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キャパシティの問題で、普段あまりアニメを追えないわたしですが、今期は「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」のほかにもう1本、視聴しています。「野原ひろし 昼メシの流儀」です。非常にさっぱりとした作品で、気負わずに見ることができるのがよいです。
ネットミームとしては知っていた
「クレヨンしんちゃん」のスピンオフ作品ですが、原作の原作(『クレヨンしんちゃん』本編)を認知しているのは当然として、原作(コミック『野原ひろし 昼メシの流儀』)も有名な作品として知っていました。
アニメ化する前より名が売れていました。原作を読んだことのない人でも作品名と概要だけは知っているというものだったと思います。インターネット上でおもちゃ……いわゆるネットミームとして広く知られていたもので、わたしもそちらから知ったくちです。
「偽者」だの「殺し屋」だの、「自分のことを野原ひろしと思い込んでいる異常者」だのと散々な言われようで愛されていますね。作品を知らずにネットミームだけで語る層に対して思うところはありますが、知名度が上がるのはよいことです。
広く知られた状態でのアニメ化ですから、ずいぶん話題になったようですね。わたしですら「ちょっと見てみるか」と視聴をはじめるぐらいですから、下地があるというのは大きいです。
思ったよりふつうに飯テロ
様々なネタで面白がられている作品ですが、アニメでは実写の料理が出てきたり、ふつう(?)のサラリーマンがふつうに食べるだけというところが「美味しそう」と思わせてくれます。ふつうに飯テロです。
わたし個人は、人前で食事を摂るのが苦手で外食に腰が引けるたちですが、このアニメを観てひとり回転ずしに行ってみたいと少し思わされました。
食事に対するひろしの感想については、まあ、「その料理ならそういう感想になるだろう」といういたってふつうのことしか言っていません。しかし、平凡な語彙であることで、わたしのような者にも想像しやすくさせてくれています。
異世界で非現実の食材を調理されても、「知らない人たちが知らないものを美味しそうに食べているだけ」としか見えず、わたしは蚊帳の外です。「知っているサラリーマンが現実の食べ物を美味しそうに食べる」というのは、食べることを主題にした作品において、よい見せ方なのだと思います。「孤独のグルメ」然りですね。
「領域展開」という表現に時代の変遷を感じる
ところで、オープニング映像でひろしが様々な料理を背に踊る様子を指して、インターネット上で「領域展開」と呼ばれているそうです。「領域展開」は漫画・アニメ作品の「呪術廻戦」の作中用語からきているもののようですが、この呼び方にオタク文化の移り変わりを感じています。
00年代~10年代前半までなら、「固有結界」と呼ばれていたのではないかと思うのです。あるいは、もっと「雰囲気」があれば「イヌカレー空間」だったかもしれません。
インターネット上で積極的に発信する年齢層や、流行り物が変わったのだなぁとしみじみとしています。
「固有結界」は「月姫」や「Fate」シリーズからくるものですが、風景を書き換えるという描写は、ひろしが踊るオープニング映像に重なる部分があります。ただ、「術者の心象風景で世界を塗りつぶす」という「固有結界」の設定を考えれば、ひろしの心象風景が野原家に関したものではないというのも違和感がありますから、そのように呼ばれたら呼ばれたで「固有結界はそういうのじゃないけど?」とわたしは文句を言っていたと思います。我ながら面倒くさい。
馴染みがあるのに新鮮な声
声の話題にも触れておきたいと思います。いえ、ひろしの声が森川氏に変わってから、もう随分と経ちますので、これは慣れています。ひろしの声の話ではありません。
3話、4話のゲスト声優らしき枠で、1年ものの作品で聞き慣れたはずなのに新鮮な声を聞けました。妻と「東島さんの方で1号やV3がオリキャスで喋ったから、ひろしの方も特撮ヒーローで対抗しているのかな」と冗談を言ったりしています。
次回以降もゲストがいるのなら、楽しみです。
アクの強いキャラクターの快・不快
ひろしがああだこうだ言いながら(思いながら)昼食をとるというのは、非常に見やすい部分です。しかし、そこに居合わせることのあるアクの強いキャラクターの存在については賛否があるかと思います。
「クレヨンしんちゃん」本編アニメのほうでもいくらか見知っている川口が、本編同様にひろしの後輩サラリーマンとして登場しています。視点人物から見て、若手であり後輩であり、かわいがりながらも無礼や生意気さを感じる振る舞いをしています。わたし個人は、「まあ、こういう人もいるよね」とギャグの範疇として見ることができていますが、視聴者によっては不快に感じるかもしれません。
また、こちらはわたしが受け入れがたかったキャラクターなのですが、当作のオリジナルキャラクター(ですよね?)の四杉遥は苦手な部類の造形をしています。
きわまった自意識過剰さで、ギャグとして見るべきキャラクターなのはわかります。しかし、「歪んだ認識をもとに、脳内で冤罪を作り出す」というのは、見ていて楽しいキャラクターではありません。一歩間違えれば、薄弱な根拠で相手をストーカー・性犯罪者呼ばわりするものであり、対象に社会的なダメージを与える可能性がある嫌なリアリティラインは笑えません。
とはいえ、川口も四杉も、現実にいるラインのキャラクターであり、ふつうのサラリーマンがふつうに昼メシを食べるという世界観を壊さないので、作中人物としてそこにいることに違和感はありません。どんな作品でも、少なからずキャラクターの好き嫌いというのは抱くものですから、彼らへの賛否が作品評価を下げるような大げさな話ではありません。
「面白い」ではなく「見やすい」
一大スペクタクルが描かれるわけでもなく、奇をてらって画面がビカビカとうるさくめまぐるしく変わるものでもなく、落ち着いて見られる作品かと思います。毎週毎週、続きが気になって仕方ない「面白い」作品というより、ぼーっとリラックスしながら見られる「見やすい」作品として、わたしは捉えています。
今期に観ているもう1本のアニメの「東島丹三郎は仮面ライダーになりたい」もそうですが、原作の原作(『クレヨンしんちゃん』や『仮面ライダー』)を知っている点で入りやすかったのもあります。まったく知らない世界観に新たに触れるのは、慢性的に疲れているわたしには、少々しんどいです。数年前より度々作られているリブート作品というのも、そういった現代人の需要にあわせたものなのかもしれませんね。
語弊がありますが、それほど「中身がある」アニメではないと思うのです。しかし、観ていると30分があっという間に過ぎるので、退屈なものではないのだと体感しています。とてもちょうどよいバランスで成り立っているアニメであるように感じています。
おわりに
子どもの頃から親しんでいた「クレヨンしんちゃん」ですが、気づけばわたしも、しんちゃんよりひろしに近い年齢になりました。その実感を持ってみると、子がいて家を持っていて、日々の仕事にやりがいを見出すひろしの姿は、あまりに眩しく映るものです。そこに嫌味さを感じず、嫉妬心を抱かないのは、長年の親しみからか本人の振る舞いからでしょうか。そんなひろしが主役のスピンオフ作品ですから、まあ、楽しく見やすいものなのは当然なのでしょう。
ひろしですが、映画の度に、足が臭いということをノルマのように描写されているイメージがあります。いつの頃からでしょうか。そのように属性頼りの活躍は、少し寂しくもあります。その点で、属性でなく、ひろし個人の人格を見ることができる当作は不思議な安心感があります。



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