わたしは人間嫌いを自称していますし、実際に概ね人間が嫌いです。そして、これは職場でも公言しています。通常、言えば負の印象を与えてしまうこの自称ですが、これにより助かった経験があります。
数年前のこと。ある現場を終えて数日してから、本社を経由して警察から連絡がありました。どうやら、その現場にてわたしがお客様のご家族(女性)を盗撮したと被害の訴えが出されているそうです。
そんなことをしたのかといえば、当然していません。疑われるような行動にも覚えはありません。なにせ、現場での仕事中は作業に集中しますし、次の現場もあって時間との戦いにもなります。余計なことをしている余裕はありません。
上司からは「一応聞くけど、■■くん、盗撮なんかしてないよね?」と確認されました。「してませんよ。人間嫌いですし、そんな面倒くさいことしませんよ」と返答しましたら「そうだよねぇ」と納得して頂けました。人間嫌いで面倒くさがりという負の信頼が役に立ちました。
事情聴取の為に警察署に出向く際にも、上司が同行してくれました。署にて、スマートフォンの中身をチェックしてもらい、当日の現場での業務の流れを口頭説明し、上司の口添えもあり、何のお咎めもなく帰してもらえました。それから数年経っていますが、その後訴えがどのように処理されたかは「容疑者」のわたしの耳は入ってきていません。
話の内容からなんとなく「性的な」というニュアンスの含まれる盗撮疑惑でした。
ただ盗撮というだけでも社会人としての信頼に傷のつくものですが、「性的な」という被害者(自称)が圧倒的に有利なものだったのが、まあまあのストレスでした。
どこぞの公共交通機関内であった痴漢冤罪事件の話を聞いてから、こういった「冤罪」には非常に敏感になっています。当該事件では、被害者側から提示される証拠が「触られた」という証言のみであったのに、訴えられた側がいくら反証を並べても「犯行が不可能ではない」という理由で有罪とされていました。絶対に不可能であると証明することなど出来ません。ないことの証明を求める悪魔の証明です。
つまり、性被害があったと訴えられれば、真偽はともかくとして、それで社会的に死ぬのです。家庭や職や信頼を失い、その先の人生を壊されるのです。
わたしは自分のやったことについては、当事者から何を言われようと甘んじて受け入れます。性的な「加害」はしていませんが、終身不名誉ストーカーですので。
しかし、実際に関わったわけでもない人間からの言葉や、身に覚えのない容疑については怒りを以て応じます。わたしに盗撮されたと言い続けたらしい彼女が何を思っていたのかは知りませんが、他人の人生を虚言で壊そうとする人間は許しがたいです。
幸いにして、性犯罪の容疑よりも「人間嫌いで面倒くさがり」という負の信頼が上回ったおかげで、職場においては「■■がそんなことするわけねぇじゃん」と扱ってもらえたので、社会的信用という意味においてはほぼ無傷で済みました。
「人間嫌い」を信頼してくれた人間に助けられたという話でした。嫌いなものは嫌いと普段から言っておくことは、案外大事なことです。
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