基本的に断捨離に向かない性分

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 先だって、急な思い付きにて、まとまったお金が必要になりました。手っ取り早い金策として、コレクションのいくつかを売却しました。(結局、思い付きは見当違いだった為、無意味な金策になってしまいましたが)

 世間的には、荷物の整理を断捨離と呼ぶそうです。この度のコレクションの売却もまた断捨離と呼べるものかもしれません。金策もできるし気分もスッキリするしで一石二鳥……とはいきませんでした。

 マキシマリスト(仮)のわたしとしては、「持ち物を捨てる(処分する)」ということ自体が、そう滅多にないイベントです。ぶっちゃけ、断捨離もダレンシャンもだんじりもダージリンも判別がつかないくらいに縁がないです。
 うろ覚えですが、断捨離の語源は仏教用語でしたか。由来はともかくとして、大方が「ものを捨ててスッキリすること」という大雑把な認識をしているように思います。わたしもその口です。

 モノには魂が宿るという考えや、長年手元に置いていたことで抱く愛着というものがあり、コレクションを手放すことに積極的にはなれません。時間やお金をかけて集めたおもちゃにさよならバイバイするのは、とても寂しいものです。「○○に行った時に買った」とか「仕事で忙しいなかでの癒しだった」とか、程度の差はあってもそれぞれに思い出があるものです。

 昨年も、仕事で突発的な出費があり、補填のためにいくつかのおもちゃを手放しました。1年近く経っても、「売らなきゃよかったなぁ」と思い出すことがあります。
 断捨離で捨てるモノを決める目安として、「手に取った時にときめかない」というのを聞いたことがあります。あれらはわたしが頑張って集めた「ぼくのたからもの」であり、手に取れば、大なり小なりときめきを覚えるものです。その基準では、たったのひとつも捨てられません。

 手放して悲しくなるくらいなら、最初から買わないというのが最適解かもしれません。そもそも、よい歳をしたオトナなのですから、モノではなくカネを蓄えるべきなのでしょう。実際、散財・浪費をストレス解消の手段に据えているせいで、蓄財はろくろく出来ません。
 まあ、頭でわかっているからといって自制がきくのなら、もう少しうまく生きられていると思います。

 おもちゃはあくまで嗜好品です。無くても、死ぬわけではありません。なので、処分することを過度に忌避することもないのでしょうが、強い抵抗感が拭えません。縁あってわたしの手元に来てくれたモノたちとの離別は、その瞬間はよくても、あとからジワジワと「手放さなきゃよかった」「なんであんなことをしたのか」と暗い気持ちになってきます。

 そういう具合ですので、なんとも断捨離に向いていないなぁと、つくづく思ったわけです。逆に、自分からは手放せないので、たまには、今回のように見当違いの使命感に駆られるのが必要なのかもしれません。

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