲しかったのかという文章を2000字くらい書いていました。
トラウマトリガーを刺激されたことだとか、推しに信用されていなくて悲しかったことだとか、です。
しかし、そういったものを経由して、結局最後には「わたしの信じる推し」とか「大好きな推し」という言葉を用いる形で文章の締めくくりに着地しました。今回悲しかったことよりも、これまでにもらった嬉しいことの方がよっぽど大きいのです。わたしの恩人で天使なレディがわたしを傷つけるわけがないのです。「言うはずが無いだろうそんなこと、わたしの推しが!」です。
……いや、ちょっとした言葉にダメージを受けることもありますけれど、わたしが傷つく時は大体わたしが悪いのです。
有識者に曰く「男のメンヘラは需要が無い」とのことですから、傍から見ればただただ気持ちの悪いものでしょう。記事としては下書きのまま封印しますが、書いたおかげでだいぶ復活しました。
悲しかろうと傷つこうと、悩みを相談できる相手がいない以上、実際のところわたしが何をどう感じたのかを知る他人はいません。他人から見れば勝手に落ち込んで、そして勝手に復活しただけでしょう。
相談相手がいなかろうと、自分の不調を自分で修復できるようになったのですから、わたしも案外成長したのもかもしれません。
考えてみれば、一時の悲嘆ごときが一生の恩義の大きさに勝るわけもありませんでした。
文章にして感情を整理するというのは、心の自己保全の為に非常に有用なものです。
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