わたしは洋画をあまり観ない

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 おはようございます。いつまでも子供向けアニメ映画から卒業できない典藻のりもキロクです。

 唐突ですが、典藻は洋画をほとんど観ません。
 DVDを借りて来ることもなく、配信サービスを利用することもなく、いわんや劇場に足を運ぶこともありません。
 ただし「コマンド―」はブルーレイを買ってまで観ています。あれは例外です。
 あと「シャークネード」のDVD-BOXである完全捕食パクパクパックは買ったきり開封せずに置いています。友人から勧められた「アンドリューNDR114」も温めてしまっています。すみません、先生。


 まあ例外はありますが、基本的には観ません。
 絶対にということではありません。自主的・積極的には観ないということです。しかし決して嫌っているわけではないのです。

 
 昔々、まだ実家で暮らしていた頃はテレビ番組を観ることが生活の一部でしたので、地上波放送されているものを観ることはありました。
 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ネバーエンディング・ストーリー」、「ジュマンジ」等々……。とても懐かしい。
 また、妻は特に抵抗なく洋画を観ることもある為、その意向に沿う形で「ベイマックス」等を観ています。なので一切全く洋画に触れない人生だったというわけではありません。


 典藻の洋画経験値の話はこれぐらいにしておくとしまして、本題です。何故に洋画を避けているのかという話です。


 典藻は日本生まれ日本育ちでして、学校の授業もそれほど真面目に受けていたわけではないので英語がまったくできません。
 話すことも聞き取ることも、読むこともできません。当然ながら、英語圏での俗語や慣用句、文化などもわかりません。
 これが理由です。


 英語がわからないのなら字幕や吹き替えで観ればよいじゃない、と? おっしゃる通りです。「コマンドー」は吹き替えで観ました。
 しかし、それでは理解に不十分と思うのです。典藻が観たのは「コマンド―」であっても本来の「COMMANDO」ではないのです。


 原文の言い回しに込められたジョークや外連味というものを感じ取れないのが悔しいのです。ひとつひとつにこだわっているだろうセリフ回しのニュアンスを十分に理解できないことが悔しいのです。
 そんな状態で、その映画を観て語るというのは制作者への礼を失する行為なのではないかと、いつの頃からか思うようになっていました。


 もちろん、吹き替えセリフや字幕への翻訳もプロの仕事です。こちらも礼を持って振舞うべき作品ではあります。
 ですが、原語での細かなニュアンスまでは伝わらないのではないかと思うのです。

 「布団が吹っ飛んだ」という抱腹絶倒のジョークを英訳するとして、そのニュアンスを伝えるのはどのような訳になるのでしょうか。
 これは古来より語られるダジャレの代表であり、別に面白くはありませんが「布団」と「吹っ飛んだ」という言葉がかかっている洒落であると誰にでもわかるものです。
 英訳がフトン・エクスプロージョンにならないことぐらいは典藻にもわかりますが、「その国で誰にでもわかる絶妙に面白くないジョーク」として変換された際に、どれぐらい原文の要素が残るのかということが気になるのです。
 つまりはこれの逆で、原文を和訳した際に、本来文章が持っていたものと異なる味わいに変わってしまうのでないかという事を不安に思うのです。


 そんな具合で、原文の味わいが真に理解できないのなら、視聴に臨むのは制作者に申し訳ないと感じてしまっています。どうにも洋画視聴の心理的ハードルが非常に高いものとなっています。
 考えすぎなのはわかっていますとも。
 こういう他者から見ればどうでもよいことに拘るから、妻からも「息苦しそうな生き方をしている」と言われるのです。

 以上、洋画をあまり観ないという話でした。
 たまにはこんな雑記があってもよい。だって個人ブログですもの。

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