特撮ドラマに登場する「怪人」……とりわけスーパー戦隊シリーズのそれは、作品をよく知らない層にも「複数人のヒーローに1人(+戦闘員)で対峙する」というイメージがあるでしょう。
昨今は戦隊に限らず、仮面ライダーでもヒーロー2~3人と怪人1人が戦うという展開も見られます。
人間の自由と平和を守る為などの大義名分があるわけですし、礼儀を重んじる試合でもないのですから、悪役である怪人を倒すことが最優先なわけで、この構図に同情する視聴者というのは少数派でしょう。
作劇上で不自然であったりあからさまな過剰殺傷にならないように描写されていることも多く、なおのこと「怪人は1人なのにヒーローは複数人でかかってズルい」とは思いません。
むしろ、週や月ごとに入れ替わり立ち替わり現れる個性豊かな怪人=共通の敵がいることで、ヒーロー側の結束が強くなったり、敵対関係にある者が一時共闘するなど、主役側であるヒーローを引き立てる要素として欠かせないものです。時に華々しく、時にむごたらしく散ることが望まれるのが怪人というものです。
前語りが長くなりましたが、なんとなくお察し頂けたかと思います。そうです。わたしは少なからず怪人の側に同情することが多いです。
生まれついた通りに生きるが故に、世界から排斥され、多数派に潰される少数派。身につまされますね。以前に記事に書きましたが、わたし自身の人格も、憧れのヒーローからは程遠く、怪人に寄った在り方です。
そんな怪人なわたしですが、ここ最近は見事に「怪人としての役割」を果たせているように思います。
怪人としての役割。つまりは、誰かと誰かの共通の敵になり、その誰かたちの結束を強くする。そして、「正義」という大義名分を得た側のカタルシスの為に散るというものです。
生憎とまだ散るに至ってはいませんが、職場にて、「嫌な上司」という扱いで共通の敵になりました。わたしの側からしても年上の部下というものの難しさに悩まされるところではありますが、そういった事情は考慮されません。わたしの知らないところで色々と話し合いが持たれているようで、着々と「敵」として扱われるようになっています。
いえ、まあ、終身不名誉ストーカーである以上は紛れもなく「女性の敵」ですし、人口の維持や増加に貢献しない以上は「人間社会の敵」でもあるので、対・人間においてはいつどこで悪役扱いされても不思議ではありませんでした。悲しいですけれど。
職場内にてまだ決着のつかない話ですので、詳細を語ることはしませんし、詳細に触れられない以上はわたしの言い分というものも書けません。現状で明らかなのは、わたしを共通の敵として認識することで、団結力が高まっているようだということです。
まあ、そうでしょう。物事をある一面からしか見ずに、行間を都合のよい想像力で補うのは人間の悪癖です。相手方の言い分だけを聞くのなら「かわいそう」と同情したくもなるでしょう。
多勢に無勢という点や、孤立感から高校の頃のあれやこれやを思い出してストレスフルですが、悪とは誅されるべきものですので、悪性であるわたしがこのような立場に置かれるのも自然の摂理ではあります。仕方ないです。思えば高校時代の「彼ら彼女ら」も当時のわたしという敵を弄ぶことで楽しそうにしていましたし、わたしはあの頃から怪人だったのでしょう。
非常に仕事がしづらいことや、これまでよりも多く仕事を回されることで疲弊はしますが、とりあえずご利用者の人命や財産にかかわるようなことはありません。業務上で肝心なご利用者まわりに迷惑をかける状態でないのなら、上司という立場からわたしが言うべきことは何もありません。
わたしを嫌いつつも、わたしが私費で用意した備品は遠慮なく使っていますし、一方的な「事情説明」で味方を増やしながら素知らぬ顔で過ごしていますし、使えるものをなんでも使うという振る舞いは評価しています。そのしたたかさを仕事にも発揮してほしいのが本音ではありますが。
社会人としてではなく、わたし個人の人格として感想を述べるのなら、いつだったかブルースカイに書いた「自分以外の為にリソースを投じて、その分だけ余裕がなくなるなんて馬鹿みたいじゃないですか」という愚痴に尽きます。
特にこの文に込めた言外のニュアンスである「嫌いな他人の為に」というのが大きいです。別に好きでもなんでもない相手の為に、時間も体力もお金も使って、その結果がこれでは面白くないと感じます。
とはいえ、(わたし以外の)職員が団結して(わたしを排除するという)一つの目標に向かうのはよいことですまさに記事タイトル通り、怪人冥利に尽きるというものです。
せっかく散るのなら、採石場で火薬たっぷりの爆発と共に散りたいですね。
怪人冥利に尽きる

コメント