異世界モノを創作することの難しさ

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 異世界。それは”ここ”とは異なる世界。その世界を舞台にした物語を書こうとして、早々に力量不足を思い知り膝を折りました。筆は折っておりません。

 異世界を書くのは、とても難しいです。
 基準となる”ここ”によって、異世界がどこを指すのかが変わります。

 ”ここ”が日本の事ならば、海外旅行も異世界の冒険といえましょう。
 ”ここ”が通い慣れた学校の教室ならば、転校は異世界転移といえましょう。

 しかし、創作において異世界と呼ぶのなら、それは”ここ”である地球と別の、ひょっとしたら宇宙すら異なる”どこか”の世界のことでしょう。

 

 わたしは「ライトノベル作家になりたい」という夢の破れた……いえ破れたどころか敗れてすらいない、挑まなかった怠け者です。しかし、一瞬でも見た夢の延長で、斯様に文章を書くことをしています。その延長で、物語のアイデアを形にしようかと今年に入って書き始めた異世界モノの最序盤で「これ以上書けない」と詰まってしまいました。


 物語の始まりに際して、世界観を描写しなければなりません。
 ヒトと魔物が対立している世界……を書こうとして、「そもそも魔物とはなにか。魔力とはなにか。現実の生物に近しい姿であることは不自然でないか」「現実の地球と異なる世界に生まれたヒトが現実のそれと同じ進化を遂げている理由付けができない」「現実で認識されているものと共通の物理法則が働いていることについての説明が挿入できない」と入れるべき説明に対して、その理由を十分に設定できないという技量不足を思い知りました。

 ”ここ”ではないどこかの世界なら、そこに住まう人々は我々の思う人類と同一のものでは無いはずです。同様の進化を遂げているとして、その異世界は現実の地球と同じような歴史をたどりながらどの時点で分岐して、魔物やら魔力やらが常識としてありふれた世界になったのかという想定ができないのです。それを設定するには、わたしには世界史や化学や科学の知識がありません。
 魔物を斬り倒したとして、その魔物が血を流すことは当然なのでしょうか? その血液はどのような役割で魔物の体内に流れていたものなのでしょうか。この説明もできません。


 話されている言葉が日本語基準なのは、読者に伝える為の翻訳が働いているものとして説明ができますが、その単語ひとつひとつが現実と同じ意味を持っていることについては理由付けができません。例えば、現実の我々が用いる赤=REDが指す色を、異世界人が呼ぶのならまた別の呼び方になるのではないでしょうか。いえ、これも翻訳されているということで誤魔化せる範囲ではあります。真に説明できないのは、異なる言語であるからには翻訳しきれない言葉や文化が存在しているはずという点です。それを想像して世界観に落とし込めないのなら、異世界のリアリティがありません。


 異世界モノを書くということは、比喩でなくまさしく世界をひとつ作り上げるという作業です。
 生物の進化の系統樹、物理法則、世界の誕生から現在に至るまでの歴史、それらの中で産まれた各種文化を考えるというのは、わたしには無理でした。


 集中力散漫にて文章をろくろく読めなくなって久しいわたしですが、ここ数年は異世界モノの創作物が以前に増して世に出ていることは聞き及んでおります。
 ”ここ”ではないどこかの世界がそれだけ創造されているということです。多数の異世界が創造されるなかで、ひとつの異世界モノも書けないわたしはやはり力不足。まあ、文筆による何かしらの分泌におきまして、努力やら才能やらといったものにまったく心当たらないので、さもありなんといったところでしょう。


 文才の有無はさておき、わたしなりに捨て置くにはもったいない案なので、どうにか形にはしたいところです。
 現実世界と「異世界」の構造・組成・文化や常識はある程度共通しているものとして、その理由については「言わなくてもわかるでしょう?」という作者の怠慢と傲慢に頼れば、なんとかなるでしょうか。
 書き始めて、書き終えることが目的なら安易な方法に頼るのがよさそうです。書き終えられなくても、納得のいく書き方をするプライドなるものが優先なら、書かない方がマシでしょう。
 二兎を得るには手が短い。足が遅い。頭が回らない。一兎を追って一途をたどり、ゲットイットとすべきでしょう。どちらの一兎を追うべきか。

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