闇バイトと自己評価と金銭感覚

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 「闇バイト」などと、犯罪行為に気取った名前をつけるのはどうかと思います。いえ、指示役に従った「バイト」が無辜の民から略奪するという形式の犯罪の類例を総称するのに便利なものというのはわかります。
 しかし、「闇」などと。それこそ、こういった馬鹿なことをしてしまうかもしれない層が好きそうな言葉で呼ぶのはどうなのでしょうか。わたしだって闇とかダークネスとか好きですもの。変にかっこいい呼び方はよろしくないです。

 本題ですが、そんな闇バイトをそうであると見抜けない高校生が多いと聞きました。1日〇時間の労働で×万円がもらえるということに疑問を抱かないのだそうです。
 つまりはそんな美味しい条件の仕事がふつうのものであるという認識だということです。怪しい仕事だとわかっていながら、お金欲しさに犯罪に走るのとはまた事情が違います。
 考えてみればわかるだろう、というものではないのです。考えてみて、その労働内容と報酬に違和感を見出せないから、わからないのでしょう。

 これの大きな原因は、実の伴わない万能感、自己評価の高さや金銭感覚のずれにあるのでないかと考えます。


 わたしが初めてアルバイトをしたときのこと。
 時給800円が破格の報酬に思えました。1ヶ月500円のお小遣いをもらっていた身から見て、1時間で800円も報酬を得られるなんて、億万長者になったような錯覚さえ覚えました。たった1時間で1ヶ月に得られるお金をゆうに超える大金が手に入るのですから。
 同時に、自分の1時間を800円で買ってくれる=それだけの「大金」を払う価値があると認めてもらえているということに、張り切ってバイトに励んだものです。


 そんな自身の体験を踏まえると、闇バイトの高額報酬を見て違和感を覚えないというのは、「自分は〇時間で×万円の報酬を払ってもらえるだけの価値がある人間だ」という自己評価が存在しているのではないでしょうか。そうであるのなら、短時間での高額報酬は彼らにとって当然の条件であり、おかしな案件であるとは露ほども思わずとも不思議はありません。


 また、SNSの発達・浸透により、隣の芝生や別世界の天上人の生活を目にすることも増え、それらが当たり前にこの世にあるものと認識してしまい、1円を稼ぐためにも相応の価値を創出しなければならないという当たり前の金銭感覚が身についていないということも想像できます。
 どこか遠くの知らない他人であるSNSの有名人を見るよりも、身近な親族や知人友人がどんな思いをして金銭を得ているのかを見ることに意識が向けば、闇バイトとそうでないものの見分けもつくようになるのではないでしょうか。特に物価の高いこのご時世ですから、食費を浮かせるために昼食を抜いたり、半額のパンをかじっているわたしのようなサラリーマンもそこいらじゅうに溢れていますでしょう。そこに目をやるだけでも、短時間高収入の仕事が当たり前のものではないとわかるかと思います。
 

 わたしは自己と他者を比較することで頻繁に懊悩にOh No! しているわけですが、彼らは比較ではなく、他者に自己を同一視して、生まれついてのセレブリティや一握りの成功者に自身が並び立って当然という価値観を持っているのかもしれません。比較に心を蝕まれないのは結構なことなのですが、今自分が立つ足元に目が行かないのは、まさに足が掬われやすい状態であるといえましょう。
 
 とりあえずは、自身の数時間に数万円の価値があるなどという思い上がりを捨てて、その身は決して万能などではなく、「現実的な」安いお給料で働く方々の足元にも及ばないスキルしかないということを自認するのがよろしいでしょう。
 よお~く考えてみて、自身の意味や価値や能力に向き合うというのも、思春期にこそ通っておくべき過程だと思いますから。

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