一日一笑を心がける

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 わたしの妻は素晴らしい人物です。聡明で、それなりに高潔で、慈愛に満ち、容姿に優れ(ひいき目)、わたしなぞを好いてくれる奇特な感性を持っています。わたしにとってはベストマッチなパートナーです。同時に、わたしには勿体ない稀有な存在です。
 わたしの伴侶となることで、人生を浪費させてしまっているのではないかという申し訳なさを覚えることもあります。あるいは、これほどまでに理想のパートナーが傍にいるというご都合主義から、妻と出会ってから今この瞬間まで、夢を見ているのでないかと思う日もあります。それほどネガティブに振らずとも、少なくとも一緒にいてくれることへの感謝は尽きません。


 たまに、前触れなく「いつも一緒にいてくれてありがとう」と声をかけることはあります。大抵の場合は「どうしたの急に」と返されます。そりゃそうだ。唐突に感謝を伝えたところで、それはわたしの自己満足です。だからといって、お互いに、なにかにつけて記念日を設定するような性格でもありません。感謝を述べるべきタイミングを探していては、死ぬまで何も伝えられません。
 もとより、わたしの言葉というのは軽薄なものです。どれほどの意味もありません。わたしの「好き」に他人から見ての価値はなく、「ありがとう」も行動が伴わなければ意味がありません。


 妻からの恩に報いる為に、一日一笑を心がけています。
 日に1回は妻を笑わせるということです。ジョークであったり、突飛な話であったり、身振りであったり……方法はその時々の思い付きによって違いますが、とにかく笑顔になってもらおうということを意識しています。まあ、他人様から見て「変人」認定を受ける夫婦ですから、なにが可笑しくて笑っているのかわからない光景かと思います。それでも、妻が笑えば、わたしも釣られて笑うわけで、一石二鳥です。


 笑いは健康によいとも聞きます。わたしは妻がいなくなったら寂しいので、できれば長生きしてほしいです。ただ、交際当初からしばらくの妻は折に触れて「死にたい」と言っていたので、死にたがりに生きてほしいと望む身勝手さに罪悪感はありました。その後、何かの心変わりがあったのか、「死にたい」はなくなり「どうやらしばらくは生きるから」と言うようになっていました。わたしの知らないところで何かが吹っ切れたのかもしれません。大事なターニングポイントで助けになれないのが、またわたしの無力さです。結果的に、心境が好転したようなので、よしとしていますが。


 数年に一度のケンカ期間は笑い合うことができていませんが、概ね毎日、何かしらで笑顔になってもらえています。「笑われる」のとは天地程の差もある「笑わせる」ということができて、ひとつの人格として認められている気にもなれます。感謝の気持ちは軽薄な言葉でなく、行動で示すのが正道だなぁとつくづく感じる日々です。

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