世間を騒がせている高校野球のアレに、やはりスポーツマンシップなど信用ならないと再認識した

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 事の次第を深くは知りませんが、某高校の野球部であったいじめに起因して、甲子園を辞退したとかしなかったとかという話題が世間を騒がせているようですね。事情を知らないが故に、いじめを憎む気持ちから、「いじめ・暴力を行うような奴らを醸成した環境など滅びろ」と短絡的に考えてしまいます。
 ↑の関連記事で触れましたが、当人らの素行が如何に悪くとも、スポーツで結果を残せば全校を挙げて応援されるというのが世の中です。真面目に静かに過ごしていても、学校に対してメリットになるような成果を出せないという時点で、当時のわたしのような生徒は路傍の石でしかありません。道端に転がる石が蹴飛ばされようと、唾を吐かれようと、誰も気に留めません。


 さて、冒頭に述べました「世間を騒がせている」というのは、某高校でいじめがあったこと自体というよりは、それを巡る各所の対応についての方が大きいように感じます。学校の対応だとか、甲子園辞退だとかですね。特に後者について、「SNSの誹謗中傷はやめてください」「甲子園という晴れ舞台を台無しにされて球児たちが可哀想」「もう済んだことだったのに蒸し返すなんておかしい」というような言説を聞きました。原文ママではありませんが、要旨は間違っていないかと思います。


 高校球児というものに悪印象しかないわたしとしては、何かしらの美談の裏にも踏みにじられた者たちがいるのだろうと常々疑っていたわけです。今回の件も、関係者からの告発がなければ表ざたになることもなかったでしょうし……。
 他人を傷つけておいて、自分たちは傷つけられたくないというのは随分ツラの皮が厚いなとしか思いません。晴れ舞台を台無しにしたのは自分たち自身でしょうし、チームメイトのやったことの責任をとるというのは彼らが得意とするところのチームワークというものではないでしょうか。
 加害者や外野にとって「済んだこと」であっても、傷を受けた側からしたら一生「済まないこと」です。一度でも罪を犯したなら、不名誉を終身、負わなければなりません。わたしやお前らに救われる権利なんてないのだと肝に銘じてほしいところです。


 健全な精神は健全な肉体に宿る……というのは、やはり妄言ですね。体が弱くても健全な精神を持つ方はいらっしゃるでしょうし、逆に運動能力に優れても平気で他者を害する精神性の人間もいるわけですから。カップラーメンを食べてはいけないとか何とか、厳しい戒律によって、他人の尊厳を踏みにじることのできる人間が生まれるのなら、そんな戒律は間違っているのでしょう。少なくとも、健全な精神を育てることには繋がっていないと当人たちが証明しています。


 話は前後しますが、数人の加害者の為に甲子園を辞退し、チーム全体が迷惑を被るというのは妥当かと考えます。なにしろ、もとより被害者ひとりの存在をうやむやにして、大会に臨もうとしていたのです。これがスポーツマンシップの言うところのワン・フォー・オールというやつでしょう。たったのひとりはチーム全体の為に泣き寝入りしていろ、と。
 そんな風にひとりは全員の為にと強いるのなら、加害者数人の為にチーム全体が責任を取るというのは理にかなう話です。当然のことながら、数人はひとりの数倍の影響力ですから。


 辞退は可哀想だなどという言説が飛び交うことに、蹴飛ばされるだけの路傍の石を無視する人はやはり多いのだなと感じました。十数年前からわたしの中で常に燻ぶっている憎悪が、今回の話を聞いて連日燃え上がっています。競技選手当人のみならず、それらに味方する連中が掲げるスポーツマンシップなどというものは、信用できないものです。その陰に踏みにじられている者がいることを、いつも疑わずにはいられません。

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