某犯罪学教室のVtuberの切り抜き動画を視聴していました折、とても感動するお話がありました。
ユダがどうこうという切り抜き動画の中でのことでした。
メンバーシップでお金を払ってもらうということについて「その人が働いて、もしくは何かをして得た報酬じゃないですか。その報酬を僕がもらうわけですよね。つまりお金だけじゃなくて(略)その人の人生の時間取ってるんですよ」「その人にとっては、すごい苦労してゲットしたかもしれない、もしかしたら何か生活の制約を設けてしまったかもしれないような金額を僕にくれてるわけですよ」と先生はおっしゃっていました。
我が意を得たり、というのはこういう時に使う言葉でしょう。
お金は、人生の残り時間と体力を対価にして得るものですから、お金はその人の命そのものなのです。
お金を払うなら、こういう考えを持っている方に払いたいです。時間や体力を対価にして得たお金ですから、気持ちよく使いたいです。
……と、このように持ち上げておいて非常に申し訳ないのが、わたしはメンバーシップに入っているわけでも、スーパーチャットで支援しているわけでもないというところですが、これはご容赦頂きたいです。
導入として先生のお言葉に触れさせて頂きましたが、本題は記事タイトルどおり「気持ちよくお金を払いたい」という部分です。
殿様商売な玩具メーカーだとか、無名の個人の依頼だからか雑な対応をするクリエイターだとか、安くない金額を払って嫌な気持ちになるというのは、とても残念です。
まあ、前者に対しては以前より財布のひもが固くなっただけで購入は継続していますし、後者については結果的には返金される仕様だったので、文句を言いつつも何かの決定打になるわけではないのですけど。
……その代わり、ずっっっっっと根に持ちます。
相手のお金=時間を軽視するという点においては、ユニセフに対して悪印象があります。
もう4年ぐらい前の話ですが、駅前でユニセフの定期募金の勧誘に掴まりました。「募金の為に、月いくらぐらいならお金を出せますか?」と聞かれ「900円ですかね」と答えました。その後の返しが驚きでした。「月あたりの最低金額が1000円なので、1000円のコースで募金お願いできませんか?(要約)」ということでした。
当然のことながら、900円と1000円はイコールではありません。
目の前のこの方はわたしの100円を随分軽く見ているのだなと感じました。相手の時間に対して敬意が無い方なのだな、と。そして、そういう方が他人の善意を募っているのかと随分悪い印象を受けました。
しかし、見栄っ張りなわたしですので、そこから1年ぐらいは月1000円の募金をしましたよ。ええ。街頭で募金をして「ありがとうございます」と言われるのと違って、毎月口座から引き落とされるだけで何の対価も得られない、面白くない出費でした。きっかけがもっと好印象であれば、感じ方も違ったでしょうが、モヤモヤと納得いかない気持ちのまま毎月お金がとられていくというのは、やはり面白くありません。
継続的な募金をやめた後も、不定期に「募金してください!」という書面が届くのが煩わしいです。この書面を送るコストを支援金にまわせばよいのでは、と。
こちらのお金=時間を軽く見る相手に、お金は払いたくないです。
以前に記事内で触れました通り、「特別な返礼は無いけどお金をくれると嬉しい」というスタンスの活動者も世の中にはいます。(くわしくは当該記事をお読みください)
対価もなしに相手からお金を払ってもらって当然という考えは、恐ろしいまでの自己肯定感と共に、他者の時間に対しての敬意がまるでない傲慢極まるものでしょう。こういった考えの方は、わたしとは価値観が根底から異なるように思います。こちらから進んで関わることもしませんから、まあよいのですけど。
いずれにせよ、せっかくお金を払うのなら、気持ちのよい取引にしたいです。本当に。
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