ここ数年、インターネット上で「○○構文」あるいは「定型」と称されるものが用いられるのをよく見聞きします。わたしはメインカルチャーにもサブカルチャーにもあまり明るくないので、それ以前から用いられていたものかもしれませんが、そこは本題ではないので流してください。
一番有名なのは「Aなので、Aである」という文章構成になっている「進次郎構文」でしょうか。非常にキャッチ―で、ある意味流行語と呼べるものだったと思います。
しかし、ここで触れたいのは、この構文ではありません。
創作物のキャラクターのセリフなどを一部改変・置換して用いられる「構文」について触れておきたいのです。
あれは遊びでやっている分にはよいと思うのです。古来より改変コピペなんてものもありましたし。
ただ、「○○構文」を意見の発信や会話に使用するのはよろしくないかと思います。
元々が文章として成立しているものの一部を置き換えるだけですから、さほど頭を使わずにそれらしい文章を作ることができます。元のセリフが有名であるほど、その言葉のニュアンスも広く共有されているので、伝えたいことが伝わりやすいという面も便利ではあるでしょう。頭を使わず、便利なものに頼って「自分の言葉」のつもりで発信する様は、一面的には「AI絵師」に共通するものがあります。
借り物の言葉はあくまで借り物です。自分の言葉ではありません。
借り物は借り物として、引用・抜粋であって自分で考えた文章ではないことを忘れてはいけないのです。
そんな借り物の言葉を双方向に発信したとして、それは会話ではなく、お互いに鳴き声を発しているようなものです。だって、自分が何を伝えたくて、相手に伝える為にどう表現すべきかと考えて、それを文章として発信するという本来の過程を省略して「それらしい言葉」を発しているだけですから。
あるいは鳴き声でないのなら、ヒトの言葉を真似て話す化け物でしょうか。
かつて「(笑)」だったものが「w」になり、そして「草」と変遷した「文末に付けることで笑っていることを示す表現」のように、使い勝手がよく文字媒体での感情表現に有効なものであることは理解します。
この「草」も様々な意味合いを内包する為に、とりあえず言っておけば相手がそれなりに解釈してコミュニケーションが成立したように見える魔法の言葉になってしまっています。
その魔法ばかりに頼れば、相手にどう伝えるかを考え、相手の言葉をどう解釈すればよいかを考えるというコミュニケーション能力が衰えていくばかりでしょう。
少しだけ話は逸れますが、「推し」の配信者へのコメントはとりあえず「かわいい」「天才」「草」だけ言っておけばよいと発信している方がいらっしゃいましたが、個人的にはこれは嫌です。
コメントを送るほどの「推し」を対象にするのなら、どんなところがどう「かわいい」のか、何がどう笑いどころなのかを言いたいじゃないですか。
先に挙げた「改変コピペ」を例に出してもよいです。かつて一世を風靡した「ルイズコピペ」を改変して、推しへの狂愛を叫んでみたとしましょう。正気に非ずというところと、(形はどうあれ)好意的にみているということは伝わるかと思います。
ですが、これはわたしの言葉ではありません。わたしの持つ湿っぽさや粘っこさがまったく反映されません。……いえ、推しに湿っぽさを伝えたいのではなく。
時間をかけて考えて、推敲して、言葉を選んで感情を抑えて、そのなかでどうにか応援しているという気持ちを伝えようと書いた文章であってこそ、伝える意味があるのではないでしょうか。
人格あるヒトとの会話であるのなら、便利な魔法の言葉を多用せず、自分の言葉で臨むべきです。
決まりきった構文や定型ばかりを口にするのなら、それはヒトでなく機械でしょう。相手もいつか、あなたをヒトとして見なくなり、その人格や尊厳を軽んじるようになってもおかしくありません。
と、言っておきながら、わたしもつい頼ってしまう便利な定型文があります。
「答えろ! 答えてみろ、ルドガー!」
これです。表記ゆれはありましょうが、当ブログ内でも度々使用しています。「遊戯王5D’s」の主人公のセリフです。
わたしは何かわからないことがあった時に相談できる相手がほとんどいないので、どうしたらよいのか分からなくなると、聞ける相手がいなくて困るのです。解決策がみえなかったり、感情の発散先がなかったり、です。
私的なことで困って何かを聞ける相手というのは現実的には妻しかいないわけですが、その妻に聞くには適さない話題というのもあります。そんなときに、やり場のない気持ちをとりあえずルドガーにぶつけておこうという考えから「答えてみろ」と無茶ぶりをしてみるのです。
そして、劇中においてルドガーは問いに答えていません。答えてくれたのは別の人物です。
ルドガーに聞いても答えが出ないというのも、話題のオチとして便利でつい頼ってしまうのです。
構文や定型が発信者として忌避すべきものであるとわかっていても、使うのを止められない。
わたしはどうしたらよい? この記事の読者にどう弁明したらよい? 答えろ! 答えてみろ、ルドガー!
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