おはようございます。イノセンスと聞けば反射で「無邪気なままで」と口走る典藻キロクです。
それイノセンスじゃなくてイノセントというツッコミまでセットです。
普段から冒頭あいさつが本文と関係あるときと無いときがバラけていますが、今回は(一応)内容に関連する挨拶です。
それはそれとして。
先日の記事で自身のターニングポイントに触れたので、その流れで似たような話をしようかと思いまして。
漫画のセリフに救われた記憶についてです。
思い出しながら書きますので非常に冗長ですが、ご容赦ください。
ほわんほわんほわん(回想に入る音)
あれはわたしが高校に入学した頃のこと。
地元の公立中学から同じく地元の公立高校に入学するにあたって、入試での成績が上位だったとか何とかで、入学式(だったはず。もしかしたらその後の集会だったかも)にて新入生代表のあいさつをすることになりました。
今は図太く、誰に嗤われても誰を傷つけても意に介さない邪悪を自覚したわたしではありますが、当時は純粋無垢な若者でした。
全校生徒の前で話すなんて体験をしたことはありませんでしたし、どちらかといえば引っ込み思案なわたしとしましてはあまりに重い肩の荷でした。
当たり障りのない優等生な作文をして、事前に高校の職員の前で読み上げの練習をして、「練習通りにすれば大丈夫」とお墨付きを頂いて迎えた本番当日。
はじめから、練習通りにはいきませんでした。
練習時にはマイクなんて持たされませんでした。
片手がマイクでふさがった状態で、たたんである紙を広げるなんて出来ません。わたしの不器用さを甘く見ないで頂きたい。
結果、紙を取り落とす無様を300人以上の前で晒し、見事笑いをとりました。いいえ惨めに嗤われました。
併行して起きていた友人関係のすれ違いも相まって、わたしは人前に立つことや同年代の他人と話すことが怖くなりました。
というか教室で声を出して存在を感知されることそのものが怖くなり、できるだけ目立たないよう気配を殺して過ごしていました。
気配を殺して、とは言いますが、今も昔も図体の大きなわたしです。声を出さないだけでは存在を隠しきれません。
当時のわたしの容姿といえば、優しい言葉で表して「どんより」していて「もっさり」していました。
まあ、そういった外見をしている上に、喋りもせず自我があるのか無いのかも分からない異物がいたら、嗤いものにしたいのもわかります。
彼/彼女らは、わたしに聞こえるように妙なあだ名で呼んで仲間内でくすくす笑い合いました。飽きもせず3年続けた人もいましたし、わたしに自我がある事が分かって以降にやめた人もいました。
今にして思えば限られた一部の生徒のみではありましたが、全校生徒の前で嗤われたわたしからしてみれば、学内生徒の誰しもがわたしを指さして嗤っているように感じていました。
母は優しかったです。
なので、心配させるようなことを言いたくなくて、でも嘘はつきたくなくて、「友達はできないけど大丈夫」としか言えませんでした。
引っ込み思案のけが強くなり、弟と話すことも無くなっていきました。
母も弟も、たまに会う祖母も、さぞ接しづらかったことでしょう。家庭内に居場所はあっても、「素」を出せる場とは言い難くなりました。
土日にしていたアルバイトは楽しかったです。
労働をして、その対価を得るというのは自分という存在が認められているという実感が得られてとても嬉しかったです。
厳しい先輩も、ちゃらんぽらんな先輩も、優しい上司も、兄貴肌の上司も、みんなよくしてくれました。
学校を5日がんばれば、土日は楽しいバイトが待っている。
あの頃は物事への集中力があったので、バイト代で漫画やライトノベル、ゲームを買うことができたのも息抜きになっていました。
とはいえ徐々に徐々に蝕まれていくものはあります。
学校に自分の居場所はない。でもサボるわけにはいかない。かといって明確な被害を受けているわけではないから、この程度のことを「いじめ」と呼んでは今も理不尽を耐え忍ぶどこかの誰かに申し訳ない。
これは「いじめ」ではないのに、それを苦痛に感じるのは自分の感覚がおかしいのだと、ひとつの答えに至りました。
自分がおかしいなら、悪いのは自分です。
姿かたちの気持ち悪い不気味なヤツを嗤う彼/彼女らに何の罪がありましょうか。嗤われたところで、それを笑い飛ばせば済むことをウジウジと悩む自分が悪い。
さて、わたしはどうしたらよいのか。
そこにいなければいけないのに、そこにいることを望まれない。思考は迷走し、自分は「悪い」のにどうして生きているのかという問いに行きつきました。
多感な年ごろです。死生観なぞに思いを馳せることもあってよいでしょう。
--どうして生きているのか。
困りました。すぐに答えられる返事はなさそうです。将来の夢があるわけでもない、友達と呼べそうな人も今はいない。わたしがいなかったら母は悲しむかもしれないけど、その穴は弟が埋めてくれそう。
だったらわたしは、どうして生きているのでしょうか。
ひとつわかることは死ぬ勇気も、死に突き進むほどの絶望も持ってはいないということです。
そういえば「銀魂」の小説で銀八先生が、「楽しみがあるうちはそれを理由に生きたらよいのでないか」というようなことを言っていました。
そういえば「D.Gray-man」のアレンがクロウリーに「理由があれば生きられる」というようなことを言っていました。
楽しいことなら、あります。
アルバイトは楽しいし、楽しみにしている来週のアニメもあります。それが理由になるでしょうか。
ああ、でもきっと、アルバイトが辛くなる時もくるでしょう。アニメもいつかは放送を終えます。そうなったら理由が無くなってしまいます。
理由がなければ生きられない。なにか不朽の理由がほしい。
なにかないでしょうか。外的要因に頼らない、わたしの中にあるなにか。
ありました。
わたしには死ぬ勇気がありません。わたしには死にたくなるほどの絶望もありません。わたしは死にたくありません。
「死にたくない」という生きる理由が見つかりました。
理由があるなら、生きられる。
死にたくないから、死ぬまで生きられます。
めでたしめでたし。
ほわんほわんほわん(回想を終える音)
というようなことがありました。
この後の高校生活では、スポーツマンシップというものが綺麗ごとであると知ったり、生き方の指針のひとつになるギャルゲに出会ったり、遅れてきた中二病によって学内での奇行が目立って来たり、ギャルゲで出来た縁によりクラス内に居場所ができたり、わたしが喋るようになってそれまでわたしを笑いものにしていた同級生がいつの間にか保健室登校になっていたり、でも見た目に変化はないから相変わらず上級生や下級生には舐められて髪をひっぱられたりというようなことがありました。
純粋無垢な当時のわたしには色々感じることの多い学校生活が続きました。
さらにこの後には、わたしが終身不名誉ストーカーとなり自分が悪性のヒトモドキであることに気づかされたり、妻との馴れ初めがあったりという大学編がありました。
まあ、何のかんのとありましたが、今でもわたしは変わりません。
「死にたくないから生きている」だけで、生きる為に生きているわけではありません。ごめんなさい。
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