【雑記】空の境界 痛覚残留

アニメ感想





 おはようございます。降ってわいた仕事が忙しい典藻のりもキロクです。
 日中ずっと心拍数高く、体温も高く、呼吸は浅く。ありていに言って興奮状態、臨戦態勢。非常に疲れますね。
 1日1食生活中ですのに、緊急事態につき昼食を摂ってしまいました。


 心臓がよく働き血の巡りがよくなると頭も冴えるようで、普段以上に余計なことを考えることの多いここ数日。平時でも常に連想ゲームをずっとしているような頭が、輪をかけて些細なことから突飛なものを想起させてくれます。


 ここ数日は、ボスラッシュとも呼ぶべき急な仕事の連続で毎日が〆切状態でした。1日あたりの情報が多すぎて何からどう連想したのかは忘れてしまいましたが、こんなことを考えていました。

「そういえば、無痛症の方と関わったことは無いな。もしそういう案件がきたらどうするか……」

 わたしは職種の都合上、傷病者と関わることも少なくないのですが、対象になる方の層がある程度の傾向を持っているので、その傷病もまたある程度決まった種類になります。毎度、その苦痛を実際に知ることはできないので想像で補って対応するほかないのですが……まあ趣味のブログで仕事の話はよしましょう。私的な時間に仕事のことなど考えとうない。
 

 それはそれとして、痛みや温度を感じないという無痛症です。
 その存在は知っているものの、実際にお会いしたことは無いので、いざ仕事で対応することになったらどうすべきかなどと考えてしまったわけです。不良サラリーマンらしくもなく。



 実在はしているものの、目前にしたことが無い為、フィクションで取り扱われた際のイメージがわたしの中での主な情報となっています。
 無痛症のキャラクターが登場するフィクション作品を思い出そうとすると、わたしは「鉄のラインバレル」や「ヤング ブラック・ジャック」といった作品を連想します。
 それらの中で真っ先に思い出すのは「空の境界」です。

 「Fate/stay night」に触れて感動し、関連作品も履修すべきと考えた当時のわたしが「月姫」や「MELTY BLOOD」と併行して読んでいたのが「空の境界」です。
 あの頃はまだ本が読めていたと思うと、随分むかしのことに感じます。実際十数年前の話ですが。

 そんな十数年を経ても記憶に残るキャラクターなのが、「空の境界」の第3章「痛覚残留」に登場する浅上藤乃です。

 主な出番は第3章だけではありますが、そのエピソードは強烈に印象に残るものでした。そのため、上映を見逃した劇場アニメのDVDまで買ってしまいました。当時は今ほどアニメ配信サービスも充実していませんでしたからね。見逃した作品を観る為に、またお気に入りの作品を繰り返し観る為に映像ソフトの需要がまだまだあった頃のことです。
 当時のわたしはライトノベル作家になりたいだとか、将来的に自作がアニメ化されたらヒロインの声は能登麻美子氏にあててほしいなどと妄言を吐いていました。そんな若いわたしにとって、アニメ版の浅上藤乃を演じるのが能登麻美子氏だったことも「刺さる」ものだったのだと思います。


 とはいえ、キャラ萌えで語るような作品ではありません。ストーリーのよさを語るにも、最後に読み返したのはすでに十数年前のこと。アニメ版も数か月前に見返した程度。
 話の大筋も薄らぼやけていますので、今のわたしはあくまでおおまかな印象の話しかできません。

 「痛覚残留」は無痛症の少女 浅上藤乃と彼女が起こす殺人事件の話。という程度のこと。 

 そんなぼやけた印象の中でも記憶に残っているのが、章ヒロインとも呼ぶべき浅上藤乃に向けられたセリフです。

「馬鹿だな、君は。いいかい、傷は耐えるものじゃない。痛みは訴えるものなんだよ、藤乃ちゃん」

「痛かったら、痛いっていえばよかったんだ、おまえは」

 誤字なき正確な引用のために、読書できないわたしが本を引っ張り出してくる程度には感銘を受けたセリフです。
 いえまあ、読んだ当時のわたしは「助けは自分から求めるべきもの」と経験で学んでいたので、すでに我慢するたちではなくなっていましたが。



 体の痛みに鈍感だからといって心の痛みがないわけでないでしょう。逆もまた然りです。
 あるいは、痛さや苦しさを我慢することを美徳としたり処世術としたりすることもあるでしょう。
 しかし、時には痛みを口にすることがあってもよいのではないかと。

 繰り返しますが、体の痛みを感じないという無痛症の方に実際にお会いしたことはありません。
 心の無痛症(というものがあるのかはわかりませんが)の方にお会いしたこともありません。
 でも、見るからに「痛そうな状態」や「苦しそうな状態」を(強がりではなく)何も感じないように振舞っているのは、それを見る周囲もまた辛いものと想像します。


 上記に引用したセリフにある「傷は耐えるものじゃない。痛みは訴えるものなんだよ」は当事者には無神経な言葉かもしれませんが、場合によっては痛みを訴えてもらえた方が相手も助かるということもありましょう。
 (少なくともわたしの仕事上では、痛い時はちゃんとその場で痛いと言ってほしいです。あとで悪化するよりも、対処できるうちにどうにかしたいところです)

 
 自分の心身の傷を我慢することが、周囲の誰かを傷つけることにつながるかもしれない。心配してくれる誰か、大切に想ってくれる誰かにとって、傷を傷と思えない、苦痛を苦痛と思えない姿は非常に痛ましいものとしてその目に映るのではないかと。
 傷つかない為に傷つける。傷つけない為に傷つく。そういうこともありましょう。
 


 まあ、人生経験うすっぺらなわたしの想像なので、的を射るものではないかもしれません。
 上記のような無神経なセリフを言うような気概もありません。(言う機会もありませんが)
 無神経でありつつ的を射たセリフを吐けるなら、わたしはもう少し理想の存在に近づけていますからね!



 わたしらしくもなく、やや仕事寄りの話をしてしまいました。
 無軌道な雑記ブログとして締めるならば、「空の境界」はよいですよ、というところでしょうか。
 わたしにとって少なからず「文章を書く」ということに興味を持たせてくれた作品のひとつです。読むと深夜徘徊をしたくなる作品です。
 アニメ化できる範囲とはいえエログロ要素(と呼んでよいのかはわかりませんが)のある作品なので、気分を害する方もいらっしゃるでしょう。万人に薦められるようなものではありませんが、まあ機会があればお手にとってみるのもよろしいかと。
 今回触れました第3章 痛覚残留から読んでもそこそこ話はわかると思います、たぶん。

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