冒頭文
おはようございます。打ち上げ花火は下から見る典藻キロクです。
今回はタイトル通り、Amazonの荷物の受け取り方についてです。
インターネット通販の大手であるAmazonですが、「お急ぎ便」や「置き配指定」など便利なサービスが用意されています。後者の「置き配指定」の有用性についてお話したく思います。
基本的には置き配は便利
自分の注文履歴で一番古い物を見たところ、2007年9月となっていました。もうかれこれ17年利用していることになります。およそ人生の半分ぐらいはAmazonにお世話になっています。びっくりです。
そんな利用し始めの2007年当時には、置き配というのは一般的ではなかったように思います。うろ覚えですが、少なくとも利用した記憶はありません。
玄関前や宅配ボックス、ガスメーターボックスなど指定の場所に荷物を置いてもらい、配送の方と対面せずに荷物を受け取ることができる置き配。
対面せずに荷物の受け渡しをするということで、コロナ禍の頃から普及したように思います。
この置き配ですが、配達の時間に在宅でなくてもよいというのがとても便利です。
典藻は職業柄、土日祝という会社の定めた非営業日であっても急な仕事で家を空けなければいけないことがあります。
また同時に、仕事で使う道具を予定日までに用意しないといけないタイミングもあります。
これが重なると、急な仕事の為に事前に予定していた仕事に支障がでるというストレスが発生します。なんというストレッサー。風ノ魔王獣みたいな名前して。
しかし、置き配を活用することでこのストレッサーの出現を回避できます。
急な仕事で家を空けるとしても、その間に玄関前に置いておいてもらえれば、帰宅後に荷物を回収できます。仕事の準備もつつがなく済んで大変よろしい。
仕事道具に限らず、配送の方にも迷惑をかけてしまう再配達を予防する為に対面受取を指定することはほとんどしなくなりました。
置き配の罠
便利な置き配の利用にあたって注意すべきこともあります。
これは実際にあったヒヤリハットなのですが、妻が置き配でSDカードだったかサプリメントだったかを注文したときのことです。
品物が薄く軽いものであるために、置き配で玄関前に置かれたものが風に攫われて、アパートの廊下を移動して階段から落ちかかっているのを、タイミングよく帰宅した典藻が発見するということがありました。
危うく荷物がどこかに飛んでいくところでした。
軽い荷物や薄い荷物は飛んでいく危険があるのです。
また、そうでなくとも他人に持ち去られるということも危惧されます。
荷物の中身が当人にとって有用なものでなくても、簡単に転売ができるようになった現代では関係ありませんからね。
テキトーに他人の家の前から荷物を回収してメルカリで売れば仕入れゼロで利益が出てしまいます。こういった悪いことを考えるヒトがいてもおかしくありませんから、置き配を利用するときは要注意です。
コンビニ受け取りも便利
荷物が風に攫われたり、ヒトにかどわかされたりというのが心配なのであれば、コンビニ受け取りも便利です。
最近の典藻はコンビニ受け取りできるサイズのものは、こちらを優先して利用しています。
置き配と違いコンビニまで取りに行くという手間はありますが、通勤の行き帰りで寄ったり、散歩の途中で立ち寄ればよいので案外面倒には感じないものです。
大抵の場合24時間営業というのも、好きなタイミングで受取にいけるので便利です。
難点があるとすれば、荷物の受け取りだけだと店舗の売り上げにならなさそうなのが申し訳なく、ついで買いをしてしまって出費がかさむことでしょうか。
気は心と申します。
便利な受取場所を提供してくださったコンビニに少しでも感謝の気持ちを示すことは必要経費です。
番外編:推し活に際して
置き配にしてもコンビニ受け取りにしても、非対面での受け取りは便利です。
ただ、これは自分の荷物であればという前提つきのものです。
今年に入って推し活の一端という形での散財を覚えてしまった典藻は、初めて「ほしいものリスト」から他人に贈り物をするということをしました。
よくよく考えれば、自分が欲しい物がいくらでもある中で他人に何かを贈るというのも妙な話ではありますが……。まあよくよく考えなければ気づかない事なので、考えない方向で。
それはそれとして。
この贈り物に関して、配送方法については先方の指定したものになります。先方が置き配を指定していれば置き配になりますし、対面を指定していれば対面になるようです。自分がほしいものリストの受け取り側になったことがないので、このあたりは不正確ですが。
この贈り物の配送方法が置き配であると、少々気を揉むことになります。
模範的なファンを目指しての調べ物の中で、「推しへの贈り物は自己満足なのだから、見返りを求めるな」や「反応はなくて当たり前と思え」というような考え方があることを知りました。そんなことを言われましても、贈り物をするのなら喜んで欲しいし、反応は欲しいじゃあないですか。やはりわたしは優良リスナーにはなれない。
話を戻しまして、「反応はなくて当たり前」なのだとしても、推しの手に渡ったかどうかは気になります。同じ浪費であっても、推しの糧になるか、文字通りの浪費になるかでは大違いですから。
そこで言うと、ほしいものリストから贈るものが置き配になっている時は気を揉みます。贈られる側は荷物が来るなんて知りませんでしょうから、タイミングによっては1日2日玄関前に放置されることもありましょう。
Amazonからの「配達完了」のメールを受け取って数日経って、推しの反応が何も無ければ、風に吹かれたか誰かに持ち去られたかと思ってしまいます。推しに届かないのなら、工面したお金をドブに捨てたも同然です。
こういう気持ちにならない為の「反応はなくて当たり前」なのかもしれません。反応はなくても推しの手には渡ったのだと思えば多少は気持ちも軽くなります。
或いはこういった形でなく、自分の為の散財をすることこそ健全なのかもしれません。
ですが、わたしはこんな形でしか応援できませんし。金銭を介さないとコミュニケーションをとれないとは、カオナシみたいですね、わたし。
おわりに
途中だいぶ話が逸れましたが、Amazonの荷物はコンビニ受け取りが便利という話でした。
実を言えばAmazonよりもポイント付与率の高いヨドバシドットコムの方が利用頻度が高い気もします。
あちらはヨドバシカメラでの店頭受け取りもできますしね。
ポイント効率のヨドバシ、お急ぎ便・受け取り便利のAmazonといった使い分けをしています。
インターネット通販は便利で楽しいですね。
あ、忘れてました。Amazonの話題でしたのに読モシャウトしてませんでしたね。
ア゛マ゛ソ゛ン゛ッ゛!゛!゛
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