推しのグッズと適正価格

推しの話シリーズ





冒頭文

 2,500円がパフェの価格として適正か否か。時と場合によって判断の分かれるところかと思います。
 パフェに限らず、大体のものが時と場合によって「高い」か「安い」か捉え方が変わってきます。いくつか前の記事で既に似たようなことを書いた気もしますが。

 そういった前提を持ちつつ、「推しのグッズの適正価格とは?」ということを考えたいと思います。ここで言う「推し」とは活動者やアイドルといった実在の人格が介在する相手を指します。非実在のキャラクターについてではありません。

 今回はパスワードを設定するほどの熱量の記事ではないので、当事者がこれを読むこともあるでしょうが、まあ、そう深く考えず「ほへー」とか「うぜー」と流して頂ければよいかと(私信)。

推しのグッズが手元にあるのは嬉しい

 推しのグッズというものは、当然「あれば嬉しいもの」です。
 特に、わたしのような趣味嗜好の者には、形ある「モノ」が存在していることには格別の嬉しさがあります。

 そして、だからこそ、供給がなければ自作もします。形あるモノを求めて工夫します。

 よい時代になったもので、100均の材料で手軽に制作ができます。
 手作り品につき一点物ですので、この缶バッジを着けている人間を見かけたら、それはわたしです。身バレ要素。
 手先が不器用なわたしの制作ですので、出来のほうは見ての通りです。いえ、愛着はひとしおなので、わたし以外が「出来が悪い」などと言おうものなら怒りますが。少なくとも、推しから「これ好き」と言われたイラストをピックアップしているわけですし、思い入れはあります。

 自作物への思い入れはさておき、「公式」のもののありがたみはまた格別です。
 ごちゃごちゃしていてわかりづらいかもしれませんが、写真中央に祀ってあるのが「公式」のアクリルスタンドです。両隣にある人形とアメの存在感が強くて目立たないのが、わたしの配置センスの無さを物語っています。

 立ち絵のアクリルスタンドでして、無難に嬉しいものです。
 絵のかわいらしさは言わずもがなです。フラットな表情なのが、偶像崇拝に適しています。わたしは、この立ち絵の表情も、「魂」が宿った豊かな表情も好きです。話が逸れるので割愛しますが。


 このアクリルスタンドですが、BOOTHにて受注生産品を購入したものです。受注生産ですので、手元に届くまでに時間のかかるものではありましたが、その待ち時間も楽しいものです。在庫品ではないので、売り切れる心配がないというのがとてもありがたかったです。
 1度に大量生産するものではない都合、アクリルスタンドとしては一般的にやや割高とされる価格ではありました。ですが、個人的には「安い」と感じました。チップと送料込みでも「安い」ものです。

 あまり頻繁にグッズを出されたら疲れてしまいますが、ありがたいことに、歩くような速さです。
 このペースなら、「一般的には割高」な価格帯であっても、気になりません。

 比べるものではありませんが、毎月新弾が発売するカードゲームや、高頻度で1万円超えの商品がラインナップされる玩具を追いかけていた身としては、数か月に1度、3,000円ぐらいのグッズが出るというのは、とてつもなく良心的な価格設定に思えます。
 文句も言わず高頻度で高価なものを買っている「よいお客さん」だったのに、いざ「これはどうしても欲しい!」というものが売られたときに品薄で買えないという悔しさを知ってこそ、たまに受注生産で売ってくれることのありがたさが沁みます。なぁ、コナミ! バンダイ! ジャッケロォ!

 送料込み3,000円超といえば、冒頭に引き合いに出した「適正価格でないパフェ」を食べられる金額ではありますが、そんなパフェも食べれば無くなります。グッズも食べれば無くなりますが、食べられるようなものでもないので、無くなりません。
 形の残るモノですから、先の写真のように神棚のような形で祀ることができます。推しのグッズが手元にあるというのは、嬉しいことです。いやさか。

何に重きを置いて損得を考えるか

 さて、この手の話をするときに思い出される事件があります。ほら、ありましたでしょう、インターネット上で語り継がれるアイマス声優のオフ会の悲しい事件。
 あの事件を教訓にして、「推し活」で何に重きをおくかを考えるべきかと思うのです。

 推しの人格というものを考慮せず、ただコンテンツとして消費するのなら、「内容に対して価格設定が高額である」「もっと安くしないと自分が買えないじゃないか」という文句も出るかもしれません。
 逆に、ひとりの人間としての推しを応援するのなら、そうはならないでしょう。

 アルバイトであっても、社会に関わり金銭のやり取りを行った経験があるのなら、「価格設定」について、そこに至るまでの色々な事情を想像することができるはずです。物品の原価、人件費、送料、場所代、その他諸々……。何をするにもお金がかかるのが、世の中というものです。そういった相手の事情を慮ることもせず、「自分だけが得をしたい」という視野狭窄に陥って、相手の人格を無視した文句を言うというのは、あまり褒められたことではありません。


 自分にとっての「推し活」というのが、何を重視するものなのかは自覚しておくのがよいでしょう。推しに利益が還元されるのが一番なのか、自分が「得」をするのが一番なのか。
 わたしの原動力は報恩ですので、どちらかといえば前者かと思っています。

 推しか自分か、大雑把にどちらを優先するかで、お金の効果的な使い道というのも自ずと変わってきます。

推しへの支援としてなら

 推しに利益が還元されることを重視するのなら、原価が介在する「グッズの購入」というのは優先度は低いものでしょう。
 3,000円でグッズを買ったとして、推しにその3,000円が渡るわけではありません。諸経費を引いて、手元に残るのは数百円に満たないでしょう。

 配信等の活動プラットフォームでの投げ銭(スーパーチャットだとかビッツだとか呼ばれるアレ)の方が、還元率は高いかと思います。
(グッズの価格設定にもよりますが)
 しかし、投げ銭も、プラットフォームの取り分が発生する以上、還元率100パーセントとはいきません。
 
 かけたお金の100パーセントを推しに渡したいのなら、現金やそれに準ずるもの(ギフトカードとか)、求められている物品を直接贈るのがよいでしょう。これならば、3,000円を使ったなら3,000円の価値、10,000円を使えば10,000円の価値がそのまま推しに渡ります。
 現金を渡すというのは、あまりに生々しいので「きもちわるい」「こわい」とネガティブに捉えられたり、行き過ぎれば「金づる」として人格が無視されるようになったりするかもしれません。あと、贈る側としては、生々しく風情に欠ける支援というのは些かツマラナイものです。

 まあ、推しの利益を最優先として考えるのなら、活動プラットフォームの維持ということも踏まえ、投げ銭というのがベターでしょうか。

自分優先であるのなら

 自分の利益を優先するのなら、投げ銭や金品の贈り物というのは避けるものでしょう。これらはほぼ募金のようなものです。お金を使っても形ある何かが残るわけでもないです。

 相手方がお礼の言葉を発信してくださることもあるでしょうが、その発信がツイートだったり配信中の言葉だったりするのなら、それらは諸々の都合や時間経過で消えていくものです。やはり形に残りません。あとから「お礼」を見てニヤニヤすることもできません。
 稀に(?)「支援」に対して個別にお礼のなにかを返している活動者をツイッターで見かけますが、それらは特例でしょう。


 自身を満足させるための「推し活」ならば、グッズやサービスを購入する為の支出を優先するのがよいです。
 使ったお金の分だけ、物品であったり体験の思い出であったりを得られるわけですから、よほど有意義な使い道といえます。もしかしたら、相手方としても、何の見返りも求めないという信用できない建前でお金を贈られるより「こわくない」かもしれません。

 「もっと安くしろ!」「販売数が少ない!」「グッズを出せ!」と行儀悪く騒がない限りは、グッズやサービスだけを購入するファンであることが健全かもしれません。

 わたし自身のスタンスに自信が無くなってきましたね……。

グッズを返礼品と思えば

 繰り返しになりますが、わたし自身は、推しに還元されることを優先したい姿勢です。恩返しから始まった「推し活」です。ご恩という形で、一生分を先払いでもらってしまっているので、これ以上はグッズでもサービスでも、「もらいすぎ」になってしまいます。

 わたしとしては、基本的に「何か」が返ってくるだけで「もらいすぎ」です。今、お金を使っているのは先にもらっているご恩の分なわけです。
 なので、グッズを返礼品と思えば、価格如何によらず、とてもポジティブに捉えられると考えます。

 先に挙げた我が推しのアクスタがおよそ3,000円ぐらいだったわけですが、これを買った時「とてもありがたい」「グッズをもらってしまってよいのか」と感動しました。もちろん、初の「公式」からの供給だったからというのもあります。
 しかし、感動の割合を大きく占めていたのは「『返礼品』だ!」というところです。

 いまいち的確な例えではありませんが、ふるさと納税のようなものと言いましょうか。
 どうせ払わないといけないお金(税金)を払っているだけなのに、ふるさと納税の制度を使えば、本来は発生しない「返礼品」を貰えるわけです。とてもお得です。

 どうせ払うことになる(?)推しへの支援をしているだけなのに、グッズをもらえてしまう。何というお得感。ある意味においては、背徳感と言い換えてもよいです。
 市区町村に住む為に納める住民税に返礼品のおまけが付くように、推させてもらう為にする支援にグッズが付いてくるのです。

 投げ銭やギフト券で3,000円を使ったとして、当然「返礼品」はありません。
 これらはあくまで自己満足であり、見返りを求めるものでありませんから、あたりまえのことです。あたりまえですから、何を気にするものでもありません。
 しかし、普段気にしていなくても、いざ「返礼品」が手元に届くと、それはもう、いたく感動します。「いつもどおりにお金を払わせて頂いただけなのに、こんな素敵な返礼品を頂戴してよろしいのですか!?」と、こうなるわけです。

 ……冷静に文字にしてみると、なかなかに狂気の沙汰ですね。

つまるところ適正価格とは

 推しのグッズは「売ってもらえるだけでありがたい」し、普段出している金額程度で「返礼品」として手に入るのが感動的なのです。
 普段から、見返りなく数千円単位を「推し活」に注ぎ込んでいるのなら、同じ数千円で何かが返ってくるだけで、大感激です。返礼品付きの投げ銭だなんて、高い安い以前に、普段通りにしているだけで品物がもらえてしまうのですから、タダみたいなものでしょう。

 つまるところ、推しのグッズの適正価格とは、やはり時と場合によるものです。冒頭に述べた通りです。
 その時々、その個々人にとっての、推しを応援する為に各自が出せる限度額までが適正価格です。各々のお財布事情だけでなく、心持ちとして「グッズに」でなく「推し本人に」どれだけお金を出せるかという話になってくるのです。なんかよく知らん奴のグッズなら、如何に出来がよかろうと多機能だろうと稀少性があろうと、自然財布の紐はきつくなります。一方で、好き好き大好きな推しが相手なら、財布の紐も警戒心もゆるむというものです。

 適正価格は「お気持ち」の程度です。

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