子どもの頃のリアルカード、大人になってからのデジタルカード【TCG】

カードゲーム





 6月から何本か投稿していたシャドウバース ワールズビヨンド(シャドバWB)の記事にあります通り、わたしはどうにもデジタルのカードゲームに馴染みません。デジタルならではの良さはわかりますし、手軽に対人戦ができるのも大変ありがたいのですが、やはり実際に相手と顔を合わせて対戦するリアルのカードゲームの方が性に合っています。

 対面して遊ぶとなれば、他人と関わること自体が苦手なわたしのことですので、対戦相手はもっぱら妻になります。これ以上ないぐらいに気心の知れた相手と遊ぶのですから、それは当然楽しい時間になるというものです。しかし、妻とばかりカードで遊ぶようになるずっと前、子どもの頃にカードで遊んでいたときも、同じく楽しかったのです。


 子どもの頃のカードゲーム環境といいますと、(お金持ちの家の子のカード資産が潤っているということを除けば)各自のなけなしでとっておきのレアカードや、手持ちのカードで考えた組み合わせ、お気に入りのカードなんかを使って、ある程度似たり寄ったりののデッキパワーでお互いに勝敗を競い合っていました。子どもといえど、頭のよさに差はつくので、プレイングの巧拙というものはありましたが、それでも「寄せ集めと思い入れのデッキ」VS「必要なカードがすべて揃った勝つためのデッキ」という対戦になることはありませんでした。
 勝っても負けても、とにかくカードで遊べることが楽しかったです。


 デジタルカードゲームのインターネット対戦というのは、世界中の老若男女様々なプレイヤーと対戦するチャンスがあります。しかし、それ故に、実力やカード資産の差が大きくなることがままあります。リアルでもデジタルでも、トレーディングカードゲームというのは札束で殴り合う遊びなどと呼ばれることがあります。よほどプレイングが下手でなければ、強いカードを必要なだけ揃えたプレイヤーの方が勝ちやすいのですから、趣味にお金をかければ、ある程度の勝率が担保されます。
 デジタルカードゲームの大半は、「基本プレイ無料」になっている都合、無課金・微課金のプレイヤーも存在します。無料で遊べるという敷居の低さは魅力でありながら、課金プレイヤーのカード資産の前にデッキパワーの差を思い知らされる無課金プレイヤーを生み出します。これ自体は別段に悪いことではありませんが、わたしと同じく「勝てないから面白くない」という感想につながる可能性はあるでしょう。


 どうして、子どもの頃のリアルカードゲームは似たようなデッキパワーで戦えていたのかといえば、それは自分でカードを買うお金のない子ども同士だったからです。公立の小中学校に、同学区内から集まる子どもたちです。全体を見れば、貧富に外れ値はあるものの、集まって遊ぶ子ども同士となれば、だいたい同じような家庭の経済状況にあるものでしょう。好きなだけスターターデッキやブースターパックを買えるわけもありませんし、(当時の事情もあり)カードショップで単品買いをするようなこともできません。お互いに、ごくたまの機会に手に入るカードを集めて、子どもなりの知恵を尽くした好きなデッキで遊んでいました。デッキパワーに大差がついていない以上は、時の運で勝ち負けが決まることも多く、集団の中で「強い」と認識されている子も無敗ではありませんでした。


 今の子どもたちは……と言うと、年寄り臭いですが、デジタルネイティブのカードゲーマーにとっては、デジタルカードゲームの環境が当たり前になっているものと思います。大人になってからデジタルカードゲームに触れたわたしにとっては新鮮かつ思うところのある体験であっても、生まれた時からインターネットが普及していた世代にとっては、これが当然のものなのでしょう。顔を合わせて、声を交わして、ワイワイと遊ぶことはないのかもしれないと思うと、少しだけ寂しさを感じます。
 いや、そもそも、若い子らがカードゲームに興味がないということもあるかもしれません。かつてイケイケの趣味だったらしいゴルフやボウリングに興味を示す若者が減っていったように、カードゲームもまた廃れていくものなのでしょう。

 つい最近、リアルカードで遊戯王、デジタルカードでシャドバを両方遊んで、そんなことを考えていました。

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