「終身不名誉ストーカー」の自戒

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 ろくに前提情報の説明もしませんが、わたしは「終身不名誉ストーカー」です。自分なりの理屈の通った「ふつう」の行動で、無自覚にストーキングをしてしまったということを一生忘れてはならないという自戒を込めて、語感がよく口に馴染みやすい蔑称を名乗っています。

 わたしが(少なくとも当時は)好ましく思っていた相手を怖がらせたという事実は消えません。償うということもできませんし、償いとやらをしたところで過去の行動が無かったことになるわけではありません。一度間違えれば、真人間のような顔をしてお天道様の下を歩くことは許されません。

 実のところを言えば、相手の顔や容姿は記憶からだいぶ薄れてしまっているのです。
 しかし、もやのかかった姿であっても「その人」と分かる形で夢に現れ、わたしの「ふつう」がおかしいのだということを思い出させてくれます。
 日頃の楽しい時、嬉しい時といったポジティブな感情が高まる時に、ふと「でも、お前ストーカーじゃん。楽しむ資格なんてないじゃん」という考えが起きて、気持ちが落ち込むことがあります。

 「ふつう」に接しても傷つかず、嫌な時には「これから物申す」と前置きした上で嫌だと言ってくれる妻以外とは壁のあるコミュニケーションになります。地上で唯一の理解者である妻にさえ「ちょっと壁あるよね」と言われる程度には、他人との間に壁があります。
 母が相手であっても、自省してからは「こんな自分が血縁者で申し訳ない」という考えが頭をよぎることもあり、どういう顔をして話せばよいかわからなくなりました。顔を見て話すというのが苦手になっただけで、会話自体は成立している……はずですけど。
 

 自分の中の悪性が他人を怖がらせる、嫌な気持ちにさせるということを肝に銘じているつもりでも、他人との交流を持ちたがるのが始末に負えないです。
 昨年末も反省文のような記事を書きましたが、ブログ活動の中でまた他人との距離感を間違えました。「気を付けていたつもり」と思ってはいましたが、本当に気を付けているのなら、他人に関わろうとしないのですよ。事が済んでしまってから振り返って見ないと分からないのだから、やはり自分の「ふつう」を過信してはいけないのです。


 昨年夏ごろに少しばかり取り乱して静養してから、生活に支障が出ない程度ではありますが、イマイチ気持ちが落ち着かず、調子が戻りませんでした。しかし、ここのところ、やや上向きになっているように思います。気分が落ち込んでいる間もいくつか間違えてしまったということを思えば、調子が戻るというのはよくない兆候です。また自重せず、害ある「ふつう」で他人にすり寄って我慢をさせることが懸念されます。

 ここで役に立つフールプルーフがありまして、頭で考える分には「ふつう」「大丈夫」という行いであっても、体の方がストップをかけてくれるようになっています。
 具体的には、昨年やらかしたような記事を書こうとすると、急に頭の血が下がる感覚から貧血っぽい怠さで「お知らせ」が来ます。あとは動悸がするとか、手が震えるとか。
 昨夏のあれ以来、それまで以上に「自分の『ふつう』は普通じゃなくて、ストーカーの分際でまっとうな顔をして生きるな」というのを意識的にも無意識的にも言い聞かせる機会が増えていましたので、ようやく成果(?)が出てきたものと思います。
 まあ、実際的には自戒だとか自責だとかではなく、「好きな人から拒絶されることへの恐怖」という身勝手な感情から、当時の体調不良が部分的に再現されているものだとは思います。
 機能するようになった経緯はどうあれ、フールプルーフの存在により逸る心を体が止めてくれるようになったのは良いことです。

 ブログ作業中にこの新機能が働いた場合には、その度合いによって判断し、パスワード付き記事にするようにしています。投稿済みのものにも、下書きストックの中にも既にあります。アラートが優秀。



 今は大丈夫でも、ある時に何の気なしに「一線」を越えることがあり得ます。貧血アラートだって完璧を保証するものではありません。気持ちが上向いた時にこそ、下を向いて歩くべきです。
 わたしは自他共に認める人間嫌いですが、その視界にあってさえ他人を好いてしまうこともあります。その相手を脅かすということも、その相手に嫌われるという思いも、どちらも二度と経験したくありません。
 なので、やはり自戒を込めて、これからも終身不名誉ストーカーと名乗ります。

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