本が読めない!

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 おはようございます。少しずつ涼しくなり秋を感じつつある典藻のりもキロクです。

 秋といえば食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋……。はて?

 食欲は週末限定ですね。
 スポーツ? 典藻が運動をするとでも?
 そして、読書。これが一番難しそうですね。
 なんだか秋めいたことを出来なさそうな典藻です。


 ええ、読書はハードルが高いですね。文書の読み書きというのはとても苦手です。
 ですが、そんな典藻もかつては「趣味は読書」などと自己紹介していたこともあったのですよ。


 小中学校のときはテレビゲームやカードゲームも好きでしたが、小説や漫画をよく読んでいました。
 ファンタジー小説、時代小説、SF小説、オカルト本、怪談本、少年漫画、母から借りたレディースコミック? や育児エッセイ漫画……。学校の図書室にある本、市の図書館にある本、家にある本、冊数は少ないものの今よりもだいぶ活字に親しむ生活をしていたように思います。
 ゲームは1日1時間ですし、カードは相手がいなければ遊べませんので、ひとり遊びの一種として楽しんでいたものと思います。

 高校の頃はライトノベルと呼ばれる小説をよく読むようになりました。何ならライトノベル作家になりたいなどと夢見ていたような気もします。
 紙媒体では無いものの、物語と活字に親しむという意味ならば、ギャルゲを始めとしたノベルゲームにも触れていました。


 事情が変わったのは大学に入ってからのこと。しばらくはライトノベルや「ふつう」の小説、聖典と仰ぐギャルゲを読んでいました。
 わたしが終身不名誉ストーカーとして死ぬまで負うべき責任を発生させた時期に前後して、本を読むことが極端に少なくなりました。抑うつ感情の為か或いは別の原因か、集中して文字を読む能力が弱まったように思います。人生の教科書であり聖典でもあったギャルゲに触らなくなったのも、この頃でしたね。

 
 社会人になってからも状況は変わらず、本を読むことはほとんどありませんでした。
 さらに仕事の忙しさやら人間関係やらのストレスからか、ついにはトレーディングカードのテキスト程度の文章量でも読解が難しくなっていきました。体に馴染んでいる古いカードは扱えても、新しく手に入れたカードは「使い方」がわからないという状態でした。そのため、趣味のひとつだった遊戯王カードも数年間、集めるだけという形になっていました。(その集めるという意欲も別の要因で削がれることになりますが)


 本が読めない、カードテキストが読めない、メールもそんなに読めていない。正しくは、読むにあたって必要になる労力が増したので読むこと自体が億劫になっていると表現すべきでしょうか。
 仕事に支障をきたすのはよくないので、億劫ながらも文章読解のリソースを業務の為に使います。すると私的な趣味として本などを読む体力が残らない……というのが悩ましい。
  

 楽しんで追いかけていた漫画も新刊を部屋の隅に積むばかり。
 面白そうと思って買った小説も最後まで読めずにしまいこんであります。
 たまに気まぐれを起こして小説の有償リクエストをしてみても無視されて、読む気も空回りですし。



 書くにしても描くにしても、色々な情報を自分の中に入れることが大事! みんな勉強が大事だよ! と世の先生方は仰います。
 ああ、そんなことは言われずともわかっています。人間の発想は今までに見聞きしたものから生まれるなんてわかりきっているのですよ。まあ、勉強なら出来る人がやればよろしいのではないでしょうか。わたしはそういった努力ができませんので、いつまでも同じ場所にいますよ。


 小説が読みたいですね。以前は読んでいたのだから意外と大丈夫なのではと思って試しに読んでみても上手くいきません。
 とはいっても漫画ならだいぶ読めるようになってきました。とても眠くなりますが。
 カードテキストなら眠くならずに読めるぐらいには回復してきているので、いつかは積んでいる小説が読める日も来そうです。

 いつかは取り戻したい読書の秋……というお話でした。

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