フェチ語りシリーズ1「3次元から受けた影響+α」

フェチ語り





冒頭文と注意

 最初に断っておきますと、タイトルにつけました「フェチ語りシリーズ」の記事は今回含め、だいぶ気持ち悪いものになっていますので、閲覧注意ということでお願いします。
 特に女性ですとより不快に感じるものかと思いますので、間違ってここにたどり着いてしまったようでしたら、ブラウザバックをお願いします。
 また、お読み頂けました方も、わたしの好みについては見て見ぬふり、見なかったことにして他言無用でお願いします。性癖をあまり開け広げにするのは、はしたないかと思いますので、どうかご容赦を。

 








 改めまして。
 おはようございます。書いていて楽しい記事を書きたいという欲に負けた典藻のりもキロクです。
 随分前にある方からリクエスト? のようなものを頂きました内容を下書きしていましたところ、中々簡潔にはまとまらず、こうなればシリーズにでもしてしまおうかと思い至りました。
 なんの話かと言いますと、以前に記事にしたキュートやビューティやセクシーがどうとかという記事の中でぼかしてしまった「セクシー」の話です。

 「セクシー」の好み即ち性癖についてのお話です。
 性癖、性的嗜好、フェティシズム。呼び方はなんであれ、より品のない表現をするならば、わたしが何をエッチに感じるかということです。
 つまりこれから猥談をしようとしているわけですよ、わたしは。

 そして今回は、その猥談のうち、性癖の自覚に関連した3次元の出来事を思い出しながら書いていこうというものです。

中学時代 性の目覚め

 わたしの他の一部記事を読んで頂けている方はご存じかもしれませんが、性的な意味でのわたしの好みは「ぽっちゃりした女の子」です。この「ぽっちゃり」の度合いや「女の子」の年齢等については多少フレキシブルですので、またいつかこの部分に触れることもありましょう。
 とりあえず、「典藻キロクはぽっちゃりした女の子が好き。かわいらしいという意味でも好きだし、性的な好みの対象とすることもある」という認識でお願いします。


 さて、そんなぽっちゃり好きを自覚するに至る話をしていきたいと思います。


 記憶を遡れる限り、中学生の頃、ぽっちゃり体型の同学年の女の子にドキドキしていたのがある種の「性の目覚め」だったように思います。思春期ですからね。
 ただ、当時は自分の嗜好に自覚が無く、「好きな女性のタイプ」だと思っていたのは「華奢で小柄な大人しい子」と自認していました。
 もちろん「華奢で~」というのも好みの属性ではありますが、それは性的にということでなく、「かわいいな」「きれいだな」とは思っても欲情することは今も昔も無いように思います。今でもお人形のような可憐な少女だとか、合法ロリだとかが好きですが、これらに対して性的興奮を覚えることはありません。性的な観点で見れば食指が動かないとまで言ってよいです。

 思春期の頃の性的な話について、当時のわたしの生活環境についても触れておきます。
 わたしの実家は団地でして、母と弟とわたしとそれぞれに私室といったものはなく、プライバシー? プライベート? は筒抜けでした。
 いえ母のことで知らないことはありましょうが、我々兄弟が母に対して何かを秘密にするということは、特に現物があるものに関しては難しい事でした。
 
 それ故に、思春期にいたってエロ本の1冊も隠し持つこともできず、定番の「ベッドの下に隠す」というのも実感の湧かないシチュエーションであります。布団生活でしたし。
 エロ本を持っていなかったというような書き方になりましたが、実際は(当時の自分の基準で)エッチな本を所持していました。
 そのエッチな本というのは「ロザリオとバンパイア」の単行本1巻で、これを母に隠れてドキドキしながら読むというのが、とても刺激的な体験でした。


 それはそれとして、現物も録画も残さず深夜の番組を視聴するというのも性的な刺激を得る体験でした。
 中学生の時分ですので、テスト勉強で夜遅くまで起きていることもありまして、母の寝静まった後に消音でテレビをつけ、グラビアアイドルが出ているような深夜のバラエティー番組を、やはりドキドキしながら観ていました。母がトイレに起きることもあるので、身じろぎの気配を感じればすぐにテレビを消せるようリモコンが手放せないというスリルもありましたね。
 「ロザリオとバンパイア」にしろグラビアアイドルの出ている番組にしろ、中学生当時のわたしの性的な好みはぽっちゃり体型というよりは、胸の大きなお姉さんだったかもしれません。


 ここで先に触れました「同学年のぽっちゃり体型の女の子」の話に戻りたいと思います。
 ぽっちゃりしている……有体に言って太っているということは標準体型に比べれば胸の脂肪も多くなるわけですね。そういうわけですから、その子らにドキドキしていたのは「胸の大きな同年代の女の子」だからだと思っていたのです。

 しかし今にして思えば(いくらか記憶の美化や記憶違いはあるでしょうが)、「胸が大きいから」でなく「太っているから」未知のドキドキを感じていたのだと思います。
 1学年4クラスもあれば、男女含めていろんな人間が集まります。
 内面の話であれば、当時のわたしのように内気でうじうじしている者もいれば、それを引っ張るリーダーシップ・人望のある者、弱い者いじめをしてみる者もいました。
 もちろん多様であるというのは外見の話にも通じるわけで、とりわけ成長著しい中学生であれば個々人の体格のばらつきも大きなものだったように思います。背が高くてスポーツで活躍する者や、逆に背が低いことを持ちネタにしている者、そして今回話題としていますぽっちゃりした子らもいるわけです。

 わたしの通っていた中学校では登下校は体操着の上から制服着用。学校に付いたら制服を脱ぎ、その下に着てきている体操着(冬は上からジャージも着ます)で過ごす決まりでした。授業なり部活なりを終えて帰路につくときにはまた制服を着ます。

 この体操着というのは白いシャツに青い短パンです。白いシャツというのが何とも罪作りなことでして、特に汗ばむ夏場ですと「ブラ透け」が起きます。
 耐性の無い当時のわたしにとっては目のやり場に非常に困ったものです。

 また、透けるぐらいですから汗で肌に張りつくと、ある程度ボディーラインが出てしまいます。
 肉付きのよい胸やお腹のラインが露わになるというのはやはり目のやり場に困るもの。

 思い出す限り、特にわたしの目を引いていたぽっちゃりの子らはいずれも運動部でして、日常的に体を動かしていた為かボディラインは丸くとも、ハリのある「健康的なぽっちゃり」だったというのも、ドキドキの一因だったのでないかと思います。ムチムチ、というやつでしょうか。
 
 そのうちのひとりは友人との話の中で、たぶん好きなアイスか何かの話をしているときに「スーパーカップが好き」と答えたのを「スーパーカップ? Sカップ! 〇〇ちゃんおっぱい大きいもんね!(にやにや)」と脂肪を豊かに蓄えたその胸のサイズをいじられて(?)いました。
 ……いえ、盗み聞きなどしたのではなく、わたしなぞ歯牙にもかけられない路傍の石でしたので、「男子」として見られていなかったものと思います。目の前で繰り広げられる会話にドキドキしていることが表情にでないようにするのに必死だったので記憶に残っています。
 あと、その「スーパーカップ」の子のブラ透けを見てしまったとき、水玉模様のかわいらしいカップの色柄を見てしまったことが罪悪感と共に未だに記憶されています。

 
 上記の子とは別に、男子女子で練習場所が分かれてはいたものの、わたしと同じ種目の運動部に所属していた子がいました。
 背が高く、外での練習でしたのでほどよく日に焼けた肌が健康的で、たまに練習場所やタイミングが近くなった際に彼女が運動をしている様子を見かけることがありました。走ったり跳んだりの度に揺れる大きな胸が、思春期のわたしには非常に「目に毒」でした。


 スーパーカップの件や部活の練習風景のことを覚えているということは、やはり当時のわたしは「胸の大きな子」を性的な好みの対象と自覚していたのだと思います。
 あるいは当時はぽっちゃり好き云々は関係なかったという考えもあるかもしれませんが、実は2次元(アニメ)の話になると更に古い「ドキドキ」の記憶があるので、やはり潜在的にはぽっちゃり好きであったと思います。


高校時代 性がどうこう言ってられなかった頃

 時は進み高校時代。
 この頃は長い間、教室に居場所がなく、昼休みは屋上扉前でひとり食事を済ませ、部活にも所属せず、当然友人らしき友人はいませんでした。
 気にかけてくれる同級生はいたのですが、なにぶん心の弱かった当時のわたしはそれに気づけていませんでした。


 そんなことはさておき、居場所の無い中でも図書委員会に所属しある程度くつろげる空間を手に入れていたわたしです。
 その委員会での後輩の女の子のひとりにやはりぽっちゃり体型の子がいました。
 精神が成長したからか、他人と距離をとるようになったからか、中学時代ほどドキドキを感じることはありませんでしたが、やはり目を引くシルエットでした。今も印象に残っているくらいですからね。
 あと、その子がつけていたことを切欠にペディキュアというものの存在を知りました。お洒落さんでしたね。


 ちなみに、高校最後の1年間は、(今はもう疎遠になってしまいましたが)友人と呼べるかもしれないクラスメイトが出来たことで少し楽しく学校生活を送れました。その友人? にわたしが声をかけるとっかかりだったのが当時サービスが始まった頃だった「ai sp@ce」でしたね。懐かしい。

 話しかけたあとにギャルゲ趣味をカミングアウトし、話し相手になってもらえるようになったのでした。そう思うと、この頃も「一歩進む為には趣味(性癖)を開示する」というアクションが必要だったのですね。
 
 
 ちなみに、わたしの体感ではありますが、所謂ギャルは案外、根暗なわたしにも優しかったです。
 相手が根暗とか何とか関係なく、「誰とでも仲良く」「相手が望まないなら過度には干渉しない」を自然に実践してくる光の存在ですよ、彼女ら。
 校則に反した格好をしたりはしても、人間的にはよっぽど「できた」人達でした。
 ギャルは光です。

大学時代 性癖の自覚

 さらに時は進み大学時代。
 高校時代とは大きく環境が異なります。同学年であっても年齢が違うこともありますし、皆が皆私服で通学する形になります。
 そして、中高よりも広い範囲(地域)から学生が集まるので、そういった意味でも色々な人に知り合うことになりました。

 わたしはといえば、「バイトしながら通えるように」「家から自転車で何とか通える範囲で」「わたしでも入れそうなレベルの」ちょうどよい大学に入ることとなりました。
 そんな雑な進路決定もあり、高校での選択教科とまったく関係ない学科に進み、見知った顔がひとつも無い中でのスタートになりました。


 この頃はこの頃で、自身の大学デビュー失敗が原因でせっかく構築できかけた人間関係を全破壊してしまったり、距離感を間違えて「加害者」になってしまったりと、罪の記憶が強いです。
 卒業から年数の経った今でも文字通り「寝ても覚めても」思い出し、「わたしのような人間が幸せになる資格はない」「自分が悪性であることを忘れるな」「社会に適合できている気になっているだけの異常者」と自身の過去が呼びかけてきます。


 一方で、妻と出会ったのもこの大学生活の中でのことで、プラスにもマイナスにも、色々な意味で人生のターニングポイントになっています。特異点と呼んでもよいです。


 自身の暴走で破壊してしまった人間関係と別に、妻(当時は恋人ですね)が同サークルに所属してくれていたおかげで、妻の友人との交流は断絶しませんでした。
 また、学年や学科が違うことでわたしの暴走の様を知ることのなかった先輩後輩は男女共によくしてくれました。
 このサークル活動もわたしの抑鬱感情が強まってからはほとんど顔を出すことも無くなってしまいましたが、ここに所属して絵描きの話を聴くことができたこともまた今のわたしの趣味につながっているように思います。


 閑話休題。
 そんな大学生活の中でもやはりぽっちゃり体型の女の子に目を引かれることが多かったように思います。

 18歳の誕生日を迎えて、ギャルゲ趣味が高じてエロゲに手を出した頃、所謂「濡れ場」を見ても「そういう気分」にならなかったことで、もしやわたしの性の好みはスリム巨乳等ではないのではと気が付いたわけです。
 いえもちろんと言いますか何と言いますか、器質的には「そういう状態」になってはいたのですが、心理的に昂るものが得られなかったと言いますか。
 そんなわけもあったり、先述の通りプライバシーのない間取りの中で母や弟が寝静まった後でもなければ「濡れ場」なんてPC画面に写せないもので、限られた時間で作品を読み進める為に「濡れ場」はテキストを早送りにして碌々読んですらいなかったです。

 と言いつつ、「SHUFFLE!」プリムラルートでの貧乳パイズリの試みは性的興奮でなく、愛情表現の為に考え抜いたのだろうというその健気さにとても萌えたので、「濡れ場」がすべてわたしの趣味にあわないというわけでもありません。


 はて、なんの話でしたか。
 ああ、性癖の話でしたね。そんなわけで、わたしは痩せ/標準体型でなく、ぽっちゃり体型に性的な興味を持っていることを自覚するに至ったのです。


 大学キャンバス内を行き交う人々、構内で談笑する人々は年齢、生活環境、服装センスの違いが如実に表れていて、より個性を自己表現している様子でした。
 ここでもうひとつ気付きを得まして、如何に魅力的な体型であっても、前提として聡明さや品の良さというような内面が伴っていなければ、まったく魅力を感じないということです。気持ちが萎えます。なにもそそられない。

 学内に、目測体重3桁中盤ぐらいの女性がいたのです。
 少し歩くだけで息が切れたり、笑うと首回りの脂肪がゆれたり、夏の半袖から覗く二の腕が太もものような太さであったり、足首はくるぶしを見てとれないような肉付きであったり、体の幅が誇張表現なしに他の女性の2人分あったりと、ある種の才能を感じるぐらいの見事な体型でした。
 これを文章で読むととても魅力的に感じるのですが、当人を思い出しながら書いている今はまったくなにも感じないです。無です。
 接点があったので少なからず話す機会があったのですが、内面が……ということです。


 しかし、人が多ければぽっちゃりさんに出会う機会も多く、ドキドキを感じる場面も多かったです。
 同サークルの幽霊部員の女性が久しぶりに部室に来たと思ったら激しく「増量」していて、どうもTシャツの丈が合っていないのか、体勢によっては腹チラするほどでした。
 のちに肉割れというものだということを知る「痕」があるお腹を見ることになり、その日の活動時間は普段以上に相手から視線を逸らながら過ごしていたのを覚えています。


 一番記憶にあるのは、背が高く、おそらく一般的に「痩せたら美人」と言われるような女性です。
 おしゃべり好きで声の大きな方でしたので、講堂で少し近い席にいるだけで自然と会話内容が聞こえてきまして、どうも脈絡から推測するに体重は3桁の大台には乗らないものの90kg台はあるようでした。
 また、「今の体型になってからは運動が嫌いになった」「実家が裕福でおいしいものを食べられる」という話題であったり、後に「ダイエットを始めて〇kg痩せた」(※)と言いつつ外見に変化が見られなかったりと興味深い内容が多かったです。
※元々が過重なので、少しの節制である程度は減量できるが、同じく元々が「かなりふくよか」なので見た目に変わるほどの影響はなかった、と推測します。

 この方、身長があるとはいえ推定90kg台の体重があることで、Tシャツの上からでもきれいなお腹の形が見てとれて、わたしはどこに目線をやればよいのか毎度困っていました。
 と言いつつ、興味のあるものには偏執的に観察眼を向けるわたしですので、彼女から色々な知見を得ました。
 整った顔立ちと二重あごの相性のよさも知りました。
 大きなウエストにあわせたサイズ選びの為か、ジーンズの太ももやヒップは少し生地が余るくらいの余裕があるように見えました。ウエストサイズがあるとそうなるのか、太り方にもいろいろあるのだなと学びました。

 夏場には冷房の効いた講堂であっても中々汗がひかないようで、その水分により肌がきらきらと輝く様子もみられました。
 そして、汗の為か厚みのある脂肪の為なのか、夏場の軽装で露出した二の腕にカナブン(だったかな)といった大きな虫が止まっても、まったく気が付かないということがありまして、脂肪が分厚くつくと感覚が鈍くなるのだなということも知りました。
 この夏場の軽装から得た知見がまだありまして、彼女の美しい二重あごにちらりと目線を向けたところ、涼しさの為に普段より見やすいそのデコルテ? に鎖骨が見えないことに気が付きました。なるほど、肉が付くと鎖骨は埋もれるのですね。
 もうひとつ、この軽装から覗く二の腕なのですが、彼女が友人に向けて大手を振る度にその振袖肉が躍動しまして、ええ、こう、すごかったです。

 また、先の通り会話内容が聞こえてきるもので、「腕が太くて血管が見つからないから(?)献血ができない」「太ももに厚みがあるので、講堂の机と椅子の間のスペースだと足が組めない」といったリアリティを伴った情報を得られたのがとても貴重な体験でした。


 ほかにも就活のストレスで激太りした美人な先輩の話だとか、スタイルよさげなレディが屈んだ際にちょっと油断した感じのお腹がボトムスのウエストに小さく乗った様子だとかもありますが、これ以上は流石に自重します。


 ……罪悪感と抑鬱傾向と、うつつを抜かした色恋沙汰と、性癖の探求と、わたしは大学で何をしていたのでしょうか。勉学は?

社会人 性癖を隠して過ごす日々

 今に続く社会人生活。
 業界的に毎年新入社員が入るようなものでもなく、わたしの同期どころか職場全体でみても同年代の人間がいなかったり、世間話をできるほど余裕がないことが多い仕事なので、今書いているような話をする場も当然ありませんでした。

 よく考えれば、世の男性が「青春時代」に体験するという同性の友人とのバカ話というものを経験していないことから、猥談をするというのは、本当にごく最近初めて体験したことです。
 
 なんならば、妻にも性癖を隠しています。
 我々、プラトニックな夫婦関係でして、性の話を不要としていることもあり、隠すことができています。いえ、感づかれはいるかもしれませんが。


 仕事の都合上、色々なところに物品を納めにいくので、訪問先でセクシーダイナマイツ(わたし基準)に出会うことも偶にあります。
 そのときはやはり目のやり場に困ってしまい、なるべく視線を向けずに作業をさっさと済ませて、移動の車内で動揺した気持ちを落ち着けるという流れになります。
 ポーカーフェイスを身に着けたいですね。

その他 好みのコンテンツ

 残念なことに、3次元のぽっちゃり女性の美しさを拝める機会というのは実生活では限られます。
 そして、好みに沿うからと言って、少しでも縁のある相手を「そういう目」で見るのがよくないという倫理観はわたしも持っています。
 
 ですので、そういった欲を発散するときは、ネットの力をお借りしています。
 大学時代に自分用のノートPCを買ってからは母や弟に見えない角度でそういった画像や動画をネットで探すことができるようになりました。文明開化です。


 これにより2次元のぽっちゃりについても触れるようになり、「肥満化」というジャンルの存在を知ったり、わたしの性癖をもう数段階も歪ませてくださった先生方やその作品群に出会ったりしました。
 このあたりについてはシリーズ記事の次回にでも話しましょう。


 当然、ネットの海に漂うものの中には3次元のぽっちゃり画像/動画もあります。
 これを漁り、画像/映像作品としての好みを自己分析したところ、一番は「ダイエット番組」でした。

 これの何がよいかといえば「ダイエットに臨む」=「本人は痩せたいと思っている」という前提があることで、その体型の美しさがより輝くところだと思っています。
 内面どうこうの話をしましたが、恥じらいであったり、焦りであったり、或いはコンプレックスであったり、そういった感情を併せ持っていながら、「それでも易きに流れて痩せられない」「言い訳と油断と現実逃避が贅肉となっている」というのが、どうもわたしの好みのようです。
 ですので、ダイエット番組に出演するぽっちゃり女性というのは、(たとえば番組がやらせであったとしても)映像作品として非常に魅力的なのです。

 加えて、界隈の同好の士がスタッフにいるのか「見せ方」や「煽り文」が非常によいものが多く、もはやポルノ作品よりも性的なコンテンツであるといってよいのでないでしょうか。
 実際の人物が(仮名ではありましょうが)名前を出して出演するものなので、あまり詳細には触れませんが、「ダイエット・ヴィレッジ」で二の腕の太さが顔より大きいと紹介された女性の一連の紹介映像や「ダイエット総選挙」で減量前のお腹を服の上から自身で掴んで、その脂肪の厚みを見せてくれる様子などが気に入っております。

 この手の番組はもちろんビフォーアフターのビフォーに興味があるのですが、ダイエットにより「程よいぽっちゃり体型」になったり、節制や運動によりたるんだ贅肉にハリがでて美しさが増したり、逆に「あれだけのぽっちゃりさんだと、あんなに頑張ってもこれだけしか痩せられない」という興奮材料になったりと、意外とアフターもよいものです。

 フェティシズム的な満足度はプロの仕事には及びませんが、最近ではYoutubeに個人がダイエット動画を上げていたりするので、より手軽に好みの要素を摂取できるようになりました。


 また、死語かもしれませんが「樽ドル」というものの存在は衝撃的でした。
 こちらも実在の人物に対するものになってしまうので、詳細には触れませんが、綺麗なお顔とグラビアアイドルらしからぬ弛んだお腹周りというのは、素晴らしいです。


 エッチなビデオにもぽっちゃりジャンルがあることは知ってはいるのですが、こちら中々お金を出す踏ん切りがつかず、サンプル映像程度しか見たことがありません。
 性的興奮の材料としてわたしの重視する部分に「本番」は含まれておらず、むしろ「本番」よりも肉体美をひたすら愛でるのが好みなので、なおのことお金を出してビデオを買うことを躊躇しています。
 でもやっぱり気になります。


 ここ最近は、「需要」をわかっている配信者/投稿者のコンテンツをサブスクリプションで見ることのできるサイトもあったりと、「良い時代になったものだ」と感じております。
 サブスクリプション系でいちばん刺激的だったのは海外サイトの”PLUMPER PASS”でした。
 海外サイトですので、異邦のぽっちゃり女性、いわゆるBBWであったりSSBBWの方のコンテンツを見ることができるのですが、日本人の肉付きとはまた違った、ある意味規格外のぽっちゃりさんたちでとても魅力的です。
 大抵の動画がわたしの好かない「本番」を含むものとはいえ、それを差し引いても体型そのものも見せ方も非常に魅力的で刺激的でした。
 コンテンツの貴重性や満足度から見ればコスパはよいといえるのですが、それはそれとして月額が高かったので、1ヶ月だけで解約してしまいました。いつか石油でも掘り当てたらまたサブスク加入したいです。

おわりに

 ということで、3次元についてのわたしのぽっちゃり好き遍歴でした。お恥ずかしい。
 こういった傾向の文章をテーマを分けてシリーズとして書いていこうかと思います。そのうち力尽きたり飽きたりするかもしれませんし、記事があまりに不評で苦情が入ったりすればシリーズ完走はならないかもしれません。
 まあ、個人ブログでの吐き出しということで、大目に見て下さい。

 次回は、2次元コンテンツについての遍歴についてでもお話したいと思います。
 いつ投稿できるかは分かりませんが、次回もよろしくお願い致します。
 

コメント

  1. まつ より:

    こんばんは(*^^*)
    深夜に登場、まつです☺️

    ブログが更新されてから割りとすぐ読みに来たのですが、これは夜にゆっくり読みたいと思っていたらこんな時間になってしまいました。
    夜分遅くにすみません😣

    記事を何度も読ませていただきました。
    感想は、めちゃくちゃ読み応えがある!
    でした(*^^*)

    キロク様の人生を覗き見しているような感覚になり、これ私が読んでいいものなのか…?とドキドキしながら読んでおりました🥺

    学生時代の男性というのは、同級生の行動や言動に対してそのように思うのですね!
    女性としましては特に意識せず行っている行動も、男性側から見ると性的興奮に繋がるのだなーと思いました😳

    腹チラであったり、女友達との会話の内容であったり、きっと男性がどう思うかなど考えていなかったと記憶しております🤔

    女性の方が精神年齢が高め
    とよく言われますが、性についてはどうなんだろ、
    男性が何を考えているか等は想像もつかなかったかな…

    どんな行動や言動を見て、
    どこに興奮を感じて、
    何を思っているのか、
    そう言った事がハッキリと書かれていて読んでいてとても勉強になりました😊

    私は性格上、知りたい欲が強く
    キロク様が書かれている内容について聞きたい事が沢山ありました!

    過去の事や、推定3桁の女性の話し、奥様との出会い、今まで出会ってきたぽちゃ子達のお話し、
    本当に聞きたいことだらけで!笑

    私も人との距離感を掴むのが苦手で何をどこまで聞いたら失礼にならないのか、相手を不快にしないのか、常に模索しています。
    人懐っこいが故に、良く言えば無邪気
    悪く言えば無神経に知りたいことを聞いてしまって嫌がられたりとか…😢

    人間関係は難しいですね。
    イラストと同じで勉強の毎日です。

    今回の記事では、キロク様がどのような過程でぽちゃ好きになったのかを知ることが出来て良かったです☺️

    もっと聞きたい!
    と思いました(*^^*)

    そしてまたしても長文を失礼致しました。
    不快に思われたら無理に返信しなくても大丈夫なので気を遣わずでお願いいたします☺️

    • 典藻キロク より:

      コメントありがとうございます。

      今回の記事は当時を思い出しドキドキしながら書いていました。
      あまりに生々しい書き方になってしまって我が事ながら気持ち悪がっておりますが、カマトトぶっていた自分にケリをつけて開き直るつもりで公開しました。

      当然ながら男性の身では女性の「なにげない日常」を体験することはできませんので、その仕草や言葉の端々にドキリとするものがありました。
      これは性愛のみならず恋愛的な感情においてもです。

      記事内で少しだけ触れましたが、普段は騒がしくてキラキラしくて、自分とは異次元にいると認識していた「ギャル」の子が、
      たぶん当人としては何でもないことでしたでしょうけど、当時のわたしに何でもなく話しかけてくれたのはとても救われる気持ちでした。
      その後に友人になるとか、ましてや恋愛関係にいたるとかといったドラマはありませんでしたが、わたしは路傍の石ではあっても透明人間ではないのだと少し安心した思いでした。
      少し主旨の違う話ではありますが、当人にとって何気ないことこそ、心根が反映されることで、心に触れたようで強く印象に残るのでないかと考えています。

      あくまで「男性が」というよりは「わたしが」そう感じていたということなので、世の男性はもっと健全な思考をしているとは思います。
      どうもわたしはむっつりスケベというものだとここ最近自覚しましたので。

      フェチ語りとはこういうものでよいのかと考えながら書きましたが、内容に興味をお持ちいただけてよかったです。
      既にお読み頂いている第2回に続き、下書き中のテーマがまだありますので、またお付き合い頂けますと幸いです。

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