夢の守り人にもなれない

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 憧れのヒーロー曰く「俺には夢はない。でもな、守ることはできる」。
 わたしにも夢はありません。夢や未来を語れるほどに勤勉ではありません。わたしに勤勉さがあるのなら、今頃は既に夢を叶えていたでしょう。


 将来の夢として一番憧れが強かったのは、ライトノベル作家だったように思います。
 しかし、ええ、はい。このブログを読んでくださっている方ならお分かりかと思いますが、わたしは著しく文才に欠けています。それはそうですね。情緒や機微というものに疎いのだから、それを表現することなどできようもありません。
 なので、作家になど成れません。

 それでも、自分の書いたものを誰かに読んでもらいたいなどという諦めの悪さから、こうしてブログを書いているのかもしれません。荼毘に付すべき夢の残骸、唾棄すべき妄想の成れの果て。くだらないですね。
 

 自分が夢半ば……どころか出発地点に立つことすらなかった為に、何かしらの創作を行う方々に対しての見方が歪んでいるのも自覚しています。半端に作り手側の視点のようなものを持ったつもりになっているから、おかしいのです。
 なにもわからないくせに文章や絵や映像の感想を述べてみたり。作り手の意図を読み取ろうとしてみたり。作り手を名乗るのなら、他者の創作に対しても真摯であるべきなどと理想を語ってみたり。自身は何も生み出していないのに、実に愚かな事です。創作に対する真摯さを記事で語って、明確に不快感を示されたこともありましたね。
 3点リーダーの使い方に神経質になったり、誤記誤読を気にしたり、タイトルや用語間違いといった作品リスペクトに欠ける振る舞いに不快になったりというのも悪癖ですね。現に「創作」や「発信」を行っている方々に対して、何も作れない立場からこだわりを抱くというのは無礼でしょう。なにかの「指摘」をしたいのなら、せめてわたし自身も作り手の側に立ってからにすべきです。それができていないから、ひとを不快にさせるような記事など書いてしまったのだと自省しております。


 


 わたしは夢に対して頑張らなかったから、夢追う方々は輝いて見えます。「やりたいことが出来たから」と仕事を辞めていくひとを引き留めることもしません。彼が抜けた分はわたしが2人分働けばよいだけのことです。夢亡き人と夢追い人と、どちらが祝福されるべきかなど考えるまでもありません。
 まあ、人が抜ける分も頑張るなんて働き方も、まっとうな方からすれば「間違っている」と評されてしまうのですから、なんだかとても悲しいですね。

 夢を追うのなら、遂げてほしいです。夢を叶えたのなら、ずっと輝いていてほしいです。
 
 あのヒーローは「守ることができ」ましたが、わたしはヒーローではないので、守ることも応援することもできません。そんな力はありません。出来る事があるとするのなら、その幸福を願うことぐらいです。
 他人を怖がらせたり、悲しませたり、傷つけたりしたことがあるのに、別の他人の幸せを願うという見るに堪えない邪悪さです。とても醜い在り方ですね。でも、わたしが邪悪なのは今更ですから、毒を食らわば皿までです。






 職業でなく在り方という話ならば、正義の味方になりたかったです。なれもしないから憧れた、ともいえますが。
 わたしは性根の腐り果てた悪性ですからね。善良に生きるつもりでも、「そう」はならないのですね。そもそも終身不名誉ストーカーに正義なんてあるわけもありません。憧れる資格すらないはずなのに、みっともなく縋り付いていて、客観視すればただただ気持ち悪いから、主観でしか物事を見れない。

 嫉妬心より。
 わたしはもう、善性の側には立てないのに、その立ち位置にあって善を為さない者が許せない。
 しかし、わたしは知っています。素行が如何に悪かろうと、大きな成果を出せば彼らは称賛される存在になるのです。

 実力があれば許される。功績があれば認められる。正義なんてそんなもの。マジョリティであるというジャスティス。まさに夥しさこそ正しさ。

 独善的に、恣意的に、選択的に、守りたいものだけを守って。
 自身と価値観の異なるものを悪と断じて踏みにじって。
 人々から信じられて、頼られて、讃えられて。
 そんな歪さの中にあって自身の正義を信じ続けられる。
 
 まあ、なんでもよいです。わたしがそうはなれない以上、関係の無いことです。
 しいて言うのなら、わたしという邪悪があればこそ、それを否定する正義が成立するということで、わたしもまた「正義」の構成要素のひとつであります。
 よかったですね、わたし。正義の存在を補強するという意味において「正義の味方」になれていますよ。夢が叶ってよかったよかった。めでたしめでたしハッピーエンド。ここで死んでも思い残すこともありませんね。





 閑話休題。そろそろ記事の締めとして、タイトルに触れましょう。
「夢の守り人にもなれない」
 言葉の通りですね。

 夢を追う人を見送って、遠巻きに見守ることはできても、その助けになる力はありません。
 夢を叶えた人に輝き続けてもらうためにできることもありません。

 自分の夢に向かって頑張らなかったから、誰かの夢を応援する力も身につかなかったのです。
 まさに、意味無し価値無し能無し名無し、です。とても空しい。

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