エロゲ趣味あれどエロ表現を好かず

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 ギャルゲ・エロゲを人生の教科書と呼ぶわたしですが、だからといってエロ表現を好んでいるのかと言えば、そういうわけではありません。人並み(たぶん)にスケベなおじさんではありますが、なんでもかんでも好きなわけではありません。可愛い女の子が好きであっても、必ずしもその子を邪まな目で見るわけではありません。
 心外なことに、誤解されがちなところです。非常に心外なことに。


 むしろ、エロゲに濡れ場はいらないのではないかと思っているのです。
 わたし自身の実体験が伴わないが故か、そういった描写のよさがわからないというのもありまして、ゲームプレイの際には毎度ctrlキーにお世話になっていたものです。しかし、油断すると、濡れ場中にストーリーに絡むそこそこ大事な展開があったりもします。困りますね。
 また、わたし個人がその「よさ」を理解できないだけで、書き手が思いを込めた創作であるのですから、それを読まないというのが非礼にあたるという認識もあります。実際、ツイッターだとかブログだとか各種SNSで、そういった作品を書いて/描いている方々の発信を見ると、思い入れやこだわりを持って創作活動に臨んでいるのが見てとれます。そういった創作者の方々への敬意に欠ける構え方であったと反省する部分もあります。
 見ていて何ともいえない気分になるものにどう向き合うべきだったのか。答えろ、答えてみろルドガー。


 エロゲと呼ばれるものにそういったシーンがあることは、納得すべきことではあるのです。
 そういうものを求めてプレイするゲームだとわかっているのですから、それを欲しない派閥のわたしは身構えることができます。身構えている時には死神がどうのこうの、です。


 パッケージや表紙で「そういうもの」と主張しているわけでもないのに、ただ恋愛モノを読んでいたら、そういう流れになるというのが……こう、如何ともしがたい感情が湧くのです。恋人や夫婦の仲が深まった先でたどり着く終着点が「それ」であることが、あたりまえであるようで……。イーヴィルティガは言っていました。「もっと、こう……あるだろう」と。違う、イーヴィルティガはそんなこと言わない。
 あと、ツイッターやピクシブなどで、あからさまにあからさまな絵などを見ると、少し元気がなくなります。フィルタを設定しないのが悪いと言われれば、返す言葉もありませんが。

 
 好意が双方向のものであることを確認する為に、粘膜接触を介する必要はないと思うのです。
 世間的には、繁殖を目的とするわけでもなく、娯楽の一環として肌を重ねることが許容されていることは存じております。なんなら、恋人や夫婦は、そうであって当然であるという認識でしょう。
 広く、そのように認知されているわけですから、創作において恋人・夫婦の間に「そういう」シーンが描かれるのは自然なことなのだとは思います。わかります。大げさに言えば、世界が正しく、わたし(たち)が誤っているのです。


 しかし、わたしがギャルゲ・エロゲを人生の教科書と呼ぶのは、主人公がヒロインの抱える問題に寄り添い、解き明かし、共に救われる点に「よき人」になる手がかりを見出しているからです。その為、いわゆる「抜きゲー」(この呼び方自体も好きませんが、的確ではあります)というものへの関心は薄いです。まあ、食わず嫌いであまり触れてきていませんが、それにはそれの魅力もあるのだろうとは思います。
 いずれにせよ、恋愛あれこれや、その延長にある(ということになっている)「スキンシップ」の重要度は高くありません。相手をひとりの人間として認め、真摯に向き合って問題を解決するという物語こそ重要なのです。そこに濡れ場を挟む必然性があるのなら、受け入れもしやすいのですが……。


 
 なぜ世間の人々(というと主語が大きすぎますが)は、露骨な表現を求めるのか。過度な露出であったり、分泌液であったりをありがたがるのか。いえ、少なくとも商業においては多数派の需要こそ正義です。現実を受け入れるほかありません。恋仲の先には「そういうもの」が求められているのでしょう。
 多数派こそが当たり前で、だからこそ、エロゲ好きといえば、そういう趣味があるのだろうという偏見を持たれるのです。たとえセクシー(わたし基準)な要素を満載にしたキャラクターだとしても「そういう描写」を求めるわけではないのに。


 たしかに、男性目線で女性キャラクターを「可愛いもの」として見るのは、少なからず性欲由来ではあるはずです。ですが、由来がそうであっても、すなわち性的描写を求めるものではありません。
 我ながら、相も変わらず妙にこだわりが強く面倒くさい限りではありますが。

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