「わたしはロボットではありません」

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 信号機やらオートバイの写ったパネルを選ぶアレが苦手です。ぐにゃりと変形したひらがな4文字を入力するアレも苦手です。ですが、わたしはロボットではありません。

 職場でAIだとかシステムだとか、およそヒトにつくあだ名でないもので呼ばれることもありました。ですが、わたしはロボットではありません。

 交際し始めた頃の妻とお菓子を食べていたときに「ものを食べてる! 本当に人間だったんだ!」と言われました。ですが、わたしはロボットではありません。

 ……まあまあ自信が無くなってきていますが、ロボットではないはずです。

 いえ、ニンゲンとは有機的な部品で組み立てられた「機械」であるものと捉えるのならば、ヒトは皆ロボットであるということも出来ましょうか。
 「ロボット」を語源とされるところまで遡り、ある程度恣意的な解釈を加えて「労働者」とするのなら、たしかにわたしはロボットでしょう。


 いえいえ、然様な話をしたいのではないのです。


 ロボットではありませんと言いつつ、そのように見られること自体は嫌ではありません。ヒトの為に造られた人工物という見方をされるのは、夢見て焦がれて憧れた「お人形」に近い評価でむしろ嬉しくさえ思います。
 合理的に、感情を交えず、機械として判断して動作できるのなら、それは素敵なことだと思います。

 創作物において機械人形はヒトの感情を理解しないものとして描かれることが多いように思います。しかし、ヒト同士とて、互いの感情を理解しているとは言い切れません。相互不理解こそが人間らしさとさえ言ってよいでしょう。理解した気、知った気、わかった気になって、無自覚にどこまでも平行線。ある時気づいて傷ついて、築いた絆に飽きずに縋る。
 ならば、ヒトを理解しないという点においては、ヒトも機械も変わりはないでしょう。

 「ロボット3原則」の存在から不自由さがあるかとも思えますが、そのルールは万国共通のものでもありませんし、すべてのロボットが縛られるものでもありません。また、ヒトも「3原則」以上に倫理やら道徳といったルールに縛られ不自由をしているのですから、これもまたヒトとロボットに大差があるとも思えません。

 
 目的の為に最適化された強く美しい機械の体。
 役割を果たすことに邁進できる合理的な思考。
 それそのものが欠陥であるかのような精神活動を要さない在り方。
 道具としてのロボットに憧れを抱かないといえば、嘘になってしまいます。


 ですが、はい、もちろん。生物学的に人間であるわたしがロボットになることはありません。
 そうですね。残念なことに、わたしはロボットではありません。

 
 
 

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