典藻キロクの友人観

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 人生観、死生観という言葉があるのでしたら、友人観という表現があってもよいでしょう。あるいは、人間関係観でもよいです。

 友人というものに縁遠いわたしですが、それゆえに「どうしてともだちができないのか」と考えることも多い人生でした。今はある程度の結論を得て、「そりゃあともだちなんてできないわけだ!」と納得しています。

 友情とやらに縁のないわたしの持つ友人観の話をさせてください。

人間関係は双方向の有用性の有無

 綺麗ごとを抜きにして、良好な人間関係というのは、双方向に有用性を示すことができるかに左右されるものと考えています。お互いにどれだけ相手の役に立てるか、相手に利益を供与できるかということです。

 何を以て有用であると示すかは、双方の関係値によります。それは知識かもしれません。技術かもしれません。財物かもしれません。それともなければ、心地よい空気感を提供することかもしれません。

 ご自身とご友人の関係を思い返していただければ、少なからず当てはまるところがあると思います。気兼ねなく話せるだとか、興味趣味が合致するだとか、何かしらの形の利があるのが友人関係というものでしょう。「損得で友達をやっていない」という反発もあるかとは思いますが、穿った見方をしてしまえば、やはり友人とは自分にとってどれだけ有用な相手であるかということです。もちろん、相手から見た場合もそうです。

 嫌なところばかりがあって、利や得がないという相手もいるかもしれません。しかし、裏を返せば「そんなロクデナシを見限らずにいるやさしい自分」という自己評価を得ているということです。友人というのは、お互いに何らかの形で「ともだち料」を払っているものなのです。

 これに基づきまして、自分が相手にとってどれだけ役に立つのかを示すことこそが、求愛行動ならぬ求友行動なのだと考えています。「自分はこんなにあなたの役に立てます! だから友達にしてください!」と。

友人というものを特別意識しなかった頃

 そんな捻くれた考えに至ったわたしではありますが、「友人とは何か」などと意識することもなく、当たり前に友人がいた時期もあります。

 無垢であり、無知であり、無謀であった頃。つまりは幼少の時分です。自分がヒトモドキだなどと知ることもなく、悪性であると気づくこともなく、怪人であると自覚することもなかった頃の話です。心理学でいうところのギャンググループ(幼少期に遊びを通じて交流する集団)だったのでしょう。スポーツ好き、アウトドア好きという、今のわたしでは考えられない属性の人間と交流していました。

 当時から母と弟以外の相手と話すのは苦手でした。小学1年生の頃、先生から「呼びかけるときは服の裾をひっぱるのでなく、相手の名前を呼ぶように」という教えを頂いたことをよく覚えています。問題は、相手の名前を覚えることが非常に苦手ということなのですが。そのように話すことは苦手でも、なんとなく遊びの傾向が近い集団に属していました。

やはり転機は高校時代

 小学校高学年、中学校と、自分とは異なる属性は嘲笑ってもよいのだという考えの人間に出会い、内向に磨きがかかったように思います。「デブだから」「キモいから」……まあ、はっきりとした理由を当人たちが語るわけもありませんが、このようなところからバカにされていたのでしょう。今となれば、単に相手の見識が狭かったのだとわかるものですが、当時は憎くて仕方がありませんでしたね。
 それでも、中学までは友人というものがありました。

 やはり転機になったのは、高校時代の出来事でしょう。

 小学校からの友人だと思っていた相手が、陰でわたしをバカにしていたことを知ったり、それを含めたいくつかの要因により約2年間、教室で声を発さない生活をしたりしていました。別々の高校に行った中学までの友人たちは、そこで新しい交友関係を築いていたので、会うこともなくなりました。ここから、友人関係を築けない、維持できないというのが少しずつわかってきた気がします。しいていうのなら、図書委員で一緒だった同学年・別クラスの男子とは話すこともありました。別のクラスであるということが、少しだけ気分を和らげてくれて話しやすかったです。思えば、CLANNAD好きということ以外はまるでオタク的でなかった彼と話していたというのも不思議なことですが。

 別記事で長々長々と書いたので、ここでは経緯を省略しますが、高校2年の終わりにはクラス内に友人ができました。捨て鉢気味な勇気を振り絞り、自分から趣味の話を振ってみたら、友人グル―プに混ぜてもらえるようになりました。ギャルゲ趣味つながりです。暗いところから助けてくれたので、わたしにとっては、やはりギャルゲは聖典です。

 まあ、そうして出来た友人も、高校卒業と同時に疎遠になるわけで、人間関係を維持できないというのは変わりません。

人間関係が築けないのだと自覚した大学時代

 高校の頃の成功体験から「自分から積極的に話しかけること」「相手にとって自分が意味あるもの、価値あるものと示すこと」が大事であるのだと肝に銘じて、いわゆる大学デビューというものをしました。ええ、根本が変わらないとはいえ、表面的には今とだいぶキャラが違ったと思います。いや、しかし、当時交際前だった妻から「ロボットだと思ってた」と言われるぐらいには人間味のなさが見透かされていたので、ぎこちなくはあったかもしれません。

 転機のひとつが高校時代であったことは間違いありませんが、大学ではその後の人生に多大な影響を遺す出来事がありました。いずれ別記事で詳細を書くことがあるかもしれませんが、ここでは経緯を伏せさせて頂き、大雑把に言いましょう。
 わたしが初恋の相手に告白し、フラれ、無視されるようになり、その後に人づてに「ストーカーみたいで怖い」と言われるということがありました。ふふふ、ダイジェストで書き出すだけで指先が震えてきますね。わたしが悪いことに間違いはないので、甘んじてストーカーの誹りを受けましょう。一度犯してしまった過ちは、一生雪ぐことなどできません。今に至るまで終身不名誉ストーカーです。

 このブログで関連記事を読んだことがある方はご存じでしょうが、それなりに精神状態が不安定な時期でした。妻を含めて「他人(特に異性)を好きである」ということが罪過に繋がるものだという認識が少なからず残ってしまっています。まあ、わたしによくして下さる方々はお察しのことでしょう。

 気まずさと無視される辛さともしかしたら多少の誤解とがあり、初恋の相手と共に所属していた友人コミュニティに居続けることもできず、当時の友人関係も見事に瓦解しました。妻経由で関われていたサークルの人とは話せていましたが、そもそも大学に顔を出すこと自体が少なくなり、バイトに明け暮れる日々でした。
 ならばバイト先に友人はいなかったのかと問われれば、それも残念ながら。長く続けていた倉庫のバイトは、仕事内容の都合ということもあってか、40~60代の方々がほとんどで、お世話になるばかりで友人というのとは少し違いました。そのバイト先が潰れたあとのコンビニでの仕事では、年の近い同僚もいましたが「ふつうに話はできるけど友人ではない」という距離感でしたね。そりゃあ、当時はリアルタイムで自分がストーカーであるのだという負い目もありましたし、他人と距離を詰めることはできませんでした。

有用性を示すことも出来ないストーカー

 少し話が逸れましたが、序盤に述べました友人関係は双方向の有用性に基づくものだという話をしたいと思います。

 初恋の相手からストーカーと呼ばれていると知った後のこと、それでもわたしは「好きな人の役に立ちたい」「有用性を示せば認めてもらえるかもしれない」などと考えていました。浅はかで愚かしいですね。お前にそんな資格なんて無いのに。
 どうすれば役に立てるか悩んだ末に出した結論が「あの人を悩ませているストーカーがこの世からいなくなることが、目下いちばん嬉しいことに違いない」というものです。つまりは死のうという考えですね。それに伴い終活をして、バイオリンを手放してしまったのが今は惜しいというのも、いつぞやの記事に書いていました。

 で、ちゃんと死んだのなら、今こうしてブログが書かれているわけもありません。はい。皆様には非常に残念なことかとは思いますが、終身不名誉ストーカーは今日ものうのうと生きています。飛び降り飛び込み首吊り服薬……あれこれ考えてみまして、迷惑をかける人間の数と実現可能性とから、自宅でのリストカットが妥当であろうというところまでは辿り着いていました。終活に併行して準備する中で「どのぐらいの力で切れば、傷が血管まで届くのか」というのを予行練習することとしました。本番ではないのでまだ死ぬ気はなく、太い血管の通っていない部分を切ってみたのですが、あれはダメですね。切った瞬間、死ぬのが怖くなってしまいました。今でも、傷痕を見るとぞわぞわすることがあります。死ぬのは怖いことです。

 結局のところ、「好きだ」と告げた相手の為に命を捨てることもできない役立たずでした。命も捨てられない者の「好き」の言葉が如何に軽薄なものか。役に立てず、有用性は示せず、であれば当然二度と話すこともできず……。仮に死んでいたとして、それで本当に相手の役に立てたと言えるかは、今となって考えれば疑問がありますが、当時は強く思い込んでいました。怖いですね、ストーカー心理。

友人関係が持続しない理由

 昔話をしてしまったせいで話が長くなっていますが、もう少しお時間を頂きまして、冒頭で述べていた「そりゃあともだちなんてできないわけだ!」と納得した結論についても触れさせてください。

◆提供できる有用性のリソース不足。
◆物理的に離れてしまった相手を追いかける胆力がない。
◆適切な距離感を掴めない。


 この3つが、わたしが友人関係を維持できない大きな原因であると納得しています。

 まずは繰り返し述べている有用性の話です。おそらく一般的な友人関係において最も重視される有用性というのが、心地よい空気感の提供なのだと思います。しかし、わたしにはこれが用意できません。ヒトモドキがヒト様と関わろうというのがおこがましい……とまで言ってしまうと自虐が過ぎますでしょうか。他人の気持ちが量れない、空気が読めない、面白いことを言えるわけでもない。つまりは会話が苦手であるのです。心地よさなど提供できるはずもありません。なぜか日常的に会話が成立する妻が80億分の1の奇跡のベストマッチなだけで、ふつうは相手に心地よさを与えられません。
 であれば、それを補って提供できるものとして、知識・技術・財物などを考えます。しかし、これはあまりにもリソースが不足しています。他人の役に立てるほどの知識量がありません。継続的に助けられるような幅広い技術力がありません。財物などは言わずもがなで、お金を継続して提供できる余裕もありません。そうなると、瞬間的には友人関係を築けたとしても、それを維持するために有用性を示し続けるということができないのです。


 また、物理的に離れてしまった相手に執心しないというのもよろしくありません。
 進学と共に会うことがなくなった当時の友人たちとは、そのまま疎遠になり関係性も自然消滅していきました。わたしの方から「今週遊ばない?」など誘っていれば、結果も違ったかもしれませんが、それをしなかった以上、相手を引き留めるだけの胆力がなかったのです。
 わたしに絡まれてもウザいだけではあるでしょうが、それでも「あなたと話したい」「あなたと関わっていたい」という姿勢を示していれば、相手方も「自分はこいつに求められている」「なら、関係を継続することもやぶさかではない」と検討する程度には記憶に残ったかもしれません。


 そして、その一方で好ましく思う相手と適切な距離感をとれないというのも問題です。
 このブログでの推し活関連の記事を読んで下さった方にはわかることでしょうが、好む相手に対しての言行が異常です。自覚はしています。それでも止められないのですから、これはもう天性のストーカー気質です。相手の度量によって看過されているだけのネットストーカーです。
 離れていく人間を引き留めることはしない/できないくせに、自分からは距離を詰める。よくないですね。いえ、ここ1年の話であれば推し活での行動が顕著であったということであり、それ以外の面でも似たようなものです。こう思うと、よくもまあ妻はわたしの距離感を受け入れてくれているものです。


 これらの要因で友人関係を築けない/維持できないとわかっているのなら、直せばよいのではと思われるでしょう。正論です。わたしもまったく同意します。悪いところがすべて直った末に形成されるのが、もはやわたしとは別の人格であろうことも、そういった人格こそが人間社会に求められるということもわかります。現状のわたしが不適格で不適正であるから、友人というものに縁がないのだとわかります。わかっているから「そりゃあともだちなんてできないわけだ!」納得しているのです。

おわりに

 以上、わたしの友人観です。大事なのは有用性です。有用性を示し続ける、役に立ち続けることができなければ、友人関係というものは続きません。わたしにはそれができません。

 当たり前に「このあいだ、ともだちと出かけたんだけど」という話ができる方を尊敬します。そんなことが生活のなかで当然に行える友人がいるということは、それだけ当人に意味や価値があるということです。

 他人の役に立てないのだから、友人ができるはずもないと納得しているという話でした。長々とお付き合いいただきありがとうございました。

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