本日は妻が義母・義妹との外出の為に不在でした。
諸々が予定通りに進行していれば、妻のいない間にYoutubeで初配信でもしてみようかと画策していましたが、準備に時間を充てるはずだったゴールデンウイークに出勤が入ったり追突事故で余計な時間をとられたり、そもそも本日も仕事になってしまったので、お流れになりました。
できなかったことの言い訳はさておき。
1日歩き回ってきた妻から「2万歩!」と報告を受けました。足がお疲れのようです。
この際の会話で、そういえばこれも意味のわからない定型文になっているなと思うものがありましたので、せっかくですから書いておきます。需要があるとわかっているのなら、供給します。妻に怒られないだろう範囲で。
もともとは仕事などで「歩き疲れた」「○○の作業で腕が筋肉痛」というようなことを言う妻に「(その部分が)痩せるよ」と声をかけ、「(これぐらいじゃ)痩せないよ」と返される一連の流れが定型化していました。
これが転じまして、最近では「今日お昼食べ損ねた」や上記と同様に体力を消費した旨の発言などに対して、「痩せ細って死ぬよ」「痩せ細って絶滅するよ」という声掛けにエスカレートしています。返事は「ちょっぐらい痩せた方がいいんだよ」「ちょうどよく痩せ細ったらいいよ」になっています。
実際に「ちょっとぐらい痩せた方がいい」のかどうかについては、当人の価値観に基づくものなので、自由意思に任せています。太るも痩せるも、健康の範囲であるなら、それでよしです。
また、感謝を示す定型文もあります。
食べ物を分けてくれた時や水を冷蔵庫から出してくれた時などに「世が世なら水をくれるタイプの救世主じゃん」という言葉で感謝を述べます。「水をくれるタイプ」の部分は可変ですので、時と場合により、色々なタイプの救世主になります。
文章としては長めなので、最近は「世が世ならじゃん」という詠唱破棄状態になっています。元の文章に反して救世主への敬意が損なわれるような省略のしようですが、該当する行動に対する感謝の意を示していることは伝わっていますので問題なしです。
あまりに自然に口にし過ぎて「変な会話」であることを自覚できていませんでした。普段のやり取りに注意してみたら、他にもいろいろありそうな気がします。
なんとなくですが、こういった夫婦間でのみ成立する定型文や代名詞が極まっていった末に、「アレ」の一言でお茶だったりお醬油だったり新聞紙だったりが判別されるステレオタイプの「夫婦のやりとり」に変化していくのだと思います。
たぶん、現時点で「アレ取ってアレ」「アレってどれ?」「アレ」と対象物の名をかたくなに伏せようとすると、「え、なに? 名前を出しちゃいけない物? ヴォルデモート? あ、言っちゃった!」というような流れになる気がします。まだまだ会話のガラパゴス化の余地はありそうです。
妻との間でのみ成立する「素」のコミュニケーション(3)

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