「お前には分からないだろう? 何も生み出すことのできないお前には」

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 おはようございます。自制も自省もないことに定評のある典藻のりもキロクです。
 自制なく欲望を述べるのなら、「若奥様」という言葉の響きにはトキメクものがあります。
 ちなみに今回は本文に関係ない導入です。本当は少~~~~しだけ関係あります。


 先日、↓のような記事を書きましたので、ついでにもうひとつ、似たようなお話を。
 今回は資料が手元になかったので、セリフの表記に誤りがあるかもしれません。また、参考画像はありませんのでご了承ください。



「お前には分からないだろう? 何も生み出すことのできないお前には」

 良いセリフです。
 典藻の価値観を変えるまでに至らずとも、少なからず影響を与えてくれたセリフです。

 こちらは、アニメ版「ローゼンメイデン」の2期にあたる「ローゼンメイデン トロイメント」の第12話(最終話)において発せられたセリフです。
 この発言にいたる脈絡も、発言した人物の詳細もネタバレにあたりそうなので(なにしろ最終話のことですからね)、とりあえずセリフを言葉の通りに受け取ってください。

 言った本人の立場や作中での振る舞いはともかくとして、思春期ちゅうがくせいの典藻キロクに影響を与えてくれたセリフでした。
 
 
 当時の典藻は、言われてみれば確かにそうだなと思いましてね。
 「生み出す者」という立場に立ったこともないのに作品を批難するのは何か違うな、と。
 作品として何かを書いても描いてもいないのに、一丁前に意見を述べるのはおこがましいな、と。


 このセリフを受け、創作を行う側の立場や都合というものも想像する必要があるなと再認識しました。
 転じて、やったこともないもの、立ったこともない立場について、他人にとやかく言うことは控えるよう意識するようになりました。まあ、ヒトと関わるにあたって基本的なことではありますが。


 さらに転じて。
 当時、他人から……主に同級生の女子あたりから、まあよろしくない扱いを受けていた身としましては、「僕の人生を生きたこともない奴が何か言ってらあ」と思えたので、少し気楽になりました。
 この頃、つまり中学の頃よりも、その後の高校の頃の方がなお孤立感が増すことになるのですが、その度に色々なセリフを借りて自分に言い聞かせることで乗り切ったものです。


 閑話休題。

「お前には分からないだろう? 何も生み出すことのできないお前には」
 この素晴らしいセリフに触れてから数年後のこと。 
 自分がやったことも無い事、できもしない事について他人を批難するのはよくないと思いながら過ごしていた日々。

 同人サークルであるカスガソフトの「忙しい人のための幻想郷シリーズ」。思い出深い素晴らしい作品です。
 このシリーズのどこかの会話で「料理ができないやつは不味い飯を不味いと言ったらいけないのか(意訳)」というようなセリフがありました。

 こちらも言われてみれば確かにそうだなと思わされるものです。一言一句その通りです。
(一言一句などと述べつつ、該当のセリフがうろ覚えなのはご容赦を)



 であれば、経験の無い事、できもしない事に関して抱く気持ちはどうすればよいのか。
 典藻は考えました。
 そして、両方のセリフの表面上の意味の、しかも自分に都合のよい要素を混ぜ合わせて答えを出しました。
 批難でなく批判になるよう、よいところと悪いところの両方を見て、想像して、推測して、考えてから感想という形で出力するようになりました。
 そう考えると、このブログにもその向きがあるように思います。結構しっかり影響を受けているな、わたし。
 







 さて、ここからは余談です。
 上記のセリフについての話題から少々外れます。
 創作物などに対してのスタンスは上記のとおりです。
 そのスタンスに至るまでの副産物として、わたしの在り方について他人の指図を受けないという図太さを獲得しました。
 経験の無い事というものを拡大して捉えた結果ですね。
 

 「わたしの人生」の専門家・プロフェッショナル・第一人者はわたししかいません。
 同じく「あなたの人生」の専門家・プロフェッショナル・第一人者はあなたしかいません。
 誰かが知ったような口をきいたとして、それは専門外からの意見です。
 わたしの操縦は、わたしが一番うまいのです。当然です。プロですから。


 わたしの在り方に口出しをされたとして、親切心からの忠言助言や良さそうな事は取り入れて、中身のない陰口は受け付けないという姿勢をとれるようになりました。



 ……まあ、真に図太くなったのは「自分が邪悪である」、「自分の精神はヒトに非ざるヒトモドキ」と自覚して、かつ受け容れてからですが。
 ヒトとヒトとの交流に混ざりたくても上手く混ざれない。拭い難い異物感。
 それはそうですとも。なぜならわたしは悪性・悪党・悪役ですので。

 わたしは悪ですから、それ故に善性に執着する者です。
 善とはなにか。正しさとはどこにあるのか。そんなことを考えて、わたしなりの偽物の善を装っています。
 ヒトに成りたいと焦がれつつ、ヒトに成れないもどかしさは既に遠い思い出の中。


 善やら正しさやらを振りかざして大きな顔をする皆様におかれましては、わたしに感謝をして頂きたいところです。悪がなければ善は成立しませんので!


 いやあ、強くなったな、わたし。
 若かったな、陰口に傷ついていたわたし。
 思い返すに感慨深い。

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