少々の期間インターネットから離れます。

その他





冒頭文

 おはようございます。路傍の殺生石、典藻のりもキロクです。
 この「路傍の殺生石」の名乗りで今回の内容をお察しの方は熱心な典藻ブログ読者です。いつもありがとうございます。

 今回は少し気持ちが落ち込みぎみな記事です。



デジタルデトックスというものをしてみます。

 まず結論から申しまして、少々の期間、さしあたって1週間ぐらいインターネットから離れようと思っています。

 デジタルデトックスというものです。
 もしかしたら意味が違うかもしれません。まあ、語意の正確さはともかくとして、インターネットから離れます。

 とはいえ業務上ネットの利用は必須なので、業務関連以外と急ぎの調べもの、毎日のメールチェック以外のネットコンテンツと距離を置きます。
 具体的にはツイッター、pixiv等、巡回を日課にしているサイトの閲覧をやめ、当ブログの更新も期間中は停止します。都合、期間中にいただきましたコメント等へのご返信は後からになってしまいますが、ご容赦ください。


理由

 インターネットから離れようという理由についてですが、こちらは少々婉曲的かつ、普段以上に冗長な表現をさせて頂きます。


 さて、当ブログをお読みくださっている方やその他の経路で関わってくださっている皆様はご存じかと思いますが、典藻キロクことわたしは本質的には悪性の精神を宿している外道です。
 これを自覚しているからこそ、平常時は内なる悪性や毒性が他人を害さないように、「紳士的であれ」「ひとにはやさしく自分に甘く」「あたりさわりなく距離を詰めすぎず」等々を自分に言い聞かせて、外殻を纏って生きています。

 しかし、この外殻は外に出ようとする悪性を抑え込むのに常に目いっぱいでして、外部からの衝撃ですぐに支障をきたします。
 


 SNSなるものが人間の悪意渦巻く人外魔境であることは風の噂できいていたものの、少人数としか関わらない典藻の観測範囲ではそうそう悪意など見かけないだろうと思っていました。
 ええ、人間嫌いを公称して、なるべく深入りせず観察せずに過ごす現実での習慣をしっかりネットでの生活にも持ち込めばよかったと反省しています。



 わたしをかつて嘲笑っていたクラスメイトや、その他のあれやこれやを思い出して胸がぎゅっとなっています。
 公衆の面前で大勢に聞こえるように陰口をたたいたり、遠回しに恨み言や憎悪を撒き散らしたり、自分も他人も誰しもを傷つける振る舞いを見て、様々な感情が自分の中で渦巻くのを感じています。

 

 人間同士の関係は敵か味方か、善か悪かのような単純な二元論ではありませんし、ひとつの事柄も観測する人物により意味を変えるものです。
 心や体の具合が悪い時は自分のことで精いっぱいで他人を害することに無頓着になることも理解します。わたしにも覚えがあります。身につまされます。
 「推死活」の補遺の記事にて触れました通り、典藻は終身不名誉ストーカーです。懸想する相手に拒絶され悪し様に扱われることの辛さや悲しさには一定の理解があるつもりです。
 しかし、故意でもそうでなくても好意を持つ相手を害したという記憶と事実は一生つきまとってきます。寝ても覚めてもふとした時に「お前は幸せになる資格はない」と過去が頭の中で囁きます。


 キューブラー=ロスの5段階(※)にあてはめるのなら、現状は出来事に対しての「否認」を経て「怒り」の段階に至ったところだと思います。
 人間の心の動きとしては自然なものだと思います。  ※Wikipediaなりをご参照ください。
 また、繰り返しになりますが心身の具合が悪い時に攻撃的になることも仕方のないことです。


 ただ、仕方がないというのは何の害も罪もないということではありません。
 自傷すれば悲しませる相手がいますし、他傷は言わずもがなです。


 自分がまったく一切知らない相手なら何も感じなかったかもしれませんが、名前ぐらいは知っている相手です。

 見えている範囲でも双方の立場にきっとそれぞれの言い分があるのだろうとわかりますし、おそらく見えていない部分にも経緯が存在していることも予想できます。その言い分や経緯についての正当性や、わたしの好き嫌いはさておきです。


 しかし、わたしはそれぞれの対象人物について見える範囲で名前ぐらいは知っているという程度の部外者です。なんにもできませんし、お節介を焼いて余計な手出しをすべきでないこともわかっています。それが分かるぐらいには歳をとっていますから。
 心配することしかできませんが、部外者からの心配なんて、事にあたるに際して何かの役に立つものでもありません。部外者であるならば、ていよく見守るなどといって野次馬になることもすべきではありません。




 
 少し話は戻り、外道で悪性のわたしが人間ごっこをするために纏う外殻ですが、今回の件で中身の漏出を防げなくなりそうです。
 ツイッターにて触れてしまった悪意や自己愛や妄執に共鳴するように、わたしの中の同質の感情が猛って仕方がない。
 疑心暗鬼、不安と不信、妄執と依存、自己嫌悪とそれに矛盾する自尊心、おぞましい悪性。


 普段自覚しているつもりの自身の悪性ではありますが、その認識は些か以上に自信に甘い評価でした。
 外殻より漏れ出てみれば、「お前はストーカーだ」「お前は他人に好意を持つ資格が無い」「仲良しだの友人だのを持てると思うな」と忘れてはいけないことをよりハッキリと自覚させてくれました。
 ひとが誰かに好意を持つことはもちろん個人個人の自由ですが、その思いの伝え方や、そもそも伝えてもよいかというのは場合によります。
 そしてもちろん、好意に好意で返してもらえるかどうかについては、必ずしも自身の望む結果を得られるとは限りません。
 初恋の相手と周囲の知人友人からストーカー認定を受けたわたしが言うのだから、説得力を感じて頂きたい。



 そして、終身不名誉ストーカーを改めて自覚したことで気が付いてしまったこともあります。
 自分がストーカーであること、或いはそうであったことを分かっていた筈なのに、振り返って見ればここ3ヶ月程度はネットストーカーと呼んで差し支えない振る舞いばかり。

 なにもわからない素人の分際で作品の感想をクリエイターに伝えたり、個人や作品に関する記事を書かせてほしいと我欲を押し付けたり、配信中のコメントのマナーもわからず参加したり、こういうのを厄介ファンだと言うのだと思います。

 わたしの性質上、ファンであること自体が相手方の迷惑になる可能性を常に考えなければなりません。もっとしっかり紳士的に、行儀よく、ファンとして何かの役に立つように有用であるように振舞わなければなりません。
 せめて「比較的マナーのよい厄介ファン」ぐらいの立ち位置になれるようにはなりたいです。厄介さが性格に紐づいている以上、道のりは遠そうですが。


 ……というようなわけで、自分の悪性やら我欲やらがおとなしくなるまで、また、外殻の修復が済むまではインターネットから離れようという結論に至ったわけです。



期間中は普段触れないジャンルに触れようかと。

 インターネットから離れる間は、せっかくですからリフレッシュの為に普段触れないジャンルの作品を読んだり観たりしてみようかと思います。

 具合のよいことに、推しの絵師様や推しの天使に薦められた作品があるので、このあたりを履修してみます。


 典藻は集中力の散漫さ故にマンガを含めて本を読むのが非常に苦手なので、普段は書籍に触れることがあまりありません。
 ジャンルも媒体も含めて馴染みのないものに触れることでリフレッシュできるとよいなと考えています。

 また、この他にも何か興味のあるものや帰還後にブログ記事にできそうなネタが思いつけば試してみようと思います。


期間中の連絡先

 あまり心配することではないと思いますが、期間中に典藻へ連絡が必要な場合は、当ブログの問い合わせフォームからご連絡ください。

 Eメールで受け取りますので、毎日のメールチェックの際に気が付くと思います。

 ブログ記事、ツイッターやpixivのイラスト、Youtubeの動画などに関する問い合わせ・苦情があれば、ご連絡お願い致します。


おわりに

 そういうわけで、とりあえず1週間ぐらいはインターネットから離れます。
 文字情報としてのひとの悪意を目にしないようにした上で、取り急ぎ自身の悪性を抑え、厄介ファンとしての厄介度合いを軽減できたと思ったら戻ります。
 しかし、自己評価の甘いわたしの判断では、方々の推しへの厄介ファンのまま戻ってくるかもしれません。所詮わたしはストーカー。他人とのちゃんとした距離感がわかるようになりたい。


 今回はいつもに増して文章に見直しが不十分なので、誤字脱字や文章の前後のつながりがおかしな部分があるかもしれません。
 人の振り見て我が振り直せ、と申します。
 ひとの振りを見てしまった以上、我が振りを直さなければ。


 文末にはなりますが、わたしの好意が介在しない事務的なやりとりについては問題なくこなせると思いますので、前項にあるように、クレーム等のご連絡はメールにてお願い致します。
 仕事はともかく趣味でまでクレームは来ないでほしいなあとは思いますが。

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