価値観のすり合わせと庶民舌

飲食





 貧乏舌とは呼びますまい。せめて庶民舌と呼びましょう。


 本題に入る前に、以前に悔しい思いをしたお話を。
 新社会人として入職した法人にて、新人歓迎会が催されるにあたり「○○くんも歓迎される立場だから、好きな食べ物のあるところで歓迎会を開くよ。何が好き?」と聞かれました。人前で食事を摂ること自体が嫌いなわたしではありますが、歓迎を無下にすることはよろしくありません。ここは遠慮なく、自分の好物の中でも贅沢な部類のものを挙げようと「鶏軟骨のから揚げが好きです」と答えました。
 それに対する返しは「そんな安いものじゃなくてさ。もっといろいろあるでしょ」でした。
 バイト代をやりくりして、たまに食べる時に「なんて贅沢……!」と胸をときめかせていたわたしの好物は「そんな安いもの」なのでした。悲しいですね。十年以上経って根に持っているのですから、当時のわたしはそれなり以上に悔しかったのでしょう。これもある種の「食べ物の恨み」ですね。


 さて、本題です。
 上記のような、些細な出来事ひとつで残る禍根もありますので、食の価値観の違いというのは慎重にすり合わせなければなりません。基本的には、親しくない相手に食の水準の話をするのは危険だと思っています。
 逆に言えば、親しくなるにはすり合わせが必要なタイミング出てくるものと思います。
 鶏軟骨事件とは時期が前後しますが、妻(当時は入籍前)との交際を始めた頃に、食の価値観のすり合わせとして「カップアイスの内フィルムについたアイスを食べるか捨てるか」という話題を持ち出しました。よいことに、これに関して意見が一致しまして、それほど価値観の乖離は無さそうだと判断しました。

 
 して、わたしの好物のひとつである鶏軟骨のから揚げですが、先日、妻が「はま寿司で揚げたての鶏軟骨のから揚げが提供されてたよ!」と教えてくれました。続く言葉が「今度食べに行ったらいいよ」でしたので、「そこは『一緒に行こう』とか『ご馳走するよ』とかじゃなく?」というところから、いつも通りの寸劇に発展しました。
 自分の好物を覚えていてくれているというのは、思う以上に嬉しいものです。本当に。
 惣菜としていつも売っているものでもありませんし、自分で揚げる気力は無いしで、妻との食卓に並ぶこともそうはないのですが、それを覚えてくれているというのは愛情を感じますね。これを伝えればHAHAHAとテキトーに笑われるかもしれませんが。


 その話題からの流れで、はま寿司やロピアのお寿司が「これ以上ないくらい美味しい」という「寿司の上限」に感じ、それ以上の(金額的な)贅沢は不要と妻は言います。わたし自身ははま寿司に行ったことはありませんが、たしかにロピアのお寿司は美味しいです。まあまあお高め円ですが、金額相応と思える美味しさです。妻の言う通り、それ以上お高いものは食べなくても十分に思います。この辺りの庶民舌の感覚が合っているのが、ありがたいです。
 
 同様に美味しさの上限として、アジの南蛮漬けはイオンのものがよいと言っていました。何なら、我が家のぬいぐるみたちに「イオンはいいぞ~」と嬉しそうに語りかけていました。
 ついでに、「ゾンビがでたらイオンに逃げよう」とも言っていました。「うちからだとイオンに着く前に襲われない?(徒歩1時間弱)」と横やりを入れたら「職場からなら近いから……いや、でもみんな集まるか……。○○店の方に行ってくれないかな」とシミュレーションをしていました。有事に備えていて頼もしい限りです。ちなみに、つい先ほどしたばかりの新鮮な話です。


 とはいえ、別の人間ですから、食の好みが完全一致するわけでもありません。
 鶏肉ひとつをとっても、わたしはむね肉やささみを好むところ、妻はもも肉が好きです。以前に副菜として、わたし的には「おいしく食べられる」野菜鍋を作ったところ、妻から「肉が入ってない!」とご指摘を頂いてしまいました。翌日に妻が作った鍋物には豚肉が入っていました。
 わたしにとって「とても贅沢」だったマクドナルドも、妻にとっては「学校帰りにちょっと寄るぐらいのもの」だったり、好みだけでなく、それなりに価値観の違いもあります。
 あとは、妻は「非常においしいもの」として分けてくれていたレタスを、わたしが特別好んでいないことをすり合わせた時には「毎回遠慮しているのかと思っていた。こんなにおいしいのに」というやりとりもありました。
 一緒に暮らす中で、こういった共有を少しずつしていくのが、「家族になる」ということなのかもしれません。


 まあ、庶民舌どうこうを脇に置いても、憧れのヒーローの言葉を借りるなら「味覚のストライクゾーンが広い」わたしですので、大抵のものは美味しく頂きます。
 以前に妻と共倒れになった生焼けの鶏レバーも「少し苦いけどこういうものか」と食べていました。生物としての危機管理能力に欠けている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました