ここ最近の記事で、ぜんぜん勝てないからシャドバが面白くないという話をしました。これに関連して、わたしの運動嫌いも同様の感情を源にしているという話をしましょう。
わたしは運動が嫌いです。より厳密には、競技スポーツが嫌いです。得意不得意という話をするのなら、間違いなく運動は苦手です。ただ、苦手意識と嫌悪感情は別のものです。
スポーツで勝ち負けを競えば、必ず負けます。個人競技なら1点もとれずに完封されます。団体競技なら足を引っ張って睨まれます。下手だから、顧問からは怒鳴られます。体育の授業だろうと運動会だろうと、わたしはいつでもお荷物です。これでは、スポーツに楽しい思い出など持ちようがありません。
スポーツで負けてばかりなのは、単純に身体能力で劣るというのもありますが、体の動かし方がわからなかったというのも大きいように思います。みんなが当たり前のように投げたり蹴ったり、跳んだり走ったりするのが、よくわかりませんでした。「これこれこういうふうに動かせば、こういう風にボールが飛んでいく」と教わっても、「そういうふうに」動かせませんでした。競技に参加すれば負けて、怒鳴られるか嗤われるかです。小中学生コミュニティ内での「運動ができない男子」は人格評価に直結しますからね。逆上がりも二重跳びも、ついぞ出来ないままでしたし。
うまくやれないから勝てないし、勝てないから面白くありません。勝てなくても、体を動かせて楽しい! という明朗な性格であればよかったのですが、めちゃくちゃな身振りで不様に負けるのを楽しめるだけの度量はありませんでした。運動・競技が面白くないわけですから、進んで体を動かすということもしなくなります。そりゃあ太るわけですね。
競技での勝ち負けはさておき、「体を動かすこと」が少しだけ出来るようになったのは、18~19歳ぐらいの頃でした。急に「こうすれば出来る」というイメージが降りてきまして、バドミントンでシャトルをラケットで打ち返せるぐらいはできるようになりました。その水準を保ってはいるので、子どものころよりは今の方が多少マシに動けます。
体の動かし方がわからない……というところからも、自分の頭の悪さを感じられて気分が沈みます。まあ、この歳になれば運動会に出るようなこともありません。大人になってよかったと思うことはいくつかありますが、学校に通わなくてよいことと、競技スポーツに参加させられないことは非常に大きいですね。
憧れのヒーローは「『勝つ事にこだわらない』。それは勝てない奴の吐く言葉だ」と言いました。勝てない自分への慰め、勝てなくてもよいのだという言い訳……耳の痛いセリフです。口では「勝ち負けにこだわらず楽しみたい」と言ってみせても、やはり勝てないと面白くないというのが本音です。1度ぐらい、実力での勝利を経験していれば、また何か違ったのでしょうけど。
とにもかくにも、わたしは勝ち負けを競うスポーツが嫌いです。どうせ勝てないのですから。
運動が嫌い。より厳密には競技が嫌い。

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