インターネット上にて、また変な言葉が流行っていると聞きました。
「平成1桁ガチババア」
大変に語感がよく、ある意味でこれも、口に出して読みたい日本語であるかもしれません。
ただでさえ流行に疎い上に、SNS避けをしている最中なので、これがどのような経緯で発生し、どのような使われ方をしているのかをわたしは知りません。存在を認知したのも、妻から「なんか流行っているらしいよ」程度の情報を与えられたからです。
ネガティブな言葉?
語感のよさを思えば、何かの歌詞の一部であったり、作品タイトルであったりするかもしれません。
ですが、SNSで使われているらしい言葉ということを考えると、いつぞやに生まれて、発祥と異なる他人への罵倒としての使われ方をしていくことになった「チー牛」「片親パン」「弱者男性」の仲間ではないかと思っています。
インターネットは人間の悪意がはびこっていますからね。自分が傷つけられるときは極めて繊細なのに、他人を傷つけるときは麻薬でも使ったのかというぐらいに痛覚を鈍麻させる人がいるものです。
罵倒語として捉えるのなら、わたし自身には適用されないものです。わたしは平成1桁年の生まれではありますが、「ババア」にあてはまる性別ではありません。
しかし、わたしと同い年の妻は対象になってしまいます。この言葉を向けられたとして、本人は笑うでしょうが、少なからずわたしは不快に思います。「お前、今、わたしの大切なものに悪意を向けたな」と。
実際に罵倒語なのかどうかは知りませんが、あまり無闇に他人に向ける言葉でないことはたしかでしょう。
それともポジティブ?
一方で、流行を用いて大喜利をするような楽しい方々も、SNSには存在しています。この言葉を添えて、「ガチババア」なら共感するだろう思い出話を語るという使い方がされているかもしれません。
わたしの趣味の範囲で例を挙げるのなら「オシャレ魔女ラブandベリー」の話をしてみるときに、タグとして「平成1桁ガチババア」と付けるような使い方です。こちらの使い方なら、とても平和でよいですね。
自ら名乗って笑うのなら「ババア」というやや乱暴な言い方も、活力ゆえのものに聞こえてきます。
「ババア」と呼ばれても気にならない生き方を
平成は既に遠く、令和ももう7年目です。令和ライダーも7作を数えます。え? つまり「ジオウ」が7年前……? 嘘だ、ボクを騙そうとしている。
失礼。少々エキサイトしそうになりました。
そんな平成の初期に生まれた我々は、若くとも「アラサー」というやつです。今の10代の若者の目には、ジジイやババアとして映ることもあるでしょう。仮に「平成1桁ガチババア」が罵倒語として用いられたとして、言う方にとってみれば、それは主観的事実ではあるのだと思います。事実をそのまま口にすることの無神経さについて議論はあるでしょうが、それは一旦置いておきます。
これを言われた側がどのように受け止めるかというところで、平成1桁生まれのオトナの余裕というものを見せてやるのも一興ではないかと思います。
ジジイだのババアだのという年齢に関する言葉を挑発として使ったり、逆にそれらの言葉に過剰に反応する人は、若さ以外に誇れるものが無いのだと、わたしは考えています。若さこそが、自分史上で至上の市場価値であると思っているから、その価値に瑕疵を見出そうとするのでしょう。
我々はベンジャミン・バトンでもなければ、荒木飛呂彦先生でもありません。ホモサピエンスは、毎日毎時毎分毎秒、老いていく生物です。若さというのは生まれた瞬間から徐々に失われいくものなのです。当たり前すぎて、殊更に意識することはないのかもしれませんが。
刻一刻と若さが失われていくという点は、ほとんどの人間にとって共通することです。例外はサンジェルマン伯爵らといったごく一部の存在だけです。大抵の人間にとって、若さを競おうとすれば、生まれた日が早いか遅いかという覆しようのない差がつくものです。
反面、そのような勝負を持ち掛けるというのは「自分には若さ以外に何もありません」という無力さの主張です。誕生年という、生誕の瞬間に与えられる標準装備は、なんの努力も要さずに持ち続けられるものであり、ほかに誇れるものがない人間でも使える手軽な武器なのです。積み上げてきた何かではなく、その土台の新旧を誇るというのは、なんとも空しいことです。
これは逆の場合にも言えます。「年上だから」というだけで威張ることもまた、同様に空しく恥ずかしいことです。
他人を罵倒すること自体がよろしくないことではありますが、そこを億歩譲って、どうしても相手にケチをつけたやりたいというのなら、せめて自分が積み重ねてきたものでケンカを売ったほうがカッコイイです。
もし、それが出来ない奴が「若さ」という、ほかに何も無い事をアピールする題材でケンカを売ってきたのなら、我々平成のジジイババアはどうすべきか。「お前より長く生きた分、自分には○○がある」と何かを誇って、「若さ」しかない未熟者の戯言を笑って許してやればよいでしょう。そんな生き方をしたいものです。
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