追突事故に遭いまして
ブルースカイの方で発信していました通り、先日、追突事故に遭いました。
信号機のない交差点で歩行者を渡らせるために停まっていたら、後ろからバイクがぶつかってきました。とりあえず、同乗していた妻にも、わたしにも、どうやら相手方にもケガはなかったのですが、当然のように車に傷はつきました。また、警察を呼んで現場検証したり何だりで貴重な休日の時間を浪費しました。
それだけなら、まあ運がなかった、ケガ人がいなくてよかったと笑えるのです。
ええ、しかし、いかんともしがたく相手方の態度に立腹しております。
ぶつかってきておいて、こちらが降車するまで声掛けはなし。現場で主導して警察を呼んだのはわたしの方です。世間的な連休が明けてみても相手方の保険会社からの連絡もなし。怒る権利はありましょう。
怒りの形
今回のことで、あまりに頭にきたのか、はじめての「怒りの形」を自覚しました。
この地上で唯一のわたしの理解者であり、替えのきかない宝物であり、わたしの生きる意味の大半である、大事な大事な妻がもしかしたらケガをしていたかもしれない。もっと言えば、死んでしまっていたかもしれない。それなのに、相手は随分のんきです。ひとの大事なものを奪いかねないようなことをしておいて。
というようなことに起因して、感情が突沸……することはなく、急速冷凍しました。
冷血漢の定評を受ける「仕事モード」の頭以上に、ひどく冷たい気持ちになりました。憧れのヒーローが言っていた「驚きだよ。怒りで頭がシーンと冷えることもあるんだな」を身をもって体験する日が来ようとは。
事故現場(しかもぶつけられた当事者)で取り乱したり、荒い口調で話したりしたところで、なにひとつ建設的なやりとりは行えませんから、冷静になれてよかったです。このような冷たい怒りもあるのですね。
普段を見ると、いったん言葉にすることで落ち着く一過性の燃えるような怒りが多いです。燃えるような怒りです。頭の冷えるものとは正反対ですね。案外と激情家なのかもしれません。
あるいは、陰険な怒りのほうが「らしい」でしょうか。20年近く経っても未だに恨みつらみを抱えて復讐心を抱いていたり、仕事を馬鹿にされたことをずっと根に持っていたり、所在も名前も知らないパワハラホテルに呪詛を念じるのを日課にしていたり……。まるで生産性のない、ただ持続するだけの悪感情ですね。生産性がないことに時間を費やすというのが、如何にもわたしらしいです。
怒りも大事な感情
どのような形であっても、怒りも大事な感情のひとつです。怒りは心身を動かす原動力にもなり得ます。
怒りを抱くような出来事に遭わずに過ごせるのなら、それが一番だと思います。しかし、抱いてしまったのなら、無理に捨てたり蓋をするということもないのかもしれません。アンガーマネジメントというやつですね。
とりあえず、事故の事後処理は済むまでは、冷たい怒りが収まらないでいてくれると、冷静に振舞えてよさそうですね。
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