時季柄、仕事場近くの小学校でプールの授業が行われているのだろう音や声が聞こえてくるようになりました。楽しそうだなと思う反面、いやいやプールが楽しい子どもばかりではないだろうと、自身の子ども時代の記憶が蘇ります。
運動が苦手なわたしですので、子どもの頃から今に至るまで、泳ぐことができません。体育の一環であるプールの授業で「泳げない」というのは指導の対象になるわけで、不出来の烙印を押されるのが嫌でした。
泳げはしませんが、水に浮くことはできます。脂肪は浮きやすいですからね。体の力を抜けば、簡単に浮くことが出来ます。しかし、この状態から泳ごうとするといけません。水をかこうとする時、息を吸おうとする時、体に力が入ってしまいますから、沈みます。
小学校低学年の頃は、他人と比べて出来の良し悪しに心を翳らせることもなく、ただただ水遊びが楽しかったのです。運動が出来ないことをバカにするクラスメートが現れてからは、体育自体に気が重くなっていきました。その頃といえば、ちょうど太り始めた時期でもあり、上裸になって贅肉を他人の目に晒さなければならないというのも嫌でした。世間の人間の多く……特に倫理道徳の未発達な小学生というのは「デブはバカにしてよいもの」と思っていますからね。ああ、嫌ですね。
高校ではプールの授業がなかったので、まあよかったです。ただでさえ毎日の登校が苦痛だったのに、プールまであったら家出をしてでも不登校になる選択をしていたかもしれません。プールの設備自体はあったのですが、在籍3年間ずっと草や藻に覆われた姿をしていまして、誰かが近づく様子もありませんでした。水泳部もありませんでしたし、いつの頃からか使われなくなったものだったのでしょう。使われないという形でわたしを守ってくれた感謝すべき設備です。
母と弟と共に、市民プールやら、数駅先のレジャー施設のプールに行くのは嫌いじゃありませんでした。特に後者は地元でないこともあり、クラスメートに見られることもないので安心感がありました。その延長で考えるのなら、妻とならプールに行くのは楽しそうに思えます。実際に、毎年「夏だねぇ、プール行く? 水着回?」と声をかけるのが恒例になっています。まあ、100%断られることがわかっているので、それを前提にした冗談として口にしています。いざ行く気になったとして、お互い水着も持っていませんし。
そういった具合ですので、プールなんてもう20年は行っていません。
体の動かし方が何となくわかった今なら、もしかしたら泳ぐこともできるかもしれませんが、今さら水泳を楽しんだところで仕方ないことです。贅肉を衆目に晒すことに抵抗があることに変わりはありませんし、奇跡的にダイエットに成功して人前にでられるような姿にならない限りは、今生はプールに縁はないでしょう。
……というようなことを、小学校からの音を聞きながら考えていました。
当然のようにプールの授業も好きじゃなかった

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