他人と過去は変えられないが、未来と自分は変えられる。
有名な精神科医の言葉だそうです。
わたしがこの言葉を知ったのは、大学の頃でした。講義を担当してくださった先生(肩書を覚えていない)の好きな言葉として紹介して頂きました。
なるほど。前向きで建設的で、教訓とすべきよい言葉なのでしょう。
ですが、わたしはこの言葉が嫌いです。いえ、言葉の意味するところは、正しくはあると思うのです。実際に、他人を思い通りに変えることなどできません。過去などは言わずもがなです。
正しいのと、その言葉の残酷さを好くのとはまた別の話です。
はて。「残酷さ」とは。
わたしはこの言葉のどこに残酷さなどというものを覚えたのでしたか。
先にも述べましたとおり、この言葉を初めて聞いたのは大学の頃です。高校であれこれあった(過去記事参照)のを経て、聞いたわけです。
時期的に「自分から動けば事態は好転する!」とか「ぼくにも友達というものができる!」などと思い違いをしていた頃のわたしではありますが、根本的にひねくれていることに変わりはありません。
ひねた捉え方をするのなら、という話です。
自分を苦しめる他人を変えることは出来ない。苦しさから逃れたいのなら、害されないように、相手に気に入られるように媚びへつらって阿って、「自分」を捨てるという形で変わるしかない。
……というようにしか聞こえなかったのです。
ひねてはいますが、現実に照らしてみて、概ね間違ってはいないでしょう?
自分を害する誰かを、害さない誰かに改造することなんてできません。であるのなら、負けない自分になるか、自身の心を殺してでも受け入れがたい文化や価値観に迎合するか、変わらず害され続けるかになりましょう。
そう簡単に負けない自分になれるなら、それはとても素敵なことです。苦しみ悲しみ悩む人など誰も生まれず済みますね。ハッピーエンド。
踏みつけにされて、視野狭窄に陥って、明日目が覚めなければよいのにと毎日思う中で、そうなれるだけの気力気骨気概を持てるなら、ですが。
「当時」を思い返すに、わたしの敵ではない人もたくさんいましたが、それはただ敵ではないというだけでした。あくまで味方ではないのです。味方になってもらうには、自分から行動するほかありませんでした。「ただ耐える自分」から「行動する自分」に変わったことで事態が変わったわけです。件の言葉通りです。ただ耐えているだけでは、敵対はせずともそれに留まり、助けてくれる人はいなかったわけですから。
つまり、行動できる自分に変われないのなら、そのまま虐げられていろということになりますね。あえて乱暴な言い方をするのなら「自力で変われないなら、そのまま死ね」です。なんとも残酷なことです。
これまで変われなかったという過去を変えることはできません。
自分を害し虐げる他人を変えることはできません。
苦境にあって自分を変えられないのなら、現状ひいては未来を変えることはできようもありません。
……というように、わたしには聞こえたという話です。
言葉の伝えたいところはまた別にありましょう。この言葉が好きだと言った先生も、まさか斯様に後ろ向きな捉え方をされるなどとは思っていなかったでしょう。ただただ、わたしが歪んでいるだけの話です。
ついでに言うと、がんばって「未来と自分は変えられる」に至ったとしても、よい方向に変わるとも限らないというのが中々に辛いところです。
「他人と過去は変えられないが」という言葉への反発心

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